駒鳥の結婚式 後

 左右に別れた木製の椅子を見ると、僕と蘭の父母が揃っていた。

 しかしその反応は対極的で、片方は二人とも大驚失色なのに対し、もう片方の一人は余興でも観ているかのようにニヤつき、もう一人は眉一つ動かしていなかった。

 我が両親はどうも常識が欠落している。自分の息子が姉の婿を横奪する為に馬で会場にやって来たのだぞ。青ざめるなりなんなりしたらどうだ。


「随分だな愚弟。貴様が勝手に捨てた人間を拾いに来るとは。人手に渡り惜しくなったか? さもしい奴め」


 姉はヴェールを脱いで教壇に置き、純白のドレスをヒラとなびかせながら僕の前に立った。冷静な口調とは裏腹に、押し寄せる気迫が彼女の怒りを物語っている。一世の晴れ舞台を邪魔されたのだ。それは怒るに決まっているか。しかし、僕も退くわけにはいかん。


「その通りだ。故に姉上。此度は汝の婿を、嫁として貰い受ける」


「貴方様……」


 小さく呟く蘭を抱きしめたい気持ちに駆られたが、今はまだ早い。眼前に立つ、血を分けた我が姉と雌雄を決してからでなければ、僕はお前をこの手にする資格がない。


「愚かな。本当に自分の事しか考えていないようだな……貴様の身勝手な行いにより我が両親は恥をかき、蘭の父母も、実娘を誑かされ落胆している。そして、その男がまたもや娘に毒牙を突き立てようとしているのだ。心中察するに余りある」


 姉は「さらに言うなら」と、涼やかな瞳を細め語気を強めた。


「貴様は女体にしか興味がないのだろう。そんな矮小な男が、彼女の心を救えるか! 恥を知れ!」


 うむ。よく響く美声だ。罵倒されているというのについ耳を傾けたくなる。顔だけに留まらないその美麗、まさしく生きた芸術といってもいいだろう。これで頭脳も明晰で知識も豊富だというのだから敵わない。羨ましい限りである。

 その点僕は駄目だな。顔が特別いいわけでもなければ、学もない上に品もない。女から嫌われる男像を煮詰めて凝縮したような人間であるから、今日の今日まで散々と辛酸を舐め続けてきた。だが今日は違うぞ。


 醜いから何だ。無知だからどうした。下品? 知ったことか!


 こんな僕を愛してくれた女がいるのだ! 悩む事などない。二人で紡ぐ物語は、それだけで幸せに決まっている! 


 しかし、その女が今、完全無欠の人間に手を引かれ、したくもない男装をして僕の元から離れようとしている。それを見過ごせというのあれば、僕に死ねというのと同義である。

 退けぬ。

 断じて退くわけにはいかぬ!

 元はと言えば僕の弱さが原因なのだが、それがなければこの胸に宿る灼熱の愛には気付かなかった。世の中上手くいかんものであるが、終わりよければ全て良しの精神でこの場を乗り切ってみせよう! いくぞ賢姉よ! 覚悟せよ!


「それがなんだ!」


 僕は胸ポケットに入っていた手袋を姉に投げた。華麗にキャッチされてしまったがまぁいい。意味は十分に伝わったであろう。父も母も、正式な決闘ならば邪魔立てはしまい。


「この場において何をごちゃごちゃと抜かしおるか片腹痛い! 僕は蘭を攫いにきた! そして貴様はそれを阻む! 他は全て不純! 言語など不要! さぁ構えをとれ!」


 自分でいうのもなんだがいい啖呵を切ったな。自惚れてしまいそうだ。

 

「……後悔せぬのだな?」


「我、不退転也!」


「そうか。なれば、手加減せぬぞ?」


 姉は流水の如くゆるりと戦闘態勢に入った。八卦掌と空手を混合させたような独特なフォームは、異様な迫力と恐怖を与えた。


 馬鹿か僕は。恐れてどうする。攻めねば勝てぬぞ。さぁいくぞ! 歯を食いしばれ! 気合いを入れろ!


 間合いを詰める。お互いの制空権が重なり、どちらの拳も当たる距離。先手必勝と、僕が先に手を出した瞬間。姉のカウンターが綺麗に僕の顔面へと着弾。よろめきながら後退するも追撃はなし。舐めているのか?


「見た所、手を負傷しているようだが……それを言い訳にして負けて当然と吹聴されたら困る。完治するまで待ってやってもいいぞ」


 なんだその勝ち誇った笑顔は。馬鹿にするなよ!

