16.応援しない~梨花~

 ゴールデンウィークが明けた朝。紗奈も帰省から帰って来て、日常と化していた久しぶりの賑やかな朝。それを経ていつものように三人で登校。あたしと連れ立って歩くのは紗奈と陸先輩。あたしの大好きな二人だ。紗奈は恋愛感情で、陸先輩は尊敬できる先輩として。しかし気分は晴れない。


「はぁ、なんであんなことしちゃったんだろ……」

「ん? 何か言った?」

「いや、何も……」


 あたしの呟きに隣で反応する紗奈。あたしは慌てて取り繕った。


 2日前に陸先輩と映画を見て買い物をした。誘った時は深く考えていなかったが、よくよく考えればデートだよな、あれは。まぁ、あたしの憂鬱はそこではなくて。

 帰りの電車で陸先輩の手とあたしの手の小指が触れた。本当に何の気なしだった。あたしはそれをきっかけに陸先輩の手を握った。その日一日が楽しかったので舞い上がっていたのだろう。けど、手を握ってすぐに気づいた。


 ――これは紗奈に対する裏切りだ。


 あたしは慌てて紗奈には内緒にしてほしい旨を伝えた。それから咄嗟に出た言い訳が、これはこの日のお礼だという意味。

 陸先輩には普段からいろいろとお世話になっているのでいつも感謝している。その日もたくさんお金を使ってくれたので、後になって私は恐縮した。だから感謝の気持ちは嘘ではない。しかし何の気なしに取ったその行動は、紗奈への配慮が完全に欠けていた。


 ただ、ずっと気持ち悪いと思っていた男子。それは今でも変わらないと思う。――まぁ、陸先輩の秘密を聞き出すために擦り寄ったことはあるけど……。しかし陸先輩ほど信頼を置いている相手なら、手を繋ぐことに全く抵抗がなかった。それどころか、「男の人の手って硬くて大きいんだ」なんて思ったほどだ。

 陸先輩が自宅最寄り駅の改札を抜けた後も手を差し出してきたので、あたしはそれに応じた。このことの口止めと、深い意味はないということに念を押して。あたしは陸先輩の秘密を一つ握っているから、よほど人に知られることはないだろう。特に紗奈への口外禁止はかなり念を押したし。


 あたし達は学校まで到着すると、三人は各々の教室に別れた。あたしは荷物を置くとすぐに廊下に出た。紗奈のいる三組の前を抜け、四組の入り口前で立ち止まると、廊下から四組の教室を覗いてみる。なんだかざわざわしている。


 ――いた!


 あたしはお目当ての女の子を目に捉えた。綺麗な髪を真っ直ぐに下ろしている。そう、一昨日の買い物の時にナンパした小金井里穂ちゃんだ。制服姿で地味な格好をしていた里穂ちゃん。今も制服だがちゃんと眼鏡を外し、綺麗な顔を晒している。

 数人の女子生徒が里穂ちゃんを囲んでいる。男子は少し距離を取ってその様子を伺っている。四組の教室がざわついていたのはどうやら里穂ちゃんが原因のようだ。よしよし、早速効果が表れている。


「うお! 一組の月原だ」


 誰だかわからないが、男子生徒の声が聞こえた。それをきっかけに四組の視線があたしに集まる。まったく余計な一言を。


「本当だぁ。めっちゃ可愛い」


 女子の声だ。女子の言う可愛いは当てにならん。ただまぁ、男子に言われても何とも思わないが、女子に言われると嬉しくはある。

 すると里穂ちゃんもあたしに気づいて駆け寄って来た。


「梨花ちゃん、助けて」


 里穂ちゃんはあたしの手を取ると走り出した。そして階段を駆け上がり、一気に屋上まで出た。始業時間まではまだ余裕があるし、この日の朝は里穂ちゃんとお話をして過ごそう。


