おまけ。獅子心労

 気乗りしない実家への帰宅にはわけがあった。


 つい先ほどの事である。アルバイト(新しい人員が確保できるまでは逃さんとババアに強いられていた)を終え澄子と飲んでいると着信があった。嫌な予感はしたが、なればこそ出ぬわけにはいかぬだろうなとスマートフォンを見ればやはりである。相手は父であった。


「息子よ。せっかく買ってやったのだ。たまには雪朧ゆきおぼろ白輪王はくりんおうを見に来い」


「……申し訳ありません。それは一体……」


「貴様が父にねだった獅子の名よ! あれ以来一度も顔を見せぬから、父が名付けてやったわ!」


 剛笑によりノイズが発生し、スピーカーの寿命が縮まってしまいそうであった。


「それは親不孝をしてしまいました。今から向かいますので、どうぞお待ちください!」


「応! 待っておるぞ!」






 まったく、疲れているのに勘弁してほしいものだ。おそらく、あの様子ではしこたま飲んだに違いない。母は姉と一緒に英国に行っているので不在。寂しいのだろうか。


 澄子は置いてきた。夜も遅いし、何かあったら困る。さすがに、父の無茶からは救える自信がなかった。


 ともかく家に着いた僕は、玄関チャイムを押し使用人を呼んだ。間を置かずして、すっと現れたのは使用人頭の加藤であった。珍しいな。いつもは名も知らぬ木っ端が来るのだが。


「他の者は、遅めの正月休暇を取らせてありますので、私めがご案内させて頂きます」


 相変わらず不気味な奴である。まぁいい。僕は溜息を吐いて、加藤に着いていく。すると、家屋ではなく、庭の方へと案内されたのであった。「どこへ行くのだ」と聞くと、「獅子舎でございます」と返ってきた。獅子舎……まさか他の舎も作るつもりではあるまいな……




 程なくして、檻と小屋が一体となった、動物園にあるような建物が庭の隅に現れた。まるで成金だ。趣味の悪い。


 小屋に入れば酒を飲む父と、大きなガラスを隔てた奥に二匹のライオンがいた。

 その内一匹は白いたてがみを持った雄(こいつが白輪王だろう)で、大人しく端に座っている。しかし、もう一匹の、雌の方。即ち、僕に爪を立ててきた不届き者であるが、奴はやたらと吠え立て父を威嚇していた。いや、というより、あれは殺気だ。あの雌ライオンは、間違いなく父を殺そうとしている。

 そして何故かそれを見て父は馬鹿笑いをしていた。何がおかしいのだろうか。


「父上。息子がただいま参上仕りました!」


「来たか! どれ、一杯やれ!」


 小さな樽のようなジョッキにラム酒を並々と注がれる。いかんなこれは。完全に出来上がっている。


「あの二匹な。雄の方は屈服したが、雌の方は何度倒しても闘気衰えぬ。愛い奴よ。跳ねっ返りの方が可愛がり甲斐があるのは、人間と一緒よな。どれ息子。今から父が余興を見せてやる故、存分に楽しんでゆけ!」


 そう行って父はどこかへ行ってしまった。屈服? 倒す? ライオンをか? 馬鹿な。いくら父といえど、さすがにそんな人間離れした事は……




「っっっっっっっっ!!!!」


 耳をつんざく雄叫びが響く。ガラス張りのライオン部屋を見ると、父がグラディエーターのような格好をして立っていた。

 そして、例の雌ライオンは全身の毛を逆立て、鋭い牙を剥き出しにして唸っている。


 頭が痛い。帰りたいが、そんなわけにはいかん。助けを呼ばねば……


「破っ!」


 電話を持ち、使用人室に電話しようとした瞬間である。驚くべき事に、ライオンは地に伏していたのであった。

 本当か? 本当に倒したのか? 本当に、父は人間なのか? 

 いかん。駄目だ。吐き気がする。理解不能過ぎて気分が悪い。

 端にいる雄ライオンは、黙ってその様子を傍観していた。何となく、あのライオンにシンパシーを感じてしまう。奴も、きっと僕に対して同じ事を思っているだろう。

 僕は酒を飲んで拍手を送った。哀しく響く乾いた音は、父の勝鬨によってかき消されてしまっていた。

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