クリスマス・来たる 前

 兄の件は片付いた。帰ったら置き手紙に【世話になった】とだけ置いてあり、少し切なくなった。

 そして、またいつもの日常が始まり、仕事をして、稽古に励み、森泉の店に行きつつ、姉や松田。時には万古蘭と飲んだりして過ごした。一ヶ月二ヶ月と時が進み、いつの間にやら年の瀬である。そんなある日に僕は、ババアに店をしばらく閉めると言われたのだった。


「経営不振か?」


「馬鹿を言いなさんな。こっちじゃ手に入らない素材やら食器やらを見つけにいくんだよ。ついでに、主らの正月休みも兼ねておる」


 どれくらいかかるのかと聞けば来週から二ヶ月と言った。さすがそれだけの期間を万古蘭に任せきりにはできぬか。長い冬休みであるが、まぁいいだろう。このところ金も森泉の店くらいでしか使っていないからそれなりに余りがあった。生活はできる。


「それでのぉ、店の片付けやら何やら手伝って欲しいんだが、どうかえ?」


 二つ返事で快諾。仔細ない。面倒だが義理はある。やらぬわけにはいかなかった。

 そして翌週。休みの前。ババアの指揮の下、万古蘭と、もう一人の従業員と共に一時的な閉店作業を行うのであった。


「寂しくなりますね」


 万古蘭がそう言った。


「たった二ヶ月ではないか」


「それでも、寂しいものは寂しいのです。私はここにきて多くの事を学びましたし、またこれからも学びたいと思っていました。その時間が、短期間とはいえ、なくなってしまうのです……すぐにまた戻ってくるとわかっていても、寂寞の物悲しさが、私の胸に響くのです。強く気高く生きる貴方様には、蘭のこの弱さは理解できぬとは思います。お恥ずかしい限りです」


 別に強くも気高くもないのだが、確かに万古蘭の気持ちは分からなかった。二ヶ月などあっという間である。彼女もそれを踏まえて寂しいと言っているのは重々承知しているのだが、いやはや、乙女心というのは度し難いものよ。

 憂愁に浸る万古蘭をよそに着々と片付けは続けられ、思ったよりも早く作業は済んだ。


「助かった助かった。お主ら若いのがおってよかったわ。ほれ、ボーナスをやろう。帰りになんぞ美味いもんでも食べたらええ」


 なんと! 一服しているところにババアがそんな事を言って封筒をくれたのであった。奇妙なこともあるものだ。明日は雨だな。これは今日のうちに使わねばならん。どれどれ中身は……


 封筒には三千が入っているだけだった。僕はそれを抜き出しババアに抗議の視線を向けるとニヤつきながら「能力給だよ」とのたまった。おのれ妖怪。早いところ三途の川を渡ればいいのだ。

 しかしそうなると他が気になる。ババアから目線を変え、チラと万古蘭の方を向くと、彼女は僕から目を逸らした。ははぁ。こいつは僕より多くもらっているな? けしからん。


「いくら入っていたのだ蘭。教えたまえよ」


「……貴方様と同じくらいです」


「ほほぉ……それにしては随分挙動が不振なんじゃあないかね。僕はね蘭。何も君が羨ましくってこんな事を言っているわけじゃあないんだよ。ほんのちょっとした好奇心さ。子供の頃、虹の根元は何処にあるんだろうと想像した事があるだろう? それと同じさ。だから大丈夫だよ。例え君が諭吉の束を頂いていたとしても、僕はチクリとも気にしないんだから。さぁいくら入っていたか教えなよ」


「く、口調がいつもと違うじゃありませんか! 嫌ですわ嫌ですわ! そんなお金に卑しい貴方様のお姿を見たくありませんわ! 渇しても盗泉の水を飲まずの精神こそが貴方様の性根ではありませんか! それを宵越しの銭の多少でなんとみっともない! あ、あまり私を失望させないでくださいませ!」


 甲高い声で叫ぶ万古蘭が何やら愛おしく思えてしまったのでこの話はここで終わろう。しかしやはり気になったので、その場でババアに聞いてみると気にする事なく「二十万」と答えた。僕の約七十倍か。万古蘭の働きぶりを考えれば、妥当なところだ。「雇主様!」と暴れる万古蘭を制し、「良しお大臣。今日はお前の奢りだ」と無理やり今晩食事の約束を取り付けたのであった。






 仕事は無事終わり、各々一旦帰ってまた集まる事になった。そうして、いつものように万古蘭を送り届けた帰り道である。空き地で野犬が吠え立てているのが見えた。何事かと思い注視してみると、子連れの猫が狂犬の前に立っているではないか。ふむ。義を見てせざるは勇無きなり。いかに畜生といえど、子に手を出すのは許せぬ所業。残飯でも漁っていろ犬風情。僕はそのまま轟雷号にて突貫を開始。見事目標に着体。敵性戦力の撤退を確認。作戦終了だ。


 猫共は未だ怯えているようだが無事なようだ。よしよし。人間社会のルールにより餌はやれんが強く生きるのだぞ。

 誰に語るわけでもなく「達者でな」と僕が離れようとすると、親猫が軽く僕のズボンを引っ掻いて頭を下げた。なんと殊勝な畜生であろうか。猫にしておくには惜しい逸材である。と、この猫、どこかで見たと思ったらいつぞやに僕が腹に収めようとした猫であった。因果な話だ。しかしこれもまた縁。無事子を産んでくれてよかった。健やかに生きろよヘミングウェイ。僕は野良に勝手に名付け、軽く撫でてからその場を後にした。








