二十八:遺志

「嗚呼、御三方。御無沙汰しております」


 出迎えたのは、貼り付けたように丁寧な口調の男だった。

 造花の花束の頭を隠すように濃紺のフードを被り、裾の長い法衣カソックと手袋で上から下まで肌を隠し、フードの下から呼吸の度に線香の煙と匂いを吐き出す、年恰好の読めない男。墓守のフリードである。

 墓地の見回りから帰ってきたばかりか。法衣の裾の砂埃を軽く手で払い、腰のホルダーに下げていたランタンを外して、彼は玄関先に立ったまま何やら帳簿を付けている。そこにピンズが声を掛けた。


「クロイツさんは? 慰霊祭の準備かしら」

「如何にも、出店の交渉中で御座います。現在手が離せる状況ではありません故、片付き次第御声掛けさせて頂きましょう」

「ん、分かった。それじゃ、それまで兄さんの所に居るわ」

「然様で御座いますか。……では、少々御待ち願えますか」

「え?」


 言うが早いが、フリードは踵を返して受入所から出て行ってしまった。

 巡回中腰から下げているランタンは、しかし玄関に置かれたまま。つまりは洞の並ぶあの圏谷たにに行ったわけではないようだが、それだけにますます意図が掴めない。フリードが墓と受入所以外の場所に何某か意味を持って赴く姿を、少なくともピンズはまだ見たことがなかった。


「どう言うこと?」

「俺にも全く」

「いえ、ぁの、何があったんですかこれ……」


 どうやらピンズやスペクトラにとっても前例のないことだったらしい、虚を突かれ驚愕しきったようにその場で硬直している。舞台照明などは、驚きの故かちかちかとライトが点滅を繰り返していた。目があればぱちくりと瞬きでもしている所だったろう。

 固まる物二人。そして意味と状況の読めぬアザレアがただおろおろしている内に、墓守は静々と戻ってきた。

 白い手袋を着けた手には木の手桶を持ち、中で重たげな音を立てるのは湛えられた水か。当然の如く手桶へ目を落とした三者は、視界に飛び込んできたものを見た途端、弾かれたようにフリードの頭を見た。

 手桶に活けられていたのは、白地に紅赤べにあかの筋を一刷毛した、大輪の六弁花。――春咲きのアマリリスである。

 しかし、ゾンネ墓地に花を仕入れていたという花屋は殺されてもういない。だからこそ、わざわざアザレアに「献花が足りない」と言って助けを求めたのだ。ならば、花を用意できる当てなどないはずではないのか。

 ぐるぐると頭の中で疑問が巡る。そうして立ちすくんだまま黙り込む二人の物と一人の人に、フリードは手桶を床に置きざま、肩を小さく竦めて答えた。


「リペント様に二つほど、球根を分けて頂きました。冬の間から育ててはいましたが、昨日ようやく花を付けました。シズ様はアマリリスが御好きであったとの話を守長より拝聴しております故、ピンズ様。貴方に御譲りをと」

「あなた、どうして」

「その問いが如何な意味を持つにせよ、それは貴女にとって関係のあることでしょうか。私はリペント様より球根を御譲り頂き、育てることに成功し、花を付けた。それだけのことです」

「それだけ……?」


 低められた声は、震えていた。

 対するフリードが選んだのは完全な箝口かんこう。ただ、首から下がるロザリオを撫で付け、俯き己の影を見る。その所作を彼の自責と見たか、ピンズは弱々しくかぶりを振った。

 気丈に振舞っていた物の声音に、堪えていたものが溢れ出す。


「ごめんなさい、知ってる。あなたにとっては墓地の維持自体が存在意義で、何で墓地を維持しなきゃいけないのかは関係ないんだって。墓参者わたしたちにとって必要だと思ったものは分けてくれるけど、分けるためにしてることじゃない。そうでしょ?」

「ピンズ様」

「でも、お願いだからそんなこと言わないで。あなたが割いた手間も時間も、その一言で無駄になっちゃうのよ。そんなの、自分で自分を嫌ってるのと変わりないわ……」


 存在意義を見失った兄と、存在意義の在り処が見えない墓守。狂気に陥った死者と、陥るかもしれない生者を、ピンズは重ねて見ているようだった。

 彼女の絞り出した悲哀と苦悩を、フリードは押し黙ったまま受け止める。そして、目深に被ったフードの下で線香の煙を渦巻かせ、傷んだ造花の葉を撫で付けて、ゆっくりとその視線を足元からピンズへと移した。

 言い方が悪かった。呻くような一言を手掛かりに、墓守は空虚な心根の裡から、積み重ねて来た経験を引きずり出す。


「言い換えましょう。花を渡す理由を、渡し得る理由を、私は貴女に言いたくありません。私にさえ心があると言うのなら、その内に秘めておきたいと願います。御許し願えますか」

「フリード、あなたって人は」

「ピンズ様」


 遮る声音はあくまでも切々とした丁寧さを帯びて、駁する物の喉に張り付く。


「私とて理性と知性を持つ物で御座います。最初の私が如何な無知蒙昧の徒であったとしても、私はそこに積み重ねることを許されたのです。今や言われるがまま取り込み、吐き出すばかりの白痴ではありません。少なくとも私は私をそうと信じます」

「――――」

「黙秘させては頂けませんか? 一人のひととして、物として。私にも黙秘権を行使する自由はあるでしょう」


 こうまではっきりと言われては、最早言い返すよすがもない。

 黙らされたピンズは諦観の混じった溜息を隠し隠し、手にしていた荷物をスペクトラに押し付けると、アマリリスの活けられた手桶を引っ掴んだ。急に大きな紙袋を持たされ、泡を喰って受け取った舞台照明の方は見ず、黙って受入所の扉を開けた墓守へ礼の一つも言わずに、彼女は墓地の方へと歩いて行ってしまう。

