風と共に去らないで 後

 松田がいたのはいつぞや万古蘭と森泉と飲んだチェーン店の居酒屋だった。奴は金があるくせに安い店を好む。貧乏人が喚く姿が笑えて仕方がないそうだ。

 自動ドアをくぐり、店員に連れがいるというと、やる気なく個室に案内された。


「傷は癒えたか?」


 軽薄な笑みを浮かべる松田の対面に座り、「森泉は?」と間髪入れずに聞く。 今は無駄話をする気分ではなかった。

 だが松田は飄々としており、僕の方に出されている猪口に酒を注ぐ。飲まねば話はできんというか。仕方がない。僕は一口で酒を乾かし松田を急かした。


「忙しいやつだな。ほら、もう一献」


「森泉は」


 二杯目の酒を注ぎ、また自分にも手酌して松田は唸った。もったいぶりおって。早く話せ。


「簡単に言うとだな。奴は故郷へ帰った。愛媛の松山の外れらしいが、住所までは知らん」


「よし分かった」


 行けばなんとかなろう。ともかく土下座謝罪だ。他に道はない。行くぞ伊予国! 蜜柑の香りが僕を呼ぶ!


「まぁ待て。少し話を聞いていけ」


「お前の酒に付き合っている暇はない」


「……俺とあの跳ねっ返りはな。昔深い仲だったんだ」


 ……頭か耳がおかしくなったのかと錯覚したが、店員が新たな客を迎えて、隣の個室に入れたのが聞こえたのでそれはないと分かった。馬鹿な。いつだ。いつからだ。まさか、ごく最近の話ではなかろうな。


「とは言っても高校一年の頃に、僅か一ヶ月恋人遊びをしただけだがね。あいつの肌の温もりも知らんし、知りたくもなかったよ」


 なんだ驚かしてくれる。プラトニックな子供の恋愛ごっこではないか。取るに足らぬ。しかし、何故それを今……


「お前、奴がどうしてイカれたか、知りたくないか?」


「……お前が関係しているのか?」


 しばし沈黙。そして酒を一杯飲んで、松田はまったく笑わずに「愉快な話なんだがな」と、吐き捨てるように語り始めたのであった。


「あれは一年坊だった頃だ。ようやく親の目の効かぬところへ逃げ出せてのぼせ上がっていた俺は、入学初日から派手に遊び洒脱に励んだ」


 それは知っている。クラスは違えどかねがね噂は聞いていた。同級生に阿呆が一人いる。と。


「そんなものだから女の知り合いも増えてな。だが、不自由はしなかったがどれもすぐに飽きてしまった。当然だ。俺のような男に拐かされて遊びに参加したがるのは、中身のない人間がほとんど。大量生産品ほど、退屈なものはない」


 松田は嘲笑した。刺し殺してやりたい気持ちを抑えながら、僕は頷くだけに留める。


「そんな折だ。一人の女が、俺に愛の告白を打ち明けてきた。古風にも恋文を下駄箱に忍ばせてだ。俺は笑ったよ。かような女がこの二十一世紀に存在するかとな。そこで俺は指定された場所に行き、恋仲となる事を承諾したのだ。その時に思った。こいつは、他の連中とは違う。きっと面白いに違いないぞと。だが、その予想は見事に裏切られた。そいつもそいつで、つまらない女だったのだ。喋りもすっとろく、発言に創造性がない。どこに行きたいと聞けば貴方に任せます。私はどこへでもついて行きます。などと抜かすのだ。実に腹立たしい。おまけに貞操観念は鉄壁で、接吻すら拒む有様。呆れ果てた俺は言ってやったのだ。貴様はつまらん。そもそも処女が嫌いだったのを、悪いが失念していた。許せ。そして、二度と俺に話しかけるな。とな。そしたらしばらくした後、そいつは何を思ったか缶コーヒーを膣に突っ込んだ画像をメールで送りつけてきた。そして、これでまた付き合えるよね? などといってきたのだ。寒気がしたよ。関わり合いになるのではなかったと、俺は初めて自らの行いを後悔した。また奴の奇行が始まったのはそれからだ。あらゆるところでトラブルを起こし、事あるごとに問題を生じさせる人間に奴はなってしまった。それでその都度に俺の目を見て訴えかけてくるのだ。どう? 私はもうつまらなくないでしょう? とな」


「……その女が、森泉だと」


「そうだとも!」


 ふざけるなよ! 貴様がそもそもの原因ではないか! 諸悪の根源たる人間がなにを被害者面して抜かすか!

