クリスマス・来たる 後

 睨み合いが続く。ライオンの獣臭が強い。

 牙を見せられ唸られると戦意が削がれそうだ。恐ろしい。しかし、考えてもみれば元は飼い獅子。人馴れしていて襲ってこないという可能性も……


 刹那の出来事であった。ライオンの片足が僕を目掛けて飛んで来た! 即座に十字受けにて対応! 一撃が重い。両椀がもげそうである。

 甘い考えであった。所詮は獣か。しかし、やはり強い。腕が軋む。だがまだもげるわけにはいかないのだ。僕はそのままライオンの腕を掴み位置を固定した。太い上に脂で滑り気のある体毛。長くは持っていられない。森泉よ。今の内に……と、なんだ。後ろからパシャリと軽快な音がしたぞ。というより聞いたことがある。それは、紛れもなくスマートフォンにて写真が撮られる際に鳴る音であった。


「沢田君! いい画が撮れたよ!」


 馬鹿かな? こんなときに激写してどうする。早く逃げろ!


「は、早く逃げろ……」


「待って! 今ライオンの殺し方検索してるから! えっと……ゼロ距離にて気道を締め、相手の自重を持って絞殺する……だって! あ、ごめん! これ熊の殺し方だった!」


 こんな状況でふざけている場合か! 僕は森泉があまりに傾奇くものだから、つい振り返って睨み付けてしまった。するとどうだろう。彼女は椅子から転げ落ち、地べたに座って震えながらスマートフォンを操作していた。なるほど腰が抜けていたか。

 どうする。作戦を変えるか? そうなると浮上する案は、ライオンにダメージを与え撤退させるか、殺すかの二択である。しかし、前者は他の人間が被害を被る恐れがあるし、後者は罪なきライオンをこの手にかけなければならない。かつて猫を喰おうとしておいてなんだが、無益な殺生は避けたい。あの時は腹が減っていたのだ。仕方がない。許せヘミングウェイ。

 そもそもライオンに対して有効打を放てるのかという問題がある。これを解決せぬ事には、いずれも実行は不可能だ。どうする……森泉の回復を待つしかないか……それまで僕は耐えられるのだろうか。自信がない。

 


 うだうだ考えている間に腕に激痛が走った。ライオンの方を向きなおすと、残った前脚で僕を引っ掻いたのが分かった。そして迂闊な事に、僕は掴んでいた片足を離してしまった。ライオンの容赦ない連撃が襲う! ガードをしているが、駄目だ。爪は防ぎきれない。出血がひどい。


「マサイ族は、槍一本でライオンを殺すと成人として認められるんだって……槍って、アマゾンで買えるのかな……」


 いかん。森泉が錯乱している。マサイ族はアマゾンではなくケニアの先住民だ。奴め、思ったよりも動転しているようだ。どうにかせねば。というより僕もそろそろ限界が近い。最後の力を振り絞りろう。よし!

 僕は、ライオンが攻撃する合間に発生する僅かな隙をついて両前脚を掴んだ。これで多少は持ち堪えられる!


「逃げろ澄子! お前には死んでほしくない! 好きだぁ!」


 届け僕の想いよ。そして抜かしている腰を入れて逃げろ森泉。ライオンの全体重をかけられている僕に、もはや助かる見込みはない。押し潰され、噛まれて死ぬ。生きながらにして食われてしまうのだ。そんな最後は御免被りたかったが、致し方なし。お前の為に命潰えるなら本望よ。男として、立派に果ててみせよう!

 ライオンの野生の息吹が僕の顔にかかるまで接近している。駄目だ。限界だ……狩られる……


 そんな時に、にゃーと場にそぐわぬ鳴き声が響いた。猫だ。どこだ。隣だ。なんだヘミングウェイではないか。こんな所で一体何をしているのか、しきりににゃーにゃー鳴いている。黄泉への手向けか、それとも食われかけた事への恨み節か。いずれにせよ、最期を看取ってくれるか…………………にゃーにゃーにゃーにゃーうるさいな! 死に際なんだ静かにしていろ!


 僕が激憤していると、突然ライオンの圧がなくなった。何があったかと思えば突然離れ、どこかに向かって歩いていく。まさか、ヘミングウェイが助けてくれたのだろうか。いやいや妄想がすぎるだろう。だいたい同じ猫科とはいえ意思疎通ができるだろうか? あり得ない。空想的すぎる。

 いやしかしどうだろう。奴はわざわざ頭を下げるような猫である。ない事もないかもしれん。

 悩みながら、そっとヘミングウェイを見る。すると、僕を一瞥してから彼女はどこかへ行ってしまった。むぅ……猫よさらば……


 そんなことをしている間に人々の悲鳴と歓声が響いた。見るとライオンが倒れている。無体な。急いで駆け寄りライオンに手を当てると、まだ息があった。ダートが刺さっているのを見るに、恐らく麻酔銃だろうが……そうこうしていると、遠くから「離てください」と叫ばれた。 分かったいう通りにしよう。僕はその叫んだ相手のところまで向かった。


「それは麻酔銃か?」


「はい。怪我は大丈夫ですか? すぐに救急車に……」


「僕の事などどうでもいいのだが、あのライオンは、これからどうなる」


「……人に手をかけましたので、癖になってしまったようなら、処分されます」


 僕は「そうか」と呟き、血まみれの腕でスマートフォンを取り出し電話をかけた。


「父上! クリスマスプレゼントが欲しいのですが!」






 眼が覚めると白い天井が見えた。絶対にあの台詞は呟かんぞ!