 僕は左手に巻かれたネクタイを解き、隣にある椅子に思い切り突きを放った。鈍い音とともに椅子は破壊。そして、拳に嫌な感触が残る。痛い。骨折してしまった。大間抜けである。


「要らぬ心配だハンプティダンプティ。怪我ごときで折れる決意であるならば、今ごろ枕を濡らしているわ」


 指が折れて泣きたいほどに痛いのであるが、ここは痩せ我慢だ。


「そうか……そうだな。失礼した。手加減はせぬと言ったが、貴様を侮っていたようだ。いいだろう。これよりは全力。弟よ。死ぬなよ?」


 そう言った直後であった。姉はノーモーションから接近し、僕に殴打を浴びせる。

 関節技が主体と思っていたが、打撃もできるのか。女の身体故に一撃必殺とはいかぬ威力ではあるが、決して軽くはない。しかも的確かつ迅速に急所を狙ってくる。対応が間に合わない。当たったら確実に意識を狩られる攻撃だけに絞って守備を固めるが、それも長くは続かないだろう。確実にダメージが蓄積しているのが分かる。このままではジリ貧だ。打つ手なしか……

 いや、ある。捨て身覚悟の大技ではあるが、一発逆転の手はこれしかない。真剣な決闘故に、こんな下手は使いたくないのだが……そうも言っておれんな。仕方がない。やるか!


 覚悟を決めた。僕は姉の打撃をわざと受け、そのまま前のめりに倒れ込むフリをした。止む集中放火。やはり根は優しいようだな。そんなだから足元を掬われる。いや、というより、剥ぎ取られるのだがな!

 僕は腕を伸ばして姉のドレスを胸元から掴んだ。そして、一気に下まで、ジッパーのように二つに分けてしまい、白くきめ細やかな肌を露わにしてやったのであった。

 姉は咄嗟に手で身体を隠す。そうだろう。何だかんだで貴様は女。それもお嬢様だ。家族だけならともかく、まだ営みすらしていない婿とその家族に裸体を見られるのは大いに恥ずかしいだろう! この勝負、貰ったぞ!


 僕は体制を整え、一歩踏み込んで拳を突き出した。だが、その先は、姉の美しい顔であった……甘いのは、僕の方だったな。

 殴れるものか。芸術などまるで理解はできぬが、姉の美しさだけは、否定のしようがない。それを傷物に、どうしてできようか。

 また、それがなかったとしても、女の顔など、この僕が殴れるわけがないのだ。負けたか。いや、失敗したな。


 拳を逸らしバランスが崩れたのを見て、姉は容赦なく僕の股間に蹴りを入れ、下がった頭に膝を喰らわせた。金的だけで勝負は決していたというのに、酷いやつだ。


「貴方様!」


 倒れた僕に蘭が駆け寄ってきた。どうやら泣いているらしい。こんな僕に、涙を流してくれるのか……ありがとう。それだけで、僕は嬉しいぞ。


「すまんな蘭。僕は、お前を傷付けてしまった。お前への愛を、今までずっと気付かずにいた……情けない話だよ。そして、無理矢理攫いに来た結果がこれだ……存分に笑ってくれ」


「いいのですいいのです! 貴方様は私を迎えに来てくれたではありませんか! それに、私を愛してくれていただなんて……それを、それを笑うなど、蘭にはできません!」


 雫が顔に落ちる。泣かないでくれ蘭。僕は、お前の笑顔が好きなのだ。決闘に負けた以上、僕は敗者として去らねばならぬ。もう二度とお前と会う事は許されぬだろう。だから、最後は笑顔を見せてくれ……


「……やれやれだな。まったく、ここに至るまでに時間をかけ過ぎだ愚弟め。おかげで噛まれたくもないのに犬の役を演じなければならなかったではないか」


「……?」


「父上。母上。弟は見事に愛を成就させましたが、お二人は果たしてどちらに賭けておられましたかな?」


「聞くまでもありませんよ貴女。そんなもの、できの悪い息子の方に決まっているではありませんか」


「応とも我が娘よ。父もそちらに賭けたかったが、それでは成立せぬ故な。仕方なく逆に張ったが……負けた悔しさよりも息子の成長を見れた喜びの方が勝るというもの。今宵の酒は、ひとしおの美酒となろうな」


 人の恋路でトトカルチョか。悪趣味である。というよりどういう事だ。まさかこの展開。最初から予定に組み込まれていたとでもいうのか。だとしたらとんだ茶番ではないか!

 そんな僕の疑問に答えるようにして、破れたドレスを器用に巻きつけた姉が口を開いた。


「お前が蘭に破談を伝えた日にな。どうしてもこの恋諦めきれぬから、どうか助けてほしいと彼女から連絡があったのだ。大変だったぞ。何せ泣くに泣いていたのだから、理解するのに時間を要した」


「その都度は、ご迷惑をおかけしました……」


 蘭は顔を赤らめて謝罪をした。

 そうか。姉を頼ったか。酷な事をしたな蘭よ。姉はお前を想っているのだぞ?