 僕は腰を浮かし、力を込めた拳を振り上げた。だが、それを松田に向けることはできなかった。


「殴らぬのか?」


「お前を殴ったところで、仕様のない事だ」


 そう。仕様がないのだ。森泉の過去がどうあれ、今現在こうなってしまった結果は僕の言葉に起因している。今ここで松田を殴るのは、八つ当たり以外の何者でもない。


「前にお前に話した教員共との営みも送ってきてな。奴との関わりはロクでもないことばかりであったが、これだけは笑わせて貰ったよ。いやはや思わぬ副産物であった。なにせ……」


「もういい。分かった」


 僕は松田の言葉を遮り、空いた猪口に酒を注いだ。聞きたい事は聞いた。後はもう、知らなくて良い事だ。


「あの女に、つまらない。は禁句だったな。お前は地雷を踏み抜いてしまったのだ」


 どうにも森泉は心が少し難しい人間のようだ。今までは、無理をして無茶をしていたのだろう。しかし、そうなるとやはり、僕は自分の気持ちに不安が生じる。


「僕は果たして、僕の知らない時のようなしおらしい、本当の森泉を好きになれるだろうか……」


「ウェルテルよりくだらぬな。そんなもの、俺が知るか」


 もっともな話だ。それでは、別の事を聞いてみよう。


「気になっていたんだが、どうして俺と森泉に何があったか知っているのだ」


「あいつから電話があったのさ。散々愚痴って、終いには、実家に帰るから沢田君には言わないで。などと抜かして切りおった。愚かな奴だよ」


 黙っておけと言われた事を簡単に話すのか。なんという奴だ。


「……お前は、約束さえ守らぬのか」


 僕の言葉に松田は大いに笑った。まるで信じられない人間を見るかのような目をして、声を響かせたのだった。


「お前は本当に女心が分からん奴だな。そもそも本当に居場所を知られたくなければ、俺に電話などしてこないし、わざとらしく伝えないでくれなどと言うものか」


 なんだと。どう言う事だ。わけが分からん。僕が「どういう意味だ」とそう口に出そうとした時、突然部屋の障子が開き、「その通りですわ!」と甲高い叫びが聞こえた。その声はいつもよく耳にしている、馴染みのあるものであった。


「蘭……」


「はい! 私でございます!」


 そう。万古蘭である。なんというか、また絶妙なタイミングだ。


「お前はいつぞやの変態ではないか」


「スケコマシはお黙りになってください! そんな事より貴方様です。退院祝いに駆けつけてみれば何か様子がおかしい。尾行してみれば早速色街。それだけならまだしも、先ほどから黙って聞いていればまったく……煮え切らない上に、唐変木が過ぎますわ!」


「何を……」


「あの女などどうなろうと知った事ではありませんが、貴方様のその態度が気に入りません! このまま黙って見過ごして、いない女の幻影を見続けられても困ります。白黒、ハッキリさせましょう! 大丈夫です。愛媛までのチケットはスマートフォンで予約致しました。ただ、予報では明日から大雪。しからば陸路。鉄道にて、まずは名古屋に向かいます! いいですね!」



「は、はい……」


 万古蘭の勢いに負け、思わず首を縦に振ってしまった。しかし、確かに彼女の言う通りである。何を迷っていたのか僕らしくもない。


「蘭」


「なんですか」


「すまんな。助かる」


「……はい! 貴方様の為ですから!」


 呆れる松田をよそに、僕は酒を飲み干し金を置いて万古蘭と共に帰った。ひとまずは準備。そして朝日と同時に出発だ。待っていろよ森泉。未だ僕の心に迷いはあるが、道中できっと、答えを見つけてみせようではないか! そして失言の謝罪だ。陳謝の言葉は、愛媛に着くまで考えることにするしよう。

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