「もちろん私も行こう。しかしちと用があってな。とはいえさほどかからんから、どこかで待ち合わせしたいのだが」


「では駅前でいいだろう。時間は……」


 帰宅して、部屋にいた姉も万古蘭との食事に誘った。数は多いに越したことはない。万古蘭にはお前が出すのだぞと言ったが半分は出してやろう。さすがに全額払わせるのは酷というものである。

 そうして一休みしている間に姉が出て行き、またしばらく経った。時間的には丁度いい塩梅である。僕は安いコートで着飾って、待ち合わせの場所へ向かった。


 街はクリスマスムード全開。まったく賎民共めが。毛唐の儀式によくもまぁ踊らされるものだ。僕など一度たりとも女人と過ごしたことはない。国民栄誉賞を頂きたいくらいである。毎年毎年白だの赤だの緑だのと、目が潰れてしまうわ。

 浮ついたムードに腹を立てながら万古蘭を待つ。しかし一向に来る気配がない。ババアの太っ腹といい、珍しい事が続くものだ。いつもなら十分前には来ているはずなのに、今日に限って遅刻である。迷子にでもなったか。気になった僕は探索に出る事にした。すると、あっけないほど簡単に発見したのだが、様子が変であった。知らない男達と話している。近づいてみよう。


「おいオカマ◯コ君。何とか言ったらどうだ? 散々家に世話になっているんだろう? 裸になって、三つ指ついて感謝しろよ」


 万古蘭が絡まれている。可哀想に震えているではないか。しかし、なんという下劣な男だ。


「お願いします。もう許してください……」


「許す? 何を言っているんだ。まるで俺がお前を苛めているみたいじゃないか。なぁみんな、俺はこのオカマ◯コ君を苛めているのかなぁ?」


 下衆な男の問いかけに「いいえ」と笑いながら返事をするクズ共。見るに耐えんな。


「おい」


 僕は万古蘭の前に出て、下衆を睨んだ。皺一つ刻まれていない、深みのない面だ。まるで迫力がない。


「貴方様!」


「なんだお前? 邪魔しないでくれるかな?」


「どこの誰だか知らんが、僕の連れに謝ってもらおうか。無論全裸で、地に頭をつけてな」


 僕がそう言うと男達は下卑た笑い声を上げた。まったく品のない。僕だって夜以外はもう少し上品なはずだぞ。


「おいオカマ◯コ。こいつに教えてやれよ。俺が誰で、お前が誰のおかげで……」


 面倒なので顔面に直突きを食らわせてやった。鼻血が飛び散り周りから悲鳴が響く。まったく、軽く撫でただけで大袈裟ではないか。


「貴方様! お止めくださいませ! この方は小沢繊維の社長様のご子息でございます! 我が万古家が窮地の際、援助して頂いたご恩があるのです!」


「そうだ! どこの誰だかしらんが、俺を怒らせれば貴様なんぞ簡単に殺せるんだぞ! おいオカマ◯コ! お前も許さんがまずはこいつが先だ! どこの誰か教えろ!」


 吠える男に狼狽える万古蘭。いいだろう。そんなに聞きたいなら教えてやる。僕は……


「聞きたいか二流会社の倅。沢田の者だ」


 突然後ろから声がしたと思ったら姉が立っていた。まったく良いところを持っていく。


「沢田……!」


「そう。経営難に喘ぐ貴様らに仕事をくれてやっている世界的大企業。MBSを統括する一族の宗家だ。しかし、よくもまぁ我が一族が懇意にしている人間に下品な言葉を浴びせかけてくれたものだな。ちなみに私は家長となる予定なのだが、どれ、この際だ。貴様の名を覚えておいてやる。言ってみろ。それとも、貴様の親父にこの粗相を報告した方が早いか?」


 姉は懐から沢田家の家紋が入ったプラチナのバッチを見せつけた。まるで印籠である。今度は男が震えあがり、全裸にはならなかったがひたすらに頭を地面に擦り付けている。中々に見応えがある。酒が進みそうだ。

 そうこうしていると警察がやって来たのだが、男は自分で勝手に倒れたと言い続けた。そんなわけで僕達はさっさと解放されたのであった。これにて終幕である。







「思ったより男を見せたではないか弟よ。見直したぞ」


 飲み屋街を歩き、どこに入ろうか物色しながら姉が言った。


「いいところは姉上にとられてしまったがな。だがまぁ、狼藉者に一発入れてやれたんだ。格闘技をやっていた甲斐があったよ」


 冗談を吐くのが心地いい。善業はするものだな。


「大変申し訳ありません。私のような人間の為にお二人に多大なお手間とご無礼をかけてしまいました……この度あなた方様の家名を出してしまった以上は、少なからず問題が生じてしまうでしょう。その際は私が何としてでも責任を……」


「つまらん事を言うな。だいたいお前は家に嫁入りするつもりなのだろうが」


「そうだぞ蘭。また、たとえその嫁入りができなくとも、私がちゃんと守ってやる。君は私にとって大切な……友人だ! 気に病む必要はないぞ!」


 姉め日和ったな。ここで愛の告白でもして抱きつきそのままホテルにでも消えてくれればよかったのだが。

 しかしこれもよかろう。僕達はいつぞやみたく邪魔もなく、三人仲良く盃を交わすことができた。ほろ酔い気分で冬の風が心地いい。よし。こんな日は風族である。僕は万古蘭を姉に任せ、森泉の店へと向かったのであった。別れ際、万古蘭が鋭い睨みを利かせていたが、気にしない事にした。

 予約は完了。足取りは軽い。夜はまだまだ長いが、足は勝手に早くなる。さぁ楽しもう。ここからが、男の時間なのだから。

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