 屋上まで出ると里穂ちゃんは手を離した。まだ繋いでいても良かったのに。しかし里穂ちゃんの手、柔らかかった。うふふ。可愛い女の子や綺麗な女の子を見るのは好きだ。目の保養である。里穂ちゃんは美人だし。


「どうしたの?」


 あたしは少し息を切らせた里穂ちゃんに問いかけた。


「戸惑ってる」

「そっかぁ」


 そりゃそうか。いきなり注目されれば戸惑うか。あたしだって注目は求めていない。嫌味に聞こえるかもしれないが、常に人の目があるのは神経を使う。

 しかし、里穂ちゃん綺麗だなぁ。あたしの目に狂いはなかった。そうかと言ってあたしの心は紗奈一筋だが。


「そうそう。入試の時のエピソード、陸先輩から聞いたよ」

「あ、うん。先輩覚えててくれたんだ……」

「文房具を見て思い出したみたい」

「そっか」


 陸先輩の名前を出した途端に顔を真っ赤にして俯く里穂ちゃん。まさかとは思っていたが……。


「里穂ちゃん、もしかして陸先輩のことが好きなの?」

「え? あわわわ……まさか、そんな、す、きとか……。そんな……」


 いきなりしどろもどろになる里穂ちゃん。わかりやすい。なんだよ、めちゃくちゃ可愛いじゃないか。完全に恋する乙女の目だ。里穂ちゃんは動揺したまま続ける。


「そんなこことは……?」

「……」

「……」

「……ある?」


 あたしの問いかけに観念したのか無言で頷いた。うむ、素直でよろしい。こんなに美人な子だからぜひとも陸先輩とくっついちゃえばいいのに。そうすれば、あたしは紗奈と……。

 いかん、いかん。心が悪魔になっている。こういう考え方は人としてダメだ。それにそらから刺される。これが一番怖い。


「その入試の時がきっかけ?」


 また無言で頷く里穂ちゃん。よほど恥ずかしいのだろう、全く顔を上げられない。


「そっかぁ、いいねぇ」

「……」


 少し屋上に吹き込む風を感じてみる。春の陽気に混じって気持ちがいい。

 あたしは同性愛者だが、心情としては陸先輩に惚れる女の子の気持ちはわかる。なんせあの人は優しい。とにかくこれが一番だ。


 容姿は普通だと思う。服のセンスは良い。家政婦の美鈴さんがいた時にコーディネートをしてもらっていたそうだ。それで懇意にする店が何軒かできて、今では店の人がコーディネートをしてくれるから困らないと言っていた。社会人でもあるから身だしなみには気を付けているそうだ。仕事って大変だ。

 とは言え、容姿は普通なので、学生服の時は地味にも見える。取り立てて目立つところがない。ただあの人の優しさは嫌味も下心もない本物の優しさなのだ。


 これはあたしの憶測だが、恐らくそらを守ることがきっかけで自然と身についたのだろう。その陸先輩の自然な優しさに触れた女子が、恋に落ちるのは理解できる。紗奈がそうであったように。


「梨花ちゃんは好きな人いないの? ……あ、すごくもてるから彼氏がいるか……」


 あたしの方に質問を振ってきたか。まぁ、あたしが切り出した話題だから仕方ないよね。


「彼氏はいないけど、好きな人はいるよ」

「そうなんだ。気持ち伝えないの?」

「うん。今の段階では片想いが確定してるから」

「梨花ちゃんほどの子でも恋愛ってうまくいかないんだ……」


 なんだか恐縮する言い回しをしてくれたな。そう、恋愛はうまくいかないのだ。特にあたしの場合は。そらもだけど。あたしとそらはそれを痛感している。


「里穂ちゃんは気持ち伝えないの?」

「そんな勇気は……。けど、もし梨花ちゃんが応援してくれるなら……」

「うーん……。里穂ちゃんの気持ちは尊重するけど、応援はごめん。中学の時のすごく仲がいい子がね、陸先輩のこと好きなんだ」

「そっか……。それっていつも一緒にいる三組の日下部さん?」

「紗奈はどうだろ? 中学の時の同級生とだけ言っておく」


 あたしは曖昧にして返した。里穂ちゃんはすごく綺麗になった。いや、綺麗を晒した。けどまだ自分に自信を持てていない。恋のライバルが紗奈だと知ったら、恐らく余計に自信をなくして落ち込むだろう。それに絶対に言えない陸先輩の関係者がもう一人いるし。


