二十六:廃物

「三歩くらい下がっとけ、危ねぇぞ」

「はい」


 フリッカー。その“案内人特権”は、かつて彼に最も近しかった人物が扱えた、全ての武器と車両の生成。

 武骨な手を地面に付け、念じるように地面を凝視した瞬間、何時ぞや見た軍用車両が地面から飛び出してくる。前振りも前触れもない様は、生成と言うよりはむしろ召喚に近い雰囲気だろう。

 濛々と立ち込める砂埃に辟易しつつ、アザレアは先日と同じく助手席へ押し込められる。が、運転席へ乗り込んできたのは車両を生成した当の本人ではなくその自称部下スペクトラであった。


「フリッカーさんじゃないんですね。さっき事情説明するって言ったのに」

「俺が言うと言い訳じみて聞こえるかもしれませんが、ただでさえ“粗悪品”との戦闘明けで、そこに“案内人特権”も使っている身ですから。運転しながら事情まで説明するのは流石に疲れるとのことです。自分勝手な上官で申し訳ありません」

「そんな、スペクトラさんが謝らなくても。そういう貴方は?」

「お構いなく。慣れています」


 パチリ、と点けていた頭の照明を消し、代わりに車のキーを右まで回す。咳き込むような重低音と共にエンジンへ火が点き、ヘッドライトが明々と目の前を照らして、重苦しい振動が車内を覆った。

 静かにアクセルを踏み、発進。砂利を踏み付ける音がエンジン音に混じり、瞬く間に渾然となって、一つの低い轟きへと変わっていく。フリッカーと比べるならば、彼の方が安全運転だろう。加速の仕方が乱暴なことには変わりないが。

 ――そうして、走り始めた途端。会話が尽きた。

 さもありなん、元からそう饒舌でもない人と物の、しかもむさ苦しい男ばかりの集まりである。会話など始まるべくもない。聞きたいことはお互い山積しているが、何故だか軽々しく言い出し難い空気がそこには横たわっている。

 瞬く間に沈黙が席巻する中で、後部座席の片隅に陣取ったフリッカーが一つ大欠伸。がしゃこ、と音を立ててブラインドを下ろし、座席の背もたれに体重を預けて寝息を立て始めた。相当に疲労が溜まっていたのか、運転手以外のものどもの視線が集まる中で、彼はあっと言う間に深い眠りの世界に入り込んでしまう。

 重い走行音に潜めたような寝息が混じっただけで、結局進展はなし。皆の視線がのろのろと元の位置に戻る中、線路脇をぴたりと沿う形で車を走らせながら、スペクトラが話題の穂をいだ。


「トートさんが報せてくれたんです。貴女が何もない場所を見つめたままずっと動かない、恐らくは幻の特権に嵌められたのだろう、と」

「幻」

「文字通り、相手に様々な幻覚や幻聴を見せる特権です。ただ――」


 スペクトラは言いかけて噤み、ハンドルを切って進路を変える。前を見ても、そこにはただ草木一本も生えていない荒れた土地が広がるばかり。突然どうしたんだ、と言いかけたアザレアは、助手席の窓を横切っていった錆だらけの看板に、出かけていた言葉を喉の奥に引っ込めた。代わりに出てくるのは、あんなのさっきまで無かったのに、という驚愕ばかりの独り言である。

 信じられぬ気持ちでスペクトラを見る。彼はと言えば、ほんの数秒前のようなことが起こるのを警戒しているものか。アザレアの方は一顧だにせず、慎重に車を走らせている。消したはずの照明も勝手に点いてしまうほどに、緊張もしているらしい。

 この調子ではスペクトラに答える余裕はないだろう。困った少女が助けを求めたのは、彼らに己の異変を報せた張本人。運転席の後ろの席で、やや俯きがちに手を組むトートであった。

 果たして彼は、首肯。ぱちりと音を立てて額縁の中の写真を星空から廃墟に変え、組んでいた手を解く。声は相変わらず感情に乏しく、僅かに掠れて車内を転がった。


「オレは、“廃物はいぶつ”と」

「“廃物”?」


 アザレアとキーンが異口同音に疑問符を発した。運転に集中していたスペクトラも興味を引かれたのか、点きっぱなしになっていた照明がふっと消える。トートは彼らの方を見ず、一度は解いた手を再び組んでは、遠い記憶を掘り起こしにかかった。

