89.認められない黙秘権~紗奈~

 陸先輩とそらの生い立ち。私と梨花が二人と出会う前までの話。梨花と二人、涙を流しながら聞いた。二人が背負った運命。それに悲しんだ。そして二人の兄妹の絆を知った。それに感銘を受けた。


「兄をよろしくお願いします」


 そう言って深く頭を下げたそらの姿が頭から消えない。私と梨花は託された。陸先輩を支えることを。私と梨花はそらの気持ちを受け止めた。


 そしてその一生忘れることのできない元日から一夜が明け、そらも滞在中の家で四人が食卓に着いた。陸先輩と梨花は既に制服に着替えている。そらが加わったこと以外いつもと変わらない食卓の雰囲気だ。

 今日は全国高校サッカー選手権の二回戦。陸先輩と梨花は午前中に学校に集合してミーティングをし、そして試合会場に入る。試合は12時キックオフである。私はそらと一緒にキックオフに間に合うように家を出る。もちろん観戦と応援に行くのだ。


「先輩、梨花。いってらっしゃい」


 陸先輩と梨花にしっかりお弁当も持たせた。私はそらと一緒に陸先輩と梨花を玄関でお見送りだ。何やら梨花がもじもじしているが、キスしたいのかな? けど、今日はそらもいるからな。まぁ、だからそらの前でも全然いいのか。


「行ってきます」


 陸先輩が答える。するとそらがすかさず言った。


「ここに来てから思っていたのだけど、紗奈と行ってきますのちゅうはしないの?」

「す、するわけねぇだろ!」


 狼狽えて言う陸先輩。本当はいつも陸先輩と梨花としている。他の人の目がある前ではと思っていたが、そらなら平気か。私は両手を広げ、陸先輩に笑顔を向けて、キスを求めてみた。


「バ、バカ! さすがに妹の前でできるかよ!」


 そう言うと陸先輩はそそくさと玄関を出た。夏休みはそらがいることに気付かずにベッドでキスしてくれたくせに。恥ずかしかったのかな? ちぇぇ。


「行ってらっしゃい」


 そらが閉まりかけの玄関ドアから見える陸先輩に言う。梨花はまだ玄関を出る様子がない。上目使いで私を見る。それならば。


「梨花はしようか?」

「うん!」


 途端に弾んだ声と満面の笑みで答える梨花。あぁ、本当に梨花は可愛いな。そんなに私とのキスを好きでいてくれて嬉しいよ。


「ちゅっ。行ってらっしゃい」

「行ってきます」


 ご機嫌良く玄関を出た梨花。そらがその背中に「行ってらっしゃい」と投げかける。玄関ドアが閉まるとそらに言われた。


「へぇ、紗奈って梨花とキスするんだ。驚いた」

「そ、そうなの?」


 驚いたと言ってもそらの表情からはそれがあまり読み取れないのだよ。


「うん。これは興味深いものを見せてもらった」

「まぁ、だからね」

「ふーん。ね。お兄ちゃんの前でもするの?」

「そうだよ」

「へぇ。これからが楽しみだ」


 楽しみって何がだよ? 今の幸せな三人の関係がいつまでも続けば、私は何も言うことがないのだけど。そらのことだ。また何か良からぬ画策でも企てなければいいけど。


「大丈夫よ。見守るだけだから」


 そう言ってスタスタとリビングに戻るそら。私の心を読んだのか? いかん、私も洗濯物を干さなくては。そらが洗い物をやってくれるから助かる。おかげで大会期間中は梨花に一切家事の負担を掛けなくて済んでいる。


 家事を終えると私とそらは着替えて一緒に家を出た。そらは私服だが、私は制服だ。テレビカメラが向くので全国大会の応援は部員以外制服なのだ。スタンドの部員はベンチ入りの選手と同じくユニホーム姿だ。


「東京の電車は凄いわね」


 電車に乗るなりこんなことを言うそら。確かに通学時間帯並みの混雑だ。


「お正月で初詣とかお出掛けする人も多いだろうからね」

「痴漢とか出ない?」

「出る……。通学の時間帯は女性専用車両があるから、それに乗ってる」

「大変ね」

「向こうは大丈夫なの?」


 私の言った向こうとはそらが寮生活を送っている、A県中枢都市のC市のことだ。


「路線によっては出るそうよ。満員電車らしいから。私は寮だからそもそも電車通学じゃないし」

「あ、そうか。学校から近いんだっけ?」

「そう。徒歩2分」


 徒歩2分か。朝練もあるから近いのはありがたいのだろう。けど、私は陸先輩と梨花と一緒に通学する30分の登下校も好きだ。二学期までは二人の朝練があったので、私一人の登下校が日常だったが。

 それでもこの大会で陸先輩はサッカーを引退する。梨花は部活を辞めないので朝練は続く。今度は梨花に代わって私が陸先輩と登下校をする。陸先輩の引退は寂しいが、二人での登下校は凄く楽しみだ。


 試合会場最寄りの駅を出ると私とそらは喫茶店に入った。キックオフまでまだ時間がある。二回戦ならスタンドは空いているので急いで行く必要もない。ただ陸先輩の凛々しい姿を早く見たいので、ウォーミングアップには間に合うように行こう。


