しおかぜ特急立て篭もり事件 前

 無事名古屋を出発した僕達は、予定通り岡山に来た。


「岡山は後楽園や倉敷が有名でございます。せっかくですから一泊して行きましょう。新たな土地で新たな発見を、蘭はしとうございます。貴方様の人生においてもきっと役立つことかと……」


 戯言を言う万古蘭を無視してノータイムで愛媛行きの切符を買う。さすがに必要のない場所で観光などする気は起きない。

 ぶつくさと文句を述べる万古蘭であったが、帰りに寄ってやると約束するとようやく静かになった。


 岡山から愛媛まではしおかぜという特急列車に乗る必要があった。到着までは正味三時間。移動だけで一日の八分の一を消費するのは贅沢な気もするが、致し方ない。


「貴方様。せめてたこ飯を購入いたしましょう。しおかぜは途中、瀬戸大橋を通るらしいのですが、それを見ながら食べるたこ飯は大変風流なのだとか。それとも蘭めには、そのような細やかな楽しみさえ享受する資格はありませんでしょうか」


 大袈裟なやつだ。しかしまぁ、移動中腹は減るだろう。どの道食事はしたい。仕方がない。僕は潤んだ瞳を見せる万古蘭に呆れながら売店でたこ飯と茶を買った。それにいちいち「ありがとうございます」と頭を下げる万古蘭の頭を固定し、そのまま車内に入ったのであった。




 電車の中は賑わっていた。僕達と同じく飛行機を使えなかった人間が紛れ込んでいるのだろう。なにせ年末だ。帰郷の途につく人々も多い。そういえば、毎年この時期は風俗嬢と過ごしていたな。わざわざ年末年始休まず営業している店を探し、姫終わりと姫始めを同時に味わうなどという偉業を達成したものだ。我ながら、中々の男っぷりである。今年はできそうにないが、来年は是非とも……


「全員伏せて手を頭の上で組め! この電車は我々がジャックした!」


 頭の中でプレイ内容を妄想していると、突然頓珍漢な事を叫ぶ男が現れた。手には拳銃が握られている。なんだ。ジャック? 電車を? 馬鹿なのか?


 航空機や船を乗っ取るのは分かる。バスも百歩譲って良しとしよう。ただ、電車はないだろう電車は。レールに沿って移動する以上、逃げ道がないではないか。意味がわからない。目的はなんなのだろうか。満州事変か? いやあれは線路の爆破だったな。


「貴方様。ここは、言う通りにした方が」


 あまりにも荒唐無稽な出来事に反応が遅れてしまった。そうだな。ここはひとまず、奴らに従おう。


 男はセオリー通りに乗客から荷物を略奪していった。僕が買ったたこ飯もその中に入っていた。そこそこ値はしたのだがな。おのれ破廉恥な奴め。ただではおかんぞ。





 間も無くしおかぜは完全に停止した。線路の中腹に佇む電車というのも珍しい。できる事ならテレビで観たい光景である。

 車内はまったく静かなものだ。皆怯えきってしまって、無駄口を叩く余裕もないようである。敵が一人であればなんとかできるだろうが残念ながらここは最後尾。少なくとも運転席で運転手を脅迫か殺害している人間がいるはずだし、普通に考えれば各車両に一人ずつは配置するだろう。しおかぜは八両編成。つまり敵は八人以上と想定される。一対一の八連戦ならまだ勝機はあるが、隣の車両から増援に来られたらまず勝ち目はない。それに人質もいる。あまり迂闊なことはできない。ついていない。ここまで来たというのにこんな不条理に阻まれるとは、遺憾である。