 アザレアがその背を追いかけることは、ない。状況が読めなかったせいもあるが、還した本人がその遺族と連れ立って墓参に行くなどと、そんな気まずい行為が取れるほど図太くもなければ図々しくもなかった。

 残されたのは二人の物と人一人。漂う妙な緊張感を断つのは、墓守である。


「アザレア様」

「は、はい!?」

「献花台に、一つだけ違う花が供えてありました。赤い山茶花です。何方に向けたものですか」


 突然何を聞き出すのか。質問の意図が掴めず首を捻りながら、アザレアは記憶を辿る。

 初めてゾンネ墓地を訪れたとき、献花台へ捧げた山茶花。その相手は――


「物殺しへ。私の前に来て、何も出来ずに殺されたと聞いたので」

「……何故、と聞いても構いませんか」


 何故だか申し訳なさそうな声音。アザレアは努めて明るく答える。


「何も知らない相手には難しいですけど、話を聞いてますから。印象で決めました。もしもお互い話し合える機会があったら、その人の好きな花を贈ります」

「もう一声。……解らないのです。何故そうまでして手向けるのか。何を求めて、既に亡いものに贈るのですか? 私はそれが知りたかった。花屋が殺された後からずっと探し育ててきた。それでも私には、花束を献花台に置く行為の、あまつさえわざわざ故人の好みだの印象だのに合わせようとする意味が、解らないのです」


 哀願めいて畳みかけられた問いに、果たしてアザレアは。

 即答、だった。


「自己満足ですね」

「――はい?」

「自己満足。私の中にまだその人がいるって確認したいからるんです。その人自身のために何かやってるわけじゃないです」

「そんな……自分本位にも程が」


 ないか、と。続けかけた言葉は、冷然とした鳶色の視線に遮られた。

 一体全体どんな経験を積めば、只人の少女がこれほど無感情で透徹した目を出来るのか。想像も許されぬ冷やかさに、墓守は閉口する。

 再び張り詰めかけた緊張。それを破るアザレアの声は、ひどく平坦だった。


「クロイツさんから聞きました。この世界って、どんな犯罪ことも躊躇いなく犯してしまえる物がいるそうですね? 自分の存在意義のために、他者を踏みにじって後悔もしないって。……それって、そういう生き方がこの世界で認められてきたってことですか」

「そうと言えましょう」

「なら、いつもいつも別の誰かのことを考えながら生きなきゃいけないわけじゃないでしょ。自分のために生きて、自分のためだけに何かを考えることに、別の誰かがどうこう言う筋合いがあると思います?」


 フリードは小さく息を吸って、吐き出した。白い線香の煙が目深なフードの下で渦巻いて、それからゆっくりと虚空に掻き消えていく。

 紡ぐ声と白煙の渦が、震えた。


「わた、くしは。ずっと考えてきたのです。クロッカーに問われたあの日から。死者に何を贈るべきか。どのような意味を以って葬送おくるべきか。アザレア様、私が、私の苦悩に、意味などないと仰るのですか」

「え? 普通そんなことつらつら考えますか? 私そこまで考えては……」


 互いを困惑が支配し、そして場を沈黙が席巻する。ピンズについて行くより尚深いであろう気まずさに、アザレアは罰が悪そうな表情で視線を足元に落とした。縋るように見つめていたフリードもまた、いたたまれない風に半歩一歩と後ずさる。

 時が止まったかと錯覚するような静謐の沈滞。埃のように降り積もるそれを、傍らに突っ立っていたスペクトラの柏手が打ち払う。


「俺の、私見ですが」


 声は押し殺されて僅かに掠れ、されど何処か艶を隠し果せない。自然と人の意識を引くそれに、二人の物が同時に舞台照明を見る。

 歌うように言葉は織り上げられた。


「この世界で死者の願望が肯定されることは、貴方の方がご存知でしょう」

「ええ。消えるも還るも自由。望むならばそうなるであろうと」

「なら俺達は、死後にも自由に決定をする権利が与えられているのだと考えることが出来る。少なくとも俺は、存在様式が生者と異なるだけであって、死者は一人のものとして思考し行動するものだと思っています。ならば、死者に。一人の自律して思考するものに、生者たにんがおいそれと口を出せると思いますか」

「――いえ」

「そうでしょう? フリードさん、亡い物への手向けに対して……死者に向けた意味を問うのは、死後の在り方を強制することだと俺は思います。それは遺志に対する冒涜に等しい」


 墓守は沈黙を守った。

 己の考えと物殺しの主観、そして命のやり取りに長けた物が出した意見。それら全てをすり合わせ、答えを探し、言葉を選び抜くために。

 探す作業には慣れている。何しろ、彼に与えられたのは投げやりな義務感と僅かな言葉、そして膨大な孤独と寂寥のみ。普通の献花ならば命を得られずに朽ち果てるはずだったものを、しかし枯れぬ花故に時を重ね、微小な感情と孤独の途方もない累積によって命を得たのがフリードである。許容される下限すれすれの意志アイデンティティしか持てなかった彼は、いつでも己の拠り所と在り方を模索していたし、そのためにあらゆる手を尽くしもした。

 長い、長い思慮と思案の果てに、墓守は言葉に出来る答えを一つ、探し当てる。


「手向けに意味などないと思ったとして、それでも、私は許されるのでしょうか」


 声は不安げに揺れてこぼれ落ち。

 果たして、答えは。


「それが貴方の領解りょうげか、フリード」


 スペクトラの、背後から。

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