お嬢さんのこゝろ 中

 森泉の蹴りをスウェーでかわす。その攻撃はすでに見切っているのだ。当たりはしない。

 だが、蹴りを放った足を軸にされ、すぐさま放たれた二撃目の後ろ直蹴りを完璧に水月に入れられた。僕は膝から崩れ落ち、情けない声を漏らした。この威力、打点がもう少し下だったらと思うと、ゾッとしない。


「なんであんたがいる……んですか!?」


 激昂しても取り繕うか。大したものだな。


「澄子、わざわざ会いにきてくれた方に、なんて失礼を言うの」


「お姉さん。この人は私のストーカーです。お引取り願ってください」


 酷い言われようである。ここまで来るまでどれだけの時間と金を使ったと思っているのだ。妙な事件にも巻き込まれ、多難な道中だったのだぞ。労ってくれてもいいだろう。


「馬鹿な事を……この方々がそんな事をするはずがないでしょう。私はお二人を信頼しています。どうしてもというのなら、貴女が出ていきなさい」


 待て。その理屈はおかしい。僕は招かれもてなされる為に来たわけではない。森泉に会いに来たのだ。せっかく捉えたというのに、ここで彼女を見失うわけにはいかない。


「は、話しだけでも聞いてくれ……」


「知らない!」


 森泉は簡素な拒絶の言葉を吐き捨て行ってしまった。追わなければ……駄目だ、腹部のダメージが著しく動けない。失態である。そうだ。万古蘭だ。お前なら、僕の意を汲んでくれるだろう。さぁ頼むぞ。彼女を追ってくれ。


 そう思い、ちらと万古蘭を見ると悠長に茶を飲み一息吐いていた。自分には関係ないとでも言っているかのようである。実際関係ないし、彼女にしてみたら森泉は不倶戴天の敵であるわけだから消えた方がいいのだろうが、お前、僕が想いを伝えられるようにとついて来たのではなかったか?

 どうしようもなく僕は、踠きなら「待ってくれ」と蚊の泣きそうな声を発した。なんの意味も効果もない事は明白であったが、名残惜しさから声を出さずにはいられなかったのだ。


「大丈夫ですよ。あの子、昔からお腹が空くと帰って来るんだから」


 まるで犬猫の扱いである。不憫だ。

 僕は蹲りながら尺取り虫のように卓まで戻りとりあえず茶を飲む事にした。それにしても的確に臓腑をえぐってきたものだ。あれは本気で殺しにきたな。


「貴方様。最初の上段は躱さずに受けた方が良かったですね。足先がやや高かった事から、最初から避けられるのを前提に打ってきた気がします。迷いのない動作でしたから、恐らく、あの一連の流れが技となっているのでしょう」


「そう。あれは暗連といって、初撃は目潰し。回避されればさっきの直蹴りを打つんだけど、受けられた際にも両足を使った投げに繋がる大技なんだよ。まぁ、あの子に投げ技はないから、受けるのは正解だね」


「両足を使った投げ技ですか? ヘッドシザーズホイップみたいなものでしょうか」


「原理は似たようなものだけど、家には三通りあって……」




 二人は大真面目に暴力について話し始めた。わだかまりが解け仲良くなるのはいいのだが、一度冷静になって考えてもらいたい。実生活において、対人戦闘が求められる場面がどれ程あるかと。

 僕は聞いているだけで涙が出そうな野蛮な談義を聞き流し、ひたすらに腹の痛みに耐えるのであった。そして気が付けば日暮れ前。とうとう森泉は帰って来ることはなく、半日が終わろうとしていた。






「まったく帰ってこないではないか!」


 怒りに任せ叫んでみても、二人は素知らぬ風で蜜柑をつまんでいる。平穏すぎるだろう。つい先刻までの僕の悶絶と貴様らのヴァイオレンスなトークは何だったんだ。まるで空気感が違うではないか。