 途切れ途切れ。絞り出すように、彼は紡いだ。


「元々は確固とした意志持つ物。その意志が直しようもないほど崩れ逝く時、物は“粗悪品”と呼ばれる存在へ変わる。――しかし、知性理性の有無で二色に分断出来るほど、物は単純な存在ではない」


 ぱちり。再びシャッター音が一つして、廃墟の写真が白紙の感光紙へ切り替わる。

 言葉を選んでいるのか、微かに俯くトート。その横っ面へ、キーンは刃を覆う鞘を撫で付けながら、冷たく言い放った。


「要するに、元々は普通に知性を持っていた物が、何らかの理由で知性を失いかけた成れの果て。有り体なことを述べるならば、“粗悪品”の成りかけだろう。俺は何か間違ったことを言っているか?」

「……否。しかし」


 ばっさりと墓守の説明を端折ったキーンに対し、トートは反駁しようと控えめに言葉を編む。しかし包丁の鋭利さは個人の事情を汲むことも許さない。

 窮屈そうに足を組み、膝の上に組んだ手へ焦点を合わせて、付き人は言い放つ。


「“粗悪品”であろうとなかろうと、どうせ還すだけだ。区別した所で何も」

「ケイさん!」


 意識するより先に、アザレアは声音へ怒気を孕ませていた。

 今まで向けられたことのない、純粋な憤慨の色に虚を突かれたか。続けかけた言葉を呼吸ごと喉の奥に詰まらせ、ぴしりと居住まいを正す付き人に、主は上半身を捩り、睨むような鳶色の視線を突き刺す。

 “粗悪品”や還すべき物と対峙した時に見せる、氷のような双眸。それに限りなく近い、されど確かに宿る意志の煌めきが、墓守の言い分を一蹴しかけた付き人を一睨みの内に黙らせた。

 緊迫した空気の中に、アザレアの言葉だけが揺れる。


「誰が、そこまで、切り捨てろと。ケイさんに教えたんですか」


 付き人は何も言えなかった。

 主に降りかかる火の粉を払い、主を護り、未来を拓くぶきたれとは願われた。しかし、無闇に人を切り捨て傷付けるの如く在れなどと、彼を“起こした”アーミラリは微塵も考えていない。当然包丁の所有者であったアザレアや、ましてや彼女以前に包丁を扱っていたものたちが、斯様に物騒な意志を吹き込むはずがない。

 誰にも責任を転嫁出来ない。他ならぬ彼自身の思想や言葉の取捨選択だからこそ、キーンは言葉を失う。アザレアはそんな付き人をじっと見つめて、ふっと小さな溜息を吐いた。


「私は私なりに精一杯考えて、私にも物にも益が出るように行動してきたつもりです。今まで私のやってきたことが間違っていたとは思いません。……それで、ケイさん。私は何か、物殺しとして間違ったことをしてましたか。トートさんに話を聞こうとしたことや、すぐに結論まで至らなくても止めなかったことが――何か間違っていましたか?」

「……いいや」

「そうでしょ。じゃあ、物殺しわたしが。主人が止めなかった話の腰を折るのは、出過ぎたことだと思いませんか。物としても、私の付き人としても」


 沈黙は肯定。

 ともすれば二メートル近い巨漢が、母親から叱られたかのように肩を竦めて縮こまる様は、ある種滑稽でさえある。しかし車内の誰もその姿を笑うことはない。彼の主人たるアザレアがにこりともしないのに、それを差し置いて笑えるほどの度胸は、今この場にいる物の中にはいなかった。

 だから。

 最初に笑うのは、アザレアだ。


「謝ってください、ケイさん」

「……すまなかった」

「はい。私だけじゃなくてトートさんにもきっちり謝って下さいね?」

「申し訳ない……」


 主から言われたことには逆らえない。キーンはすごすごとして、くすくす笑う少女と戸惑いがちに付き人を見る男の両方へ、窮屈そうに頭を下げた。罰が悪いということもあろうが、何より物理的に肩身が狭そうな様子に、慌ててトートはかぶりを振り、気にするなと無言で示す。