 そんな風に僕が椅子に座りながら、天に向かって唾を吐き出してやりたい気持ちを抑えていると、車内に男の声で放送が響いた。


「諸君。私はこのしおかぜを乗っ取った者だ。私は今日。この電車を神国大和として日本から独立すると宣言する。喜ばしい事に君達は大和国民一号生となったのだ。偉大かつ寛大な私は、君達に過剰な労働を強いるつもりはない。ただ生き、その喜びをもってして幸福を知り、生来人の持つ自由性を十二分に発揮していただきたいと思っている。水食料の心配はせずとも結構。名目上、君達を人質にとっているのだから、生命維持のため隣国である日本から無尽蔵に援助されるであろう。私達の目的はただ一つ。労働からの解放である。さぁ諸君。暴動以外は自由にしてくれたまえ。そして、どうか子孫繁栄に勤みこの大和の国民を増やして欲しい。ちなみに逃げたらその人数だけ関係のない他の人間を殺す。以上である。何か意見のあるものは、各車両にいる衛兵達に言付けするように」




 放送はそれだけであった。なんという志の低さか。頭が痛くなってくる。堕落の果ての理想郷など、単なる肥溜めに過ぎん。そんな国、例え建国できたとしても破綻するに決まっているではないか。有事の際、責任の押し付け合いに発展し殺傷沙汰になるのがオチだ。


「案外いい暮らしができるかもしれませんね」


 皮肉なのか本心なのか測りかねる発言をした万古蘭に溜息を返し、改めて周りの人間を見渡してみる。未だ不安そうにしている者や、一応の安全が保障され安堵している者と様々である。まさかとは思うがあの演説に賛同している者はいないだろうな。策は思いついたがこの阿保供に感化された人間がいたら危険だ。それに失敗した場合名も知らぬ人間の命が凶弾に散る可能性もある。簡単には動けぬか……


「あの、よろしいでしょうか……」


 僕があぐねいている間に、万古蘭が突如立ち上がり衛兵とやらに声を掛けた。何をする気だ。


「なんだ」


「私、実は妊娠しておりまして……できれば広いスペースに移りたいのですが、構わないでしょうか」


 何を言っているのだこいつは。意味がわからない。それとも、何か考えが……


「うむ。自由は保証しているし、子は国の宝。好きにせよ」


「ありがとうございます」と礼を述べ通路に移る万古蘭。その瞬間、彼女は急に前屈みとなり床に倒れこんだ。


「う、産まれそうです……」


 その平らな腹のどこに出産するまでに成長した子を宿しているか教えて欲しい。だが車内は俄かに騒ついた。


「衛兵様……こ、こちらに来てくださいませ……お伝えしたいことが……」


 迫真の演技である。彼女をよく知る僕でさえも騙されてしまいそうだ。衛兵は、万古蘭の言葉に従い彼女の元に駆けつけた。


「大丈夫か!?」


「はい。だって、孕んでなどおりませんから」


 瞬間。万古蘭の細い腕が衛兵の首に絡まる。そしてその勢いを利用して背後に回り裸絞めを完璧に極めた。ものの数秒で衛兵は失神。恐ろしい技の冴えだ。こいつ僕より強いぞ。ライオンも殺せるのではないか?


「さぁ、後は首尾よく先頭車両まで行くだけですわ貴方様。大丈夫。私、ちゃんと考えがありますので、きっと上手くいくはずですわ!」


 何事もなかったかのように立ち上がり、衛兵を縛り付けて万古蘭はそう言った。頼りになる事だ。周りにいる人間は皆唖然としているが、無理もないだろう。かくいう僕も少々動揺している。この行動力は、畏怖の対象である。

 故にこの中で万古蘭を止める者はいないだろう。いかに堕落の使途がいようとも、彼女の苛烈さの前には、その身を潜めずにはいられない。


「これは城攻めでございますね。もう城内ですけれど」


 クスリと笑う万古蘭。心配事もあったが、こうなった以上は進むしかないないだろう。


「よし。覚悟は決まった。共をせい!」


 僕は立ち上がり、声を控えめに張り上げて決意表明を行なった。いいだろう。やるからには完遂だ。迷いは払われた。敵本陣に向け、さぁ行軍だ!

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