「それで、私は母上に相談したのだが、そこでこの大掛かりな仕掛けを提案されたわけだ。さすがに最初は無理だろうと言ったのだが、話をしている内に段々と楽しくなってきてしまってな。それで結局、万古家のお二人共にも話を持ちかけ、決行する運びとなったのだ」


「申し訳ありません沢田様。私達は、貴方様を試すような真似をしてしまいました……」


 夫婦共々謝罪する声が聞こえた。いやあなた達が謝るのは少し筋が違うぞ。頭を上げてくれ。


「いいのですよ万古様。元はと言えば、この愚息がそちらのお嬢様を弄んだ事に端を発しているのです。どうか、お気になさらず」


 正論ではある。しかし、やり過ぎではないか。だいたいそれなら僕がここに来た時点で幕を下ろしてもよかったではないか。わざわざ決闘なぞする必要がどこにあった。

 それに、僕が来なかったらどうしていたのだ。本当に番いとなるつもりだったのか?


「……僕が、蘭を愛していないとは、思わなかったのか?」


「たわけた事を言う。馬鹿だなお前は。恋心なんてものは、側から見ていれば分かるものだよ。お前がずっと蘭を好いているのに、お前自身がそれに気付いていないのは、彼女を紹介された時から見破っていたさ」


 ……確かに家督の件は引き下がったのに、蘭との事だけは頑なにライバル意識を燃やしてきていたな。そうか。僕はあの時から、蘭の事を好きだったのか


「まぁ、お前が来ぬなら来ぬで、契りを交わしていたよ。その事は蘭も、彼女の両親にも了承を得ていた。そして……」


「そして? なんだ」


「貴様がきた場合は、そのまま新郎新婦の名が書き換わることも、皆承知している」


 ちょっと待て。僕は確かに蘭の事を愛してはいるが、結婚はまだ……


「貴方様! どうぞ、どうぞこの蘭を幸せにしてくださいませ! 至らぬ所は多分にあると自覚しております。貴方様には相応しくないとも理解しております。ただ……ただこの胸に抱いた真紅の薔薇は、貴方様への愛をもってしか潤す事ができないのです! お許しください。どうか忍んでください。ですが、ですがこの蘭! 貴方様を、好きで好きで堪らないのです! ずっと苦しく思っておりました。ずっと悲しみに暮れていました。貴方様を想えばそれだけ叶わぬ悲恋を思い描き、一人涙を流していました。ですが、もうそれを終わらせてください。貴方様。後生でございます。この哀れな蘭を貰ってください。惨めな、できそこないの女を頂いてください。子も宿せぬ身で厚かましいのは承知の上で、お願い申し上げます。貴方様。どうか、蘭を貴方様の女にしてください!」




 悲痛な叫びであった。僕は彼女のそんな声を、聞きたくはない。

 ……年貢の納め時か。

 ここまで言われて断るなど、男の片隅にも置けぬだろう。良い! しよう! 結婚!


 ようやく回復してきた身体を持ち上げ僕は立ち上がった。鼻血が固まって息がしづらいが、我慢するしかないようだ。



「沢田様……どうか、私達からもお願い致します……娘を、蘭を貰ってやってください……」


 両親共々やってきて、僕の前で地に頭をつける。この二人も、蘭を愛しているのだ。その想い、無碍にできようはずがない。


「分かりました。頂きましょう」


 僕は膝をつき、二人の手を握ってそう答えた。


「貴方様!」


 飛びつく蘭を支え、僕は再び立ち上がる。


「さぁ蘭。行こう。神父が待っている」


 神父はこの現状をどんな目で見ているのだろうか。彫りの深い顔立ちに青い目をした老人は、彫刻のように動かず僕達の方を向いている。凄いな。まったく動揺していない。さすがバチカンからの使者だ。肝が座っている。


「蘭。ドレスはそこの馬鹿に破られてしまったが、ヴェールは無事だ。せめてこれを被れ」


 そう言って姉は蘭にヴェールを授けた後に、僕の背中を叩いて「しっかりやれよ」と檄を飛ばし椅子に座った。すまんな。後で、上等な酒を買ってやろう。


 僕達は連れ立って歩き、ゆっくりと教壇の前へとやってきた。そして、読み上げられる宣誓。ありがたい事にラテン語ではなく英語であったが、残念ながら僕は日本語しか理解できない。

 それでも大体の感覚で何を言っているのかを察し、頃合いを見計らって「YES」と答え、それに続いて蘭も「YES」と述べた。そうして、また、意味の分からぬ宣誓は続けられたのであるが、神父が唱えたKissという単語だけは、しっかりと聞き取る事ができた。

 僕はヴェールをめくり、蘭と見つめあった。綺麗な顔をしている。つい、泣いてしまいそうだ。


 息が重なる。


 僕達は互いに唇を近付け、そっと触れた。薄い花弁が交わった瞬間。細やかな拍手の音が、教会内に鳴り響いた。こうして僕達は、紆余曲折を経て見事結ばれたのであった。

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