兄Q正伝 後

「……無理です。勝てません」


 アルバイト終わり。ババアの店にて聞いた万古蘭の弱気に驚天動地の衝撃を受けた。それでは何もかもがご破算だ。どうにかならんのか。


「お前だけが頼りなのだ!」


 僕は膝をつき万古蘭にすがりついて声を上げた。しかし彼女は動かない。見上げてみると、なんとも神妙な面持ちで僕が持ってきた女作の麻婆豆腐を見つめている。


「技術だけなら互角でしょう。いい仕事をしていますが、私も劣らぬ腕があると自負しております。しかし……」


「しかし?」


「この麻婆豆腐。私の知らない香辛料か何かが入っているんです。最初は花椒と思ったのですが違う。痺れるような辛味の中に、まろやかさと旨味が凝縮されて、舌の上で花火のように弾けるのです。貴方様。これを作ったお人が何を入れていたが、分かりませんか?」


 そう言われても僕は料理などせぬし、材料だってほとんどが買ってきたものだ。分かるはずが……


「あぁ。そういえば、なにやら持参していた小瓶から一杯すくい上げかけていたな……」


「恐らくそれです! それが何か分かりませんか!?」


 分かったら教えているだろう。僕に頼るな。自慢ではないが無能なのだ。解決などできるはずがあるまい。

 項垂れる万古蘭。うむ。気まずい。抱きついたままだった僕は立ち上がり、改めて麻婆豆腐を一口食べてみる。確かに不思議な味がするような気もしないでもない。しかし麻婆豆腐ぐらいで大袈裟な話ではないだろうか。今日日鶏の鳴き声みたいな名前をした即席パウチでも十分美味いのだ。そも麻婆豆腐は労働者に安く出す為の料理だったと聞く。庶民の味にそこまで手を加えるのは本末転倒というものではなかろうか。


「おや。麻婆豆腐かい。少しいただくよ」


 いつの間にかババアがいた。売上計算が終わったか。金勘定を始めて十分も経っていないというのに、仕事の早いことだ。


「なんだ@@@(聞き取れず)が入っているじゃないか。これを作ったやつは分かってるやつだね」


「なんだそのわけの分からん単語は……」


「知っているのですか雇主様! 是非ともお聞かせください!」


「@@@だよ。花椒に……」


 ババアは説明をしてくれたがよく分からなかった。万古蘭はそれをメモ書きしていたが、ババアの話が終わる頃には何故だか意気消沈し、肩を落としていた。


「駄目ですわ……その@@@を作るには、日本では手に入らないものが多過ぎます……」


 この交通網が整備された時代にそんな話があり得るのだろうか。眉唾物である。しかも何故そのようなものがあるとお前は知っているのだ。不思議である。


「何か事情があるのかえ?」


 そう聞くババアに僕は一連の騒動を話した。すると少しばかり間を開けて、ババアは口を開いたのであった。


「なるほど。仕方ない。本来@@@は高級品。店の料理にもあまり入れたくはないんだが、少しだけ分けてやろう」


「本当ですか!」


「あぁ。ただし使い方は自分で見極めるんだよ。一瓶やるから、勉強するんだねぇ」


 ちゃんと用法用量も教えてやってほしいのだが良しとしよう。いつものようにおぞましい笑いを浮かべるババアであったが今回に限り大変頼りになる。むしろ助っ人をババアに頼んだ方が早い気さえする。しかし待て。奴の事だ。その代償として、なにを要求してくるか……よし。保険を掛けるとしよう。僕は万古蘭にバレぬよう、そっとババアに耳打ちをした。


「なるほど。よかろう引き受けた。ただし、約束を反故にするようなら……」


「大丈夫だ。任せておけ。大船だ」


 やる気を漲らせ喋りながら帰り支度をする万古蘭を背に、僕はババアと握手を交わした。やれるだけの事はやった。後は、待つだけである。







 そして当日。例の女が、僕の部屋へとやってきたのであった。また勝負が曖昧にならぬよう、作り比べで白黒つけるという取り決めとなった。


「地獄へ堕ちる準備はできたか虫。いかに丈夫ちゃんふーの弟とはいえ、私をコケにした以上はその血で償うか私を納得させる他ない。そして後者はまず不可能。貴様は絶望と悔恨と、想像を絶する苦痛に溺れ、無様を晒し死ぬしかないのだ。そこな知らん顔の女……いや、貴様男か? いやいい、つまらん事だ。ともかく貴様が鍋を振るうのだろうが、無駄な事は止めておけ。今退けば、寛大な私は許してやろう」


 愚義理弟ぐていから再度虫に降格している。本当に容赦しないようだな。もはや笑えてくる。臓物を吐きそうだ。頼むぞ万古蘭。僕の命運は貴様に掛かっているのだからな。


「みくびらないでくださいませ。私は貴女と競う為にやってきました。そして我が愛しきを人を守る為にやって来たのです。それを捨て、我が身可愛さに退くなどはなから選択肢にありません。いざ尋常に、お互いの腕を振るおうではありませんか!」


 素晴らしい啖呵だ。思わず惚れそうになる。男でなければ一度抱いてやりたいくらいだ。


「その言や良し! いいだろう! 全霊を持って相手をしてやる!」


 やめてくれ。手を抜いてくれ。頼むから助けてくれ。僕はまだ死にたくない。


「お前、本当に勝算があるのだろうな」


「万古蘭まで巻き込んだんだ。負けましたでは済まぬぞ愚弟」


 顔を青くしている僕を見て兄姉が不安のこもった言葉を発する。答える事はできない。僕にもどうなるか分からぬからだ。まぁしかし保険は掛けてある。その場合犠牲はあるが、なんとかなるだろう。兎も角として今は万古蘭だ。彼女を信じ、見守るしかあるまい。


「では、始めよう。先手は貴様に譲ってやる。お手並み、拝見させてもらう。ガッカリさせてくれるなよ」


 先手。万古蘭。材料を順に鍋にぶち込み麻婆豆腐を作る。最後に小瓶に入った不思議な何かを入れて完成。恐らく@@@だろう。さて。実食である。


「これは美味い。兄の花嫁に勝るとも劣らぬ腕前。あっぱれだ」


「これはいい。弟よ。いい料理人を連れて来てくれた。美味いぞ」


「兄上。食べ過ぎてはありますまいか」


「ケチな事を言うな。飯は楽しく食うに限るぞ。しかし美味いなこの麻婆豆腐は」


 そうだろう。万古蘭の料理は美味いのだ。毎日食べている僕が保証する。女の方をチラリと見ると神妙な顔つきで味わっている。負けを認めるか? 


「確かに美味い。辺境の地でこれ程の腕前を持つ人間と出会えるとは思えなかった。どこで手に入れたか知らんが@@@まで使っている。見事と言う他