I Killed Cock Robin' 終

 式から幾月か経った。

 僕は新婚生活も早々に、一人でとある国へと外遊し、たった今帰郷の途についたのであった。

 季節は夏。奇しくも、森泉に告白した季節である。僕は海の向こうで行った一連の儀式を、あの時のように、我が妻へと伝えなくてはならなかった。




 汗をかきながら歩き、住み慣れていたワンルームの賃貸住宅……を、そっと通り過ぎる。妻と共に住むに当たり新しく住まいを借りたわけだが、つい元の安普請に足が向いてしまう。今では僕に変わり姉が部屋の借主となっている。もうすぐ家督を継ぐべくして実家に入るようだから、それまでに、たまには遊びに行ってやろう。


 更に歩く事十分。一部屋何億のタワーマンション。その傍にある、小さな一軒家。この戸建てが、新しく借り入れた僕達の住処であった。造りは古いが頑丈で、趣がある。良きかな質実剛健。質素倹約。


「ただいま」


 ガラリと玄関の引き戸を開ける。まるで国民的長寿テレビアニメーション番組のワンシーンのようだ。猫でも飼うかな。


「お帰りなさいませ!」


 奥から威勢のいい返事と共に、ドタバタと足音が聞こえた。大袈裟だ。もっと静かでいい。


「お久しぶりでございます旦那様! 蘭は寂しかったです! ずっと旦那様を待ち続け、今日まで作り甲斐のない食事を作り三食悲しくいただいておりました! 新婚早々に妻を置いて一人国外逃亡する夫など、聞いた事ありませんよ!」


「逃亡ではないのだが、まぁいい。息災で何よりだ。それより腹が減った。久しぶりにお前の飯を食いたいが、用意してくれんか」


 蘭は「もちろんですわ!」と言ってもと来た廊下を走っていった。短くなっていた髪もすっかり伸び、以前のように、柔らかいウェーブがかかった毛先がはためいていた。


 僕は玄関に上がって茶の間へ入った。張り替えた畳の香りに心が安らぐ。わずかな期間であったが、国を出ると和が恋しくなるものだ。懐かしき故郷。できれば食事も、純和食がいいのだが……


「できましたわ!」


 思いの外早くできたようだ。さて。何が出るかな。


 ちゃぶ台に置かれたのは、茹でた鶏肉がライスの上に乗っただけのものであった。なんだこれは。嫌がらせだろうか。


「カオマンガイという、東南アジアの料理です。こちらのソースと、パクチーをお好みでかけてお召し上がりくださいませ」


「……いただきます」


 確かに美味である。だが、僕が先刻までどこに行っていたと思っているのだ。パクチーも甘辛いタレも、もはや食べ飽きてしまっている。気が効く人間なら、もう少し考えて……

 待て。

 蘭が配慮できぬはずないではないか。それに、料理が出てくる時間も早すぎる。さては、予め用意していたな?


 僕はゆっくり蘭の方を向いた。すると彼女はニヤケ面で僕を見ており、「どうですか? お懐かしいでしょう」と皮肉を吐いたのであった。


「お前が作った料理は美味いからいいが、他の奴が作ったものなら捨てていたよ。いつの間にこんな嫌味な意趣返しを覚えたんだ」

 

「だって旦那様。私、寂しかったのですよ? 手の怪我が完治したらすぐにタイに行くだなんて仰って、本当に飛んで行ってしまうんですもの。これくらいの仕返しをしたって、バチは当たらないと思います」


 確かにその通りなのだが、なにか納得がいかない。このままでは将来尻に敷かれてしまう気がする。いかん。それはいかんぞ。亭主関白とまではいかぬまでも、家長である僕を侮るなど実にいかん。家庭不和が訪れる可能性大。一策を案じねばならんな。


「なんて、柄にもない事をしてしまいましたね。大丈夫ですわ旦那様。ちゃんと、お味噌汁に豆腐に納豆。それと漬物もご用意しております。そのカオマンガイは、私の昼食に用意していたものでございますので、どうぞお残しになってください」