「お気付きですか!」


 声のする方を見ると万古蘭がいて、いつものようにまくし立てた。それに……兄以外の家族が勢揃いではないか! 逃げなければ!

 身体を起こしベッドから飛び降りると腕に凄まじい痛みを覚えた。腕に巻かれた包帯に血が滲んでいる。混乱している。頭を整理しよう。よし。我、状況を把握。察するに、父に電話した後に失神。救急車にて病院に搬送。そして治療を施されてベッドに安置。現在に至るというわけだな!


「馬鹿! 何を遊んでいるのだ!」


 姉が慌てて僕を捕まえベッドに寝かし付けた。ふむ。中々に柔らかい感触。ライオンとは大違いだ。


「放っておきなさい。まったく。雌の獅子と戯れた程度で、大袈裟なのですよ」


 母よ知っているか? ライオンは雌が狩りをするのだぞ?


「いの一番に駆けておいて、お前のその態度は笑わせてくれる」


 父が愉快そうにそう言った。笑うのはいいのだがもう少し声量を抑えて欲しい。そう豪快だと傷に触る。そして母の目線が痛い。調子にのるな。という意味であろう。



「父上。電話の件なのですが……」


「その事なら心配無用だ。この歳の倅に伴天連祭の音物を催促されるとは思いもよらなんだがな」


 父はやはり無遠慮かつ豪快な笑い声を響かせながら語った。ライオンは実家で飼う事。本来ライオンが送られるはずだった先の動物園に一頭送る事。そして一頭だけでは哀れだろうと、もう一頭雄のライオンを買い、更には飼育員まで雇った事を。


「何から何まで申し訳ありません」


「なに気にするな! 瑣末なことよ!」


 父は僕の肩を強く叩いた。おいまた出血したぞ! これでは治らないではないか!

 父の無茶に憤って更に出血量を増やしていると万古蘭が慌てて包帯を変えてくれた。ありがたいのだが、こういう事は普通身内がやるのではないのか?


「貴方様。そろそろ会が始まります故……」


 僕を無視して母が言った。会? はて。何のことやらと思い、病室に掛けられている時計を見る。御誂え向きに日付も表示されるタイプであり、そこには二十四日と刻まれ、針は夕刻少し過ぎを指していた。なんだ。一日二日寝ていたと思ったら一時間程度ではないか。存外、軽症のようだ。


「あいわかった。では行こう。そして息子よ。まさか貴様が獅子と一戦交え生還するとは思わなんだ。男子三日会わざれば刮目して見よというが、誠その通りであったな。父は貴様の成長を嬉しく思うぞ!」


 父のありがたいお言葉を合図に家族達はぞろぞろと病室から出ていった。別にいいのだが、もう少しばかり気遣って残ってくれてもいいのではないだろうか。残られてもそれはそれで困るのだが、気持ちというものがあろう。致命傷以外はかすり傷という滅茶苦茶な価値観はそろそろ改めて貰いたい。


 また、万古蘭のように家族がいなくなった途端はばかることなく泣きに泣かれても困る。中間を用意してくれ中間を。

 やっとの思いで万古蘭をなだめて彼女の家族の元へと向かわせ数時間。本日は病室で寝泊まりすることになっているのだが暇である。テレビも見たくないし音楽も聴きたくない。かといってなにも刺激がないのは退屈だ。


 そういえば森泉はどうしているだろうか。見舞いにも来ないとは薄情なやつだが、まぁ、命があればそれでいいか。どうせ今日買ったクソの役にも立たぬ物品でも眺めて悦に浸っているのだろう。

 彼女の事ださもありなんと目を閉じれば静寂と暗闇。これほどゆるりとした時間も久しぶりだ。いつもは働いているか遊んでいるかのどちらかである。滾る血潮を持て余すが、たまにはよいか。意識が次第に薄れていく。あぁ落ちるな……


 








 意識が戻る。何者かに揺すられている。せっかくの眠りを妨げるとは、無粋な奴だ。いったいだれだ。文句を言ってやる。

 不愉快ながらも目を開けた僕の傍にいたのは、なんと森泉であった。


「おはよう」


「おはよう……」


 暗闇の中、微かに照らす明かりが彼女の顔を映す。その表情は、なんともいえぬ深さと、儚さが同居しているように思えた。

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