 屈強な付き人の普段見られない様子が面白かったのか、ケラケラとアザレアの笑声は楽しげに。この世界に来てついぞ見ることのなかった明るい表情に、キーンとトートは思わず顔を見合わせる。

 ――いかにも面白げな笑い声は、それから数分の間続いた。


「あーもー変なツボ入っちゃった……えっと、真面目な話が出来る雰囲気じゃないですけど、真面目な話しましょうか?」


 目尻にちょちょ切れた涙を指で拭い、一頻り笑い転げた余韻を何とか鎮めて、アザレアが話を振ったのはトート。唖然として固まっていた遺影は、少女の視線に気づくと額縁の中の景色を切り替える。

 白紙から、再び廃墟の写真へ。そして組んだ手の親指を頻りと入れ替えながら、遺影は再びその視線を窓の外へと向けた。


「……“廃物”、は。知性を忘却しながらも理性は保つ。“粗悪品”の如く、無作為に人や物を襲いはしない。人を手に掛けることを、多くの物は恥と見做す故に」

「何故?」

「分かるだろう、付き人よ。人は意志を与える第一の親。仮令“起こされた”物であろうとも、根底を成すは人の情である。親と同類、同族のものを。仮令己を成す意志が枯渇していようと……襲えると思うか」


 多くの物は否と答えるだろう。

 しかしキーンが内心出した最初の返答は応であった。

 さもありなん。彼の存在定義が帰属されるのは何処までもアザレア一人のみ。それ以上でも以下でもなく、そして彼女と他人とを混同もしない。もしも付き人がその知性を簒奪され、その任が満足に果たされないと知るならば、彼は恥や誇りを捨ててでも果たそうとするだろう。

 彼にとって己とは道具である。道具がその用を成せないほど傷付いたなら、補修メンテナンスし機能を復元せしめるのは当然の帰結だ。ただその為に要するものが、常識であれば使用を戒められるものと言うだけの話でしかない。

 ――ならば、幸いなるは。


「否、だろうな。理由と己の意志がどうあれ、人を襲うのは人道にもとる行為だ。俺は確かに付き人で、主の露払いをする道具だが……それ以前に一人の人間として命と権利を得た。ならば、従う道理は人の良識を置いて外にはあるまい」


 彼に知性を与えたのが、知と理の権化たる案内人だったことだろう。

 彼自身が元々持つ性格と、刃としての剣呑さ。付き人としての立場と権能。それら全てを貫き通して統合する頑強さと、ある一面が助長しかけたときにそれを分析して記述し得る透徹さは、他ならぬアーミラリの持つ強みである。

 そうしてごく理知的に回答を述べたキーンに対し、トートは如何な思いを抱いたか。そうか、と聞こえぬほどの声で呟き、背凭れに深く身を預ける。


「一つ、重大な相違がある」

「“粗悪品”と“廃物”にですか?」


 点頭。

 何故か言い渋るような素振りを見せつつも、墓守は物殺したちから注がれる疑念の視線に答えた。


「“廃物”は知性を喪った物の成れ果て。しかし、戻せる」

「……?」

「剥落した知性を補填することが出来れば、“廃物”は元に戻せる」


 はっと、息を呑んだのは誰であろう。

 時が止まったような沈黙の中に、トートは僅かな苦悩と逡巡の色を滲ませた。


「机上の空論である。誰しも“廃物”を戻すどころか近づくことすら厭い、況して成し遂げた例など絶無に等しい」

「それでも私に言った。私ならそれが出来るってことですか」

「……貴女はかの物に沈丁花を贈った」


 手を解き、額紙の下がる額縁へとその手を当てて、トートは返答を絞り出す。

 ぱちりと音がして、廃墟の写真が、何処までも続く雲海へと切り替わった。


「贈られた花をかの物が受け取った、あの時に。かの物は死すべきでないと、オレも思った」


 ――それだけだ。


 遺影の言葉は、誤魔化しの響きを帯びて静かな車内を転げ落ちる。

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