クリスマス・来たる 異 後

 こうして酒宴に一人加わったのだが、万古蘭の父親はニコニコと女達の話を聞き、たまに思い出したかのように酒を飲むくらいで至極静かであった。


「いや面目ない。どうにも、話すのは苦手でして」


 そう言って口数の少なさを自虐的に笑うも、やや皮肉めいていて余裕がある。大人の貫禄というやつか。見ればグラスを口に運ぶ仕草もさまになっているし、ある程度の遊びも経験してきたのがうかがえる。その境地が、この寡黙か。勉強になるな。


「貴方は、お酒を飲んでいらっしゃっても平素とお変わりないんですから、たまには羽目を外してもいいんじゃないですか?」


「これが性分なのさ。昔から、あがり症でね」


 熟年夫婦の語らいは物静かに執り行われていた。過剰も不足もない、実にスマートなやり取りである。過剰と不足しかない家とは大違いだ。どうしてこう差が出るのだろうか。世の不平等を痛感せざるを得ない。しかし僕の母と父が適当な会話をしているのを想像すると、二人共が腹に一物を抱えているような微笑を浮かべる恐ろしい光景が浮かんだ。これ以上は精神衛生状良くない。止めておこう


 結局、僕達男二人は黙ったまま薄い笑みを浮かべて終始酒を飲み、腰を落ち着けていた。女連中もすっかりお喋りに夢中となって、こちらの様子などちっとも気にしていなかった。聞こえてくる毒にも薬にもならない会話は酒を促進させるのに抜群で、僕は想定以上に酔っ払ってしまって顔を熱くさせたのだった。

 それを見た万古蘭が「お顔が真っ赤になっていますわ」と水をくれたのだが、腹が酒で満たされ受け付けない。これには姉も少々心配してくれたようで、「吐くなら外にしろよ」とのありがたいお言葉を賜った。


「それならば、どうですか沢田さん。酔い覚ましに、男同士で散歩でも?」


 万古蘭の父がそんな事を言った。酒の席ではほとんど口を開かなかったのもあり、若干の気まずさを予見させる連れ歩きは気乗りしなかったのだが、せっかくの誘いを無碍にするのも礼を欠く。僕は判断のおぼつかなさを酔っているせいにして、一寸の間を置いて「行きましょう」と彼の申し出を承諾したのであった。






「冷えますね」


 往来に出て五分。彼の口から初めて出た言葉がそれであった。僕は不機嫌というわけではなかったが、ここまで自ら声を発することはなかった。緊張というものでもないのだが、得体の知れない自分よりも格上の相手に対し、なんと言ったらいいか思いあぐねていたのだ。だから、彼から口火を切ってくれたのは非常にありがたく、また具合がよかった。


「もう師走ですからね。ボロ着しかない身としては、堪えますよ」


「沢田様のご子息がその様子ですと、家は越冬できそうにありませんね」


 夜空に笑いが散らばる。そうそう、こういうのでいいのだこういうので。姉め。何が風車か。気障ったらしいブリティッシュジョークなど、本来であれば退屈の極み。つまらんの一言で一蹴されるべき戯言なのだ。それを僕は、場に飲まれて負け犬の如く縮こまってしまうとは……だが、二度同じ轍は踏まん。次相対する時があれば、見事打倒してやろう。


「ところで沢田さん。娘……の事なのですが……」


「はい」


 万古蘭の父が、先ほどまでの和やかさを潜めて低く、僕に問いかけた。


「どう、思っておいでですか?」


「どう、とは?」


「……畏れ多いのですがご存知の通り、アレは、沢田さんを好いております。立場の違いは重々承知しておりますが、一父親として、その恋情が叶えば嬉しく思います。しかし、なんの因果か、アレはおかしな格好で産まれて落ちてしまった……」


「……」


「私の家の事情は知っておいででしょうが、我が万古家が困窮しているのは、私がアレの身体を、脳移植で正そうと研究機関に無理な出資をしたのが原因なのです。しかし、稼業が傾く程多額を投じても結果はかんばしくなく。遂には、家族全員に惨めな想いをさせる事態になってしまいました。悔やんでも悔やみきれません。今二人が苦しみ、悲しんでいる元凶は私なのです」


「……はい」


「沢田さん。望みのない願いなど、絶望以外のなにものでもありません。私は、情けない話。アレが、娘がこれ以上涙を流す姿を見たくはないのです」


「……お気持ちは、分かります」


「いいえ。貴方には分かりません。失礼を承知の上で申し上げます。この悲しみは、不幸を背負った娘を持つ父親にしか分からぬものなのです」


 万古蘭の父親は、ゆっくりと力強くその心の内を吐露した。

 僕には、確かに真の意味で彼の悲しみも口惜しさも分からない。いや、分かる資格がないだろう。なぜなら、万古蘭の気持ちを承知の上で、自分が決して傷付かない、付かず離れずの距離を保っているのだから。

 だがしかし、彼が何を言いたいかは理解できる。例え僕が、僕の血筋においてなんの力も持たぬと知っていたとしても、自分より上位の組織に与する人間に面と向かって吐く熱のこもった言葉を違えるなど、あるはずがないのだから。


「……そうですね。承知いたしました。近く、お嬢様に破談をお伝え致します」


「ありがとうございます。本来であれば、私が直接娘に伝えるべき事なのですが……」


「いえ。こちらこそ、いつまでも曖昧な態度を取ってしまい申し訳ありませんでした」


 僕は、万古蘭の父に頭を下げた。彼は何も言わなかったが、そこに怒りも悲しみもなく、ただ僕を受け入れてくれた気がした。





 そのまましばらく歩き、頃合いを見て帰ると客間はすっかり片付いていた。物悲しい気持ちが強まる。万古蘭との離別は、予想以上に後ろ髪を引かれるようだ。なぜだろうか。僕は、森泉が好きで、彼女の事などどうとも……


「お帰りなさいませ貴方様。お散歩はいかがでしたか?」


 万古蘭の笑顔が胸に刺さった。

 結局僕は、しばらく別れの言葉を言い出せず数日を過ごす事となる。理由は分からなかった。好きでもない相手に、好きではないと言うだけなのに……


 そのうちに万古蘭から連絡があった。それは、クリスマスの昼。家族との食事の前に、買い物に付き合ってほしいというものであった。

 僕はそれを了承し、その日に告白すると決めた。彼女との、決別の言葉を告白する日と。

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