 私とそらが座った喫茶店の席で、私達は軽食を数品注文した。私とそらはそれを食べながら話した。


「紗奈はお兄ちゃんと結婚するつもり?」

「う、うん。そのつもり。正式に婚約してるわけでもないし、まだ二人の間だけでの話だけど」


 いくら高校二年生と高校一年生のカップルとは言え、本格的な仕事を一緒にしていればその考えに行きつくのも納得である。そらはそう考えての質問だろう。


「まだまだ先の話だけど、正式にプロポーズしてもらえたらちゃんとそらの所には挨拶に行く」

「兄はお前にはやらん、って言ってやる」

「……」

「冗談よ」


 おい……。なぜかそらが言うとあまり冗談に聞こえないのだ。


「そこまで話をしているのなら嬉しいわ。やっぱり紗奈か梨花にお兄ちゃんをもらってほしいから」

「そっか。ありがとうね、そら」


 とは言え、兄をお嫁に出す妹の心境かよ。そんな言い回しだ。


「他の女なら刺すけど……」

「……」


 まったく、このブラコンは。そらは本当にしでかしそうだから怖いよ。ただまぁ、そらの信頼を裏切らないように私は精進するから。任せてね、そら。


「そらは好きな人とかいないの?」

「いるわ」


 なんと。そらにも意中の相手がいたのか。これは初耳だ。と言うか、私が陸先輩とお付き合いをするまで、陸先輩以外全く見えていなくて一度も聞かなかった。


「誰?」

「それは内緒よ。手が出ないほど高嶺の人だから」

「そうなんだ」


 手が出ないほど高嶺とは、そらは理想が高いのだろうか? 幼顔で可愛らしいそら。無茶苦茶な高望みをしなければ、彼氏くらいすぐにできそうな気もするのだが。


「他に好きな人を作ろうにも、女子高だから出会いもないし。部活ばかりで合コンにも呼んでもらえないし」

「そっか」


 なるほど、納得である。新しい出会いがないのであれば、今想う人から気を移すことも叶わないのか。そもそも、高嶺の人とは言え気持ちは伝えないのだろうか? まぁ、そらにはそらの考えがあるだろうから、ここは深くは突っ込まないでおこう。


「紗奈」

「なに?」


 ふいにそらから名前を呼ばれた。なんだろう? 感情表現の乏しいそらだが、何だか真剣なように感じる。私は心して聞いた。


「一番興奮した時のお兄ちゃんとのエッチを教えて」

「……」


 心して聞いた自分を撤回。そうだ、そらはこういう女の子だった。


「黙秘権は認めないわ。はい、答えて。まず第一位」

「う……」


 第一位って言ったよ。もしかして一回分だけの話で終らせないつもりでは……。


「えっと……、お仕事で凹んだ時に私からお願いして抱いてもらった時」


 あぁ、結局答える私って。この後そらから官能小説の朗読ばりに詳細を吐かされたし。


「いいわね。次。第二位」

「う……」

「黙秘権は認めないわ」


 やっぱり一回分だけでは済まなかった。何の羞恥プレイだよ。そして認められない黙秘権。


「えっと……。イブの夜に先輩から下着をプレゼントしてもらって、先輩が私の下着姿を見たさに散々じらしてきた時」

「へぇ、いいわね。では詳細」

「えっとね……」


 これも結局話しちゃっているし。何なのだよ、もう。恥ずかしくて茹蛸になりそうだ。


「次。第三位」

「う……」


 一体いつまで続くのだ。喫茶店の席で聞くくらいなら、夜中に私の部屋にこっそり来て聞いてくれよ。


「黙秘権は認めないわ」


 そうでしょうね。さすがに三回目となるともう既に黙秘権には縋っていないよ。


「えっと……。やっぱり三番目は初体験かな。そらの実家でした時の。思い入れとしては一番だし」

「なるほどね。それはもう聞いたから詳細はいいわ。今日はこれくらいにしてあげる。ごちそうさま」

「はぁ……」


 やっと解放された。自分の兄の生々しい話を聞いてそらに何の得があるのだよ。言う方の身にもなってくれ。恥ずかしいことこの上ない。

 それに歴代一位から三位までを思い出して悶々としてきたし。今は家にそらがいるから、帰ってから陸先輩におねだりすることもできない。そもそも大会期間中で疲れている陸先輩のことを考えると、おねだりできないのだ。生殺しじゃないか。


「今夜も梨花がお兄ちゃんをマッサージするわよね?」

「そうだと思う。試合の日だし、勝てば明日も試合があるから」

「見学させてもらうわ」

「そ、そう」


 あの梨花の密着マッサージか。そらも覚えたいのだろうか? 私も現役の時にしてもらいたかったな。そらは中学時代、特待での推薦が決まっていたから、部活引退後も練習に参加していた。だから梨花がマッサージを覚えてから、数回してもらっている。


 この後私とそらは喫茶店を出て試合会場に行った。到着するとちょうどウォーミングアップのために選手が出てきたところだった。試合前から凛々しい陸先輩の姿が見られて感無量だ。


 やがて試合は始まり、なんと海王高校は二回戦も勝利。スコアは2対1だ。途中一度陸先輩が相手選手と交錯して焦った。


 ――お願い、残り少ない陸先輩のサッカー人生なんだから、怪我での終焉だけはさせないで。


 幸い、陸先輩はすぐに起き上がり大事に至らなかったようで安堵した。


「お兄ちゃんにぶつかった奴と、お兄ちゃんから点を取った奴コロす」


 これは試合後のそらの発言である。だから、そらが言うと冗談に聞こえないからそのおっかな発言を止めてくれ。


 家に帰ってきた陸先輩は失点を悔やんでいた。負けず嫌いでストイックだ。サッカーに目の肥えた私から言わせてもらえば、全国大会二試合で1失点しかしていないのだから立派なのだが。今日の相手校は攻撃力に長けていたし。




 そして迎えた翌日の三回戦。なんと、海王高校はこの試合にも勝った。スコアは1対0。凄い、凄い。次は明日の中日を挟んで、明後日の準々決勝だ。これに勝てば、冬の選手権では試合会場のステータスとなる準決勝。


 次も応援に行くからね。頑張ってね、陸先輩、梨花。

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