「確かに遅いですね。さてはあの子、外食してるのかな……せっかく久しぶり会ったっていうのに、つれないんだから」


 お前がもっと考えて喋れば結果は違ったかもしれんのだがな。


「貴方様。もうこんな時間ですし、これ以上お邪魔するのもこちら様に悪いです。日を改めてましょう。夜の予定は心配ご無用。万事はこの蘭めに任せてくださいませ。道後に丁度いい宿がございましたので、予約をしておきました。獅子につけられた傷もまだ癒えておりませんでしょうし、今日のところは、湯治に向かうと思ってお暇いたしましょう」


 万古蘭の言葉に目を瞑り、僕はゆっくりと息を吐きながら「分かった」と述べた。確かに昨日今日知り合った人間に甘え、いつまでも居座るわけにはいかない。顛末がどうなろうと温泉は最後に取って置くつもりだったが、さほど拘るものでもなし。せっかく万古蘭が僕の身を案じてくれているのだ。素直に言う事を聞いておこう。


「遠慮せずとも、ぶぶ漬けくらいなら出したのに」


 森泉涼子の皮肉めいた冗談を軽く受け流し、森泉が来たら連絡してくれと電話番号を教えて僕達は厳かな屋敷を後にした。外は陽が地平線の境まで引っ込んでおり、宙は深い鼠色を帯びて寒気を引き立てていた。寒い。


「太宰の斜陽という小説をご存知ですか? 主人公は元華族の女なんですけれど、物語の終盤に、かねてより、密かに恋い焦がれていた文通相手と出会うんです。そしたら、どんな結末になったと思いますか? 相手は醜い中年で、会ったその日になし崩し的に関係を持ってしまうんです。主人公は世の無常を想いながら、今まで恋していた相手をマイコメディアンといって嘲笑するのです」


「そうか知らなかった。して、なぜそんな話を」

 

「丁度、斜陽が目に沁みましたので」


 悪意がある。恣意的な作品紹介だ。それにふざけたラストである。ナルシシズムここに極まれりといったところか。根暗な人間らしい、ひねた物語だ。馬鹿馬鹿しい! 同じ男として恥ずかしいわ! 


「何が斜陽か! 我が人生は常に天道と共にあるというのだ! 蘭! 今宵は伴随を許す! 万里に轟く威光をしかと見届けよ!」


「はい! 貴方様!」


 僕達は道後の街を練り歩いた。飲んで食べて騒いで歌い、我こそは天高くに燃え続ける太陽の化身だと吹聴して回ったわけであるが、その結果、行く先々で大鵬さん大鵬さんと、時代錯誤も甚だしいあだ名で呼ばれるハメになった。そして僕が酒を浴びる度に、ジャイアント! プレーンオムレツ大鵬SUN! という謎の掛け声により喝采を受けひとしお、僕達は気分上場のままかの有名な道後温泉へと辿り着き、その名湯に浸かっていたのであった。






 開放感のある深めの湯船が身体を和らげる。やや傷に染みるが、我慢できぬほどではない。湯の奥には【泳がないでください】という注意書きがしてあるのだが、これは必要あるのだろうか。


 そんなこんなで気分良く湯を楽しんでいると、急に周りがざわつき始めた。何事かと思い騒がしい方を見ると、なるほど。それは皆口々に声を出すだろう。なぜなら、見るからに女の姿をした人間が、巨大な砲をつけて闊歩しているのだから。万古蘭め。恥ずかしいですわ。などと言っておきながら堂々としているではないか。侮れんやつよ。


 万古蘭は身体を洗い、ザブザブと湯に入り僕の隣へとやって来た。そうして「いいお湯ですね」と言ったきり、無言となってしまった。あのお喋りが珍しい。仕方がない。ここは、僕から口火を切ってやろう。酒も入っているのだから舌も回るし、勢いに任せて普段言えぬことも容易く伝えられるだろう。少しばかり気恥ずかしいがいい機会である。

 

「蘭。ここまで、本当に助かった。ありがとう。お前がいなければ、僕はここまで来れなかっただろう。感謝してもしきれない」


 万古蘭は黙って僕を見つめる。その瞳は複雑な色を見せ、言いようのない感情を沸き起こさせた。なぜだか心に障る。息が苦しい。


「貴方様は……」


 そんな僕に気付いているのかいないのか、ようやく口を開いた万古蘭はこう言葉を続けた。


「貴方様は、私の心をご存知ですか?」


と。

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