 これは一本取られた。しかしこのまま引き下がるわけにはいかん。僕は大黒柱なのだ。扶養家族に謀られ、安穏としているわけにはいかない。


「いや、このカオマンガイ。中々どうして美味ではないか。気に入ったぞ。全て頂く。その上で、味噌汁と漬物を貰おうではないか! 蘭! 味噌汁には何が入っている!」


「はい。お味噌と……」


 違う。そうじゃない。おのれまだからかうか。

 しかし馬鹿め。このまま黙って味噌汁の成分を聞いておれば、貴様は本来の意図した質問の答えを述べざるを得ないであろう。まさか僕がまるきり無視を決め込むなどとは考えてはいなかったようだな。

 よかろう。このカオマンガイを食しながら、ゆっくりと待っていてやろうではないか。


「……調味料は以上でございまして、実はカンショと唐茄子の二つを使いました」


 さっぱり分からなかった。駄目だな。化かし合いでは向こうに利がある。勝てん。

 僕は諦めて空いたカオマンガイの皿を渡し、次を持ってくるよう急かした。漬物は胡瓜と大根で、味噌汁は、なんだ、薩摩芋と南瓜ではないか。妙な呼び方をしおって。まったく、気に入らん。


「ところで旦那様。タイには、どういったご用があったのですか? 私、そればかりが気になっておりまして……」


 漬物を味噌汁で流し込みながら「それなんだがな」と相槌を打つ。少々特殊な事情故に、話すのに幾分かの勇気を要するが、黙っているわけにもいかない。


「用は二つあった。まず一つ目は、ナコーンパノムにいる兄へ結婚の報告をする事。実際に会って話したら、大層びっくりしていたよ。今度、お前に会わせろだとさ」


「それは是非に。して、もう一つというのは……」


「うむ。実はそちらが本命なんだがな……蘭よ。お前、下の手術はせぬと言っていたが、その心に変わりはないか?」


「……はい。私は、この身体のまま、生涯を終えるつもりです」







 ある日、僕は蘭に聞いたことがあった。性転換はしないのかと。彼女は、考える間も無く答えた。


「致しません」


 親から貰ったこの身体。我欲の為に刃を入れるなど、できようはずがありません。と、いうのが蘭の主張であった。僕はこの話を聞き、彼女の健気さに胸を打たれた。


 その時僕は思ったのだ。彼女と共に人生を歩むには、自らも彼女の宿命を背負わなくてはならぬと。








「そうか。それを聞いて安心した」


 僕は立ち上がり、ベルトを緩め、デニム生地のパンツを脱ぎ捨てて、勢いよく下着を下ろした。さぁ見ろ。蘭。これが僕の、貴様と共に生きる男の覚悟だ!


「だ、旦那様……旦那様の、旦那様が……」


「今まで、一人で辛い思いをしてきたな蘭! だがこれからは、僕も貴様と同じだ! もはや僕とお前は運命共同体! あるはずになし。ないはずにあり。まるでチグハグな夫婦であるが、なればこそお互いを支え合えるだろう! さぁ蘭! 共に陽の射す道を歩もうぞ!」


「そんな……私の為に、そこまで……御身とて、思い入れがありましょうに……」


「お前を想えば瑣末な事よ。なに。これで浮気も出来ぬし、存分に愛でてやるから、覚悟しておくように」


「旦那様!」


 僕は下半身剥き出しのまま、蘭と熱い抱擁を交わした。それにしても科学の進歩とは素晴らしい。睾丸が無くとも、男性ホルモンを分泌させる技術が確立されているのだから。雌化したら葵花宝典きかほうてんでも習得しようと思ったが、その必要はないようだ。


 しかし、思い切って切ってしまったな。とてもではないが家族には話せん。もし知れたら父、母、姉、兄。それぞれがそれぞれ。異なった反応を示した後に僕を罵倒するであろう。考えるだけで玉が縮む。あぁ。なかったなそういえば。


 だがまぁ、何とかなるだろう。僕には、最愛の妻がいるのだ。彼女がいればどのような困難も乗り越えられると、僕は、そう確信している。

 ともかく、これでようやく夫婦生活をエンジョイできるのだ。今はその幸せを、心ゆくまで噛み締めるとしよう……………………

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます