魔女 前

 僕は聴取の為に岡山へと連れ戻されていた。

 憎々しい事に、しおかぜが停車した位置が岡山県警の管轄であったのだ。時間はロスするは公僕には咎められるはと散々であった。

 だが、事件が事件だけに本庁への出頭も十分考えられたわけであるから、それを免れただけでもよしとしよう。





「君は本当に愚かな事をした。乗員乗客に怪我人がいなかったからいいようなものの、その行動はあまりに軽率。自戒せよ」


 僕はこの訓戒に「はい」と言って解放された。敬礼をしたかったが、また長引きそうのでそれは控えた。




 警察署から出ると外はすっかり夕方である。鉄道会社の方も、さすがに今日はしおかぜの運行を中止したらしい。無理もない話だ。仕方がない。今日はこの地で宿泊するとしよう。


「貴方様。待っておりました」


 スマートフォンを取り出して連絡しようとしたところに丁度万古蘭が現れた。待っていたか。いじらしい奴め。


「お前も絞られたか?」


「はい。危険な行動はしないようにと、注意をされました」


 ニコリと笑う万古蘭に笑顔を返した。だが、確かに方々に迷惑をかけたし、危険にも晒した。結果だけを見れば文句はないが、過程は褒められたものではない。本当に死傷者が出なくて良かった。


「そうだな……今後こんな揉め事に巻き込まれるような事態にはならぬと思うが、胸に留めておこう。ところで今日は岡山で泊まろうと思うのだが、宿は空いていると思うか?」


 万古蘭は少し悩みながらスマートフォンを開いた。だが表情は芳しくない。言わずともわかる。この時期で、しかも、僕たちと同じように岡山へ引き返した人間もいるだろう。どこも満室であるのは予想するに難しくなかった。


「ない事はないのですが、値の張る部屋ばかりですね……さすがに一人頭一泊四万円の部屋は少し贅沢が過ぎるかと……」


 四万か……確かに風族一回分だ。気持ちは渋る。しかしまぁ、背に腹は変えられん。流石の僕も今日は疲れた。布団の上で眠りたい。そこにするか……


「あの……」


 悩んでいると、ふと声を掛けられた。それは万古蘭ではない女の声……なんと、しおかぜでトレインジャックの主犯格を捉えた張本人にして森泉の性を持つ女。森泉涼子であった!


「お時間の方は、おありでしょうか?」








 僕達は繁華街にある洒落た居酒屋へとやって来た。森泉涼子が、礼を兼ねて食事をご馳走したいと言ったからである。僕は腹が減っていたので二つ返事で承諾したが、万古蘭はなぜだか黙りこくって終始怯えているような感じであった。何があったか知らんが、らしくもない。


「いやすまないね。何をしたというわけでもないのだが」


「いえ。あの状況を打破できたのは、まさに値千金の働きだと思います。私も武道の心得はあるものの、さすがに暴漢に自ら立ち向かう勇気は出ませんでした」


「蛮勇に近いものだったが、そう言ってもらえたら助かる。しかし、君のあの技の冴えは見事なものだったじゃないか」


「幼少の頃から習っていましたので、あれくらいは……ところで、先ほどは何かお困りのように見えましたが……」


 森泉涼子は少し遠慮がちにそう言って話を逸らした。うら若き女性が腕っ節を褒められて嬉しいはずもないか。

 僕は反省しつつ、現状をそのまま話す事にした。


「いや、実は宿がなくてね……」


「あぁそれなら、一件いい宿がありますよ。小さな場所でネットにも出ていない場所なんですけれど、地元の人達が飲み潰れた時によく泊まるところなんです。そこなら、多分空いていると思いますけれど、なんなら、今から電話いたしましょうか?」


「本当か! 是非頼む!」



 奇跡であった。聞いてみるものだな。これで今夜は布団の上で眠れるかもしれん。


「……」


 僕が喜びに任せビールを煽っていると、万古蘭が下を向いているのに気が付いた。そういえばここに来て、彼女は未だに一言も発していない。借りて来た猫である。どうしたのだろうか。


「どうした?」


 堪り兼ねて聞いてみると、「いえ」と言ってのそりと料理に箸を伸ばすばかりであった。ふむ。ひょっとしたら、生理がない代わりに精神が不安定になるのやもしれん。ここは放っておこう。


「確認できました。部屋、空いているそうです。二部屋予約しておきました」


「助かった。いや申し訳ない」


「いいえ。世の中持ちつ持たれつですから……」


 森泉涼子は笑顔だったが、万古蘭の様子を見て少し顔を曇らせた。まずいな。ここは僕が会話を広げねばなるまい。

 そうだ。肝心な事を聞き忘れていたではないか。森泉涼子は果たして、森泉澄子と関係があるのかどうかという事である。せっかくあいつの元へと続く糸口となるかもしれんのだ。逃す手はない。


「一つ聞きたいのだが君、森泉澄子という女と血縁関係はないか? なんでも、実家は愛媛らしいのだが……」


「あら、澄子をご存知で」


「おぉ! 知っているか!」


「はい。澄子は、私の妹ですよ」


「それは誠か!」


「はい。誠です」


 僕は彼女のこの発言を聞き、今日だけ神を信じた。藁をも掴む思い出あったが、まさか掴んだものが龍神の髭であるとは……なんという巡り合わせだろうか。


「実はな。僕達はその澄子に用があってここまで来たのだ」


「それなら、明日実家へご案内致しましょうか? 私も帰郷の途中でしたので」


 何でも彼女は岡山にある大学の医学科に通う学生であるらしかった。冬季休暇にて帰省しようとしたところ、例の事件に巻き込まれたのだという。実に不運だと思うが、こちらとしては大いに助かった。


「是非に頼む! いやよかった。まったく運がいい! 今日は飲もう! 僕の奢りだ!」


 すっかりこの食事の趣旨を忘れた僕の言葉は失笑を買ったが、ともかくとして気分良く過ごせた。そして明日も早いという事で森泉涼子と別れ、僕達は教えてもらったホテルへとチェックインした。


 そしてどれ程か時が経ち、後はすっかり寝るだけとなった時分にドアを叩く者がいた。面倒だったが開けてやると、立っていたのは万古蘭であった。僕は彼女を招き入れてやったのだが、相変わらず様子が変である。僕はコーヒーを淹れてやって話を聞くことにした。


「どうしたというのだ。まるで元気がないじゃないか」


「……はい。実は、あの森泉涼子という方のことなんですけれど……」


「あの人がどうかしたのか?」


「……怖いのです。その、理屈ではなく、彼女が私を見る際の目が、毒蛇のようで……」


 よく分からぬが失礼な話である。彼女には恩こそあれど、そのような無礼を言われる筋合いはないではないか。

 だが、こういった場合直接的に説教をしても徒労に終わる場合が多い。それに万古蘭の言葉である。無意味に他人を批判するような事は恐らくないだろう。

 ではなぜこんな話をするのか。それはきっと、本質的に彼女が苦手なのだろう。しかし正しい教育を施されてきた彼女は、それが自分でも分からないに違いない。だがそれを教え、万古蘭の心の中に影を作るのもはばかられる。仕方がない。ここは適当に言いくるめよう。


「なるほど。だがまぁ、どうせ明日までの付き合いだ。そうなればもう会う事もあるまい。済まないが、辛抱してくれ」


「……分かりました。貴方様がそう仰るのであれば、従います」


 そう言って万古蘭は、出したコーヒーを飲まずに部屋を出て行った。あそこまで悩んだ彼女は見た事はなかったが、まぁ、さすがに取って食われるという事もあるまい。

 僕は電気をつけて寝る体制に入った。程よい疲れとアルコールが、脳と身体に睡眠を与えるのにそう時間はかからなかった。

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