「そうなんだ。梨花ちゃんはその子を応援してるんだね……」

「してないよ」

「え? してないの?」


 はい、していません。て言うか、できません。なぜならその子があたしの好きな人だから。もう一人は絶対に結ばれない人だから。


「うん。だからあたしは陸先輩を好きになる子は誰も応援しないって決めてるの」

「そうなの? もしかして梨花ちゃんの好きな人も?」


 おう……その考えに行き着くか。いや、一般的には行き着くだろう。一般的な多数派の人なら。


「あ、違う、違う。あたしにとっては尊敬できる先輩。先輩としては好きだけど」

「そっか。あたし友情も恋愛も不慣れだからなかなかそういうのわからなくて」

「里穂ちゃんの恋の応援はしてあげられないけど、話なら聞くよ」

「ありがとう。頼りにしてる」


 理穂ちゃんがホッとしたように笑みを向けた。やっぱりめちゃくちゃ可愛いじゃないか。これから絶対男子が寄ってくるだろう。あたしと紗奈は童顔だけど、理穂ちゃんには大人の魅力がある。笑えば可愛いし、大人しいと美人だ。スタイルもいい。


「さっきたくさん女の子寄ってきてたね」

「あ、うん。それに戸惑っちゃって」

「何て話しかけられてたの?」

「髪下ろしたんだ? とか、コンタクトに変えたんだ? とか。あ、あとこれ」


 里穂ちゃんは右の手首に巻いたシュシュを見せてきた。一昨日の買い物の時にあたしと一緒に買ったものだ。あたしも里穂ちゃんと色違いの物を買った。


「これが可愛いって。どこで買ったのか? って」

「へぇ。実にいい話題じゃん。女の子らしくて」

「けど、あんまりうまく答えられなくて」

「……」


 なぜだよ? 大型ショッピングモールの書店の隣だって言うだけじゃないか。まぁ、これも慣れるしかないのかなぁ?


「逆に里穂ちゃんは他の子が持ってるアイテムで気になった物とかなかったの?」

「そう言えば、他の子の物までしっかり見てなかった」

「そういうとこだよ。自分が聞かれたら答えて、他の子の物も見て、気になったら聞いて、そこから話題が広がっていくんだから。そうすれば自然に周りと打ち解けられるよ」

「そっかぁ」


 人見知りの里穂ちゃん。あまり顔を上げないから、たぶん他の子の細かなとこまで目が届いていなかったのだろう。


「頑張ってみる」

「うん」


 いいぞ。そうしてたくさん女の子と仲良くなって、お洒落をたくさん覚えれば、あたしの目の保養効果が大きくなる。期待しているよ。そしてこんなに美人な子とあたしはお友達。誰にとってもいいことだらけだ。


 この後予鈴が鳴り、あたしと里穂ちゃんは揃って屋上を後にした。残念ながら教室に戻る時は手を繋いでくれなかったが。あたしからも女の子に積極的になれたらなぁ。

 紗奈と手を繋ぐ時はいつも紗奈が自然にあたしの手を握ってくれる。あたしから触れると歯止めが利かなくなりそうだからなるべくしない。尤も、陸先輩への過剰なスキンシップ阻止と、スキンシップをした時のお仕置きは遠慮しないが。


 唯一記憶にあるのは、一度紗奈の頬を両手で包んだことだけ。あの時は紗奈があたしに嫉妬しているのがわかったから安心させたくて。そんなあたしだから女の子に触れることには慣れていないのだ。

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