Full-Time Lover 終

 目を覚ますと白い部屋であった。どうやら病院のようだ。この短期間で二度も世話になるとはな。

 傍らには森泉が座っていた。椅子の上で転寝をしているのだが、目が腫れ化粧が崩れている。僕の為に泣いてくれたか。次は、マスカラではなく口紅を湿らせてやろう。


 などとすましていられる状態ではない。身体中が大激痛にみまわれている。ストレスで禿げてしまいそうだ。無茶が過ぎた。長期入院コース間違いないなしである。


 しかし声を出すわけにはいかん。寝ている森泉を起こすのは気がひける。急転直下の後なのだ。疲れもしよう。今は、眠らせておきたい。

 涙と鼻水と脂汗に包まれ、僕は苦痛に悶え声を殺した。寝返りをうっただけで身体が悲鳴を上げるのだから、かなりの重症なのだろう。せっかく新年を迎えるというのにツいていない。いや、森泉と交際できるのだ。ツいてはいるのか。この怪我は、ツキの代償だと捉えよう。

 僕は笑ってみたが、鏡を見なくとも顔が引きっているのが分かった。後遺症が残らねばいいのだが、まぁ、一生車椅子でもそれはそれで構わぬか。人生などどうせ不自由なのだ。今更枷が一つ二つ増えたところで、瑣末な問題である。


 そのうちに僕は気を失った。起きたら朝日が昇っていて、森泉はいなかった。








「何があったか知らないけどね君。大変な怪我だよこれは」


 僕は昼前に眼鏡を掛けた医者にそう言われた。骨折五箇所。両上腕筋肉断裂及び縫合部開放。腰椎損傷。その他打撲裂傷多々。とどのつまり満身創痍である。


 そんなわけで入院生活が始まってしまったわけだが、飯は不味くナースはババアしかいない。ここは地獄だ。ろくなものじゃない。また、僕はクリスマスの日から一度も女を抱いていない事に気がついた。道理で催すはずである。しかし、溜まりに溜まっているのだが、腕は動かぬし腰も痛い。どうしたって発散できないのである。そんかものだから我が棒は暴発寸前でいつも天を向いており、それをババア達が艶やかな目で見つめてくるのであった。己が若さと精力が憎かった。




 そんなこんなで時は過ぎ、やって来たのは大晦日。やる事もなく、昼下がりに毎年恒例となっている国営放送の歌番組の放送前特番を眺めていると来客があった。万古蘭と、森泉姉妹であった。今日の今日まで何をしていたのだ貴様ら。随分寂しかったぞ。


「ご無事でございますか貴方様。申し訳ありません。もう少し早くお伺いしたかったのですが……」


「ごめんなさい。家の大掃除手伝ってもらってたんです。やっぱり、二人でやると早いですね」


 森泉涼子の言葉に違和感を覚える。二人とはどういう事だ。まさかサボったのか森泉。それはいかんぞ。一人だけ楽をしようだなんて、そんな我田引水な話があるか。説教だ。これは一言申さねばならぬ。


「どなたかは熱を出されまして、ずっと寝ていたんです。それが掃除が終わった途端に元気になられまして。都合のいいご病気もあったものですわ」


 万古蘭の棘しかない言葉に森泉は顔を伏せた。なんだそういうことか。体調不良ならば仕方がないな。しかし、こいつめが万古蘭に言われっぱなしというのはどういう事だ。


「いやですわ。お姉さまの前では、途端に腑抜けになるんですから」


 そういえば、根は暗くて大人しいという話だったな。確かに僕も、母上の前で平素の自分を出せといわれたら無理だろう。身内というのは、他人よりも秘密にしたい事があるものだ。そんなものだから、万古蘭を睨みつける森泉の瞳に共感を覚えた。


「いいではないか。人間というのは、多様な顔を持っているものだ」


 ここは庇ってやろう。感謝しろよ。後でしっかり返してもらうからな。


「いやですねぇ。お付き合いした途端に、見せつけてくれるじゃないですか。ねぇ蘭ちゃん。そう思わない?」


「そうですわ貴方様。見ているこちらが恥ずかしいです。ご自重ください」


 二人がいやらしい顔をして、示し合わせたかのようにニヤリと笑った。


「何言ってるんですかな姉さん! そんなんじゃないです! それと万古さん、後で話をしましょう!」


 どうやら、僕達の関係は露見しているようだ。照れるな。顔が火照る。


「ちなみに、貴方様のお母様には、破談のご報告と合わせてお伝えしておきました。年明けに顔を出すから、共々準備しておくようにと仰っていましたわ」


 馬鹿かこいつ余計な真似を!


 いや、いずれ知れることか。これは万古蘭なりの祝福だと思っておこう。しかし、そうか破談か。勝手な話であるが、少しだけ悲しい気もする。

 これも自らが選んだ道だ。得るものがあれば、失うものもある。彼女に受けた大恩は、いずれ返そう。一生をかけてもな。


「では、貴方様。私、一足お先に戻らせていただきます。貴方様もご帰宅なされましたら、ご連絡ください。またお食事でも致しましょう。森泉さんもご一緒に、ね?」


 頭を下げて万古蘭は去っていった。その際に一雫の光が落ちた事は、内に留めておこう。蘭。本当にありがとう。


「なら、私も行きますね。澄子、沢田さんはお怪我をしてらっしゃいますから、我慢できなくともあまり無理をさせちゃ駄目だよ」


「姉さん!」


 万古蘭に続き森泉涼子も笑いながら病室を出ていった。必然二人きりになる。なんとも言えない空気が場を占めるが、悪い気はしない。


「森泉」


「は、はい!」


 何だ。緊張しているのか? 妙な声を出しおって。


「本当に、僕でいいのか?」


「……馬鹿。野暮だよ。そんな事聞くのは」


 それもそうだな。僕も、くだらぬ口を聞いたものだ。卑屈はよそう。胸を張り、僕は彼女と生きていこうではないか。途中、例え道を違えたとしても、決して後悔などしないように……


「……」


「……」


 沈黙。そして、この無口は艶やかさを持っていた。テレビからは流行りの歌が流れていたが、静かだった。静寂は互いの胸の音を強める。色が増していく……






「貴方! また性懲りもなく無様な怪我をしたそうですね!」


 突然開かれる扉! 出てきたのは母であった! 来るのは年明けではなかったのか!


「は、母上!」


「お母様!」


「貴女にお母様などと呼ばれる筋合いはありませんよ森泉さん!」


 急に騒がしくなってしまった。だが、これもまたいいか。これまで苦難や辛苦は多々あったが、その全ては騒動と共にあった。それが僕の人生であり、歩むべき道なのだ。澄子よ。これからはこんな事ばかりだが、せいぜい頼むぞ。先はまだまだ長いのだからな。


「何を黙っているのですか貴方! ともかく何があったか貴方の口から説明しなさい!」


「は、はい! 実はですね……」


 いきなり難関であるが、まずはこの試練を乗り越えよう。さぁ、何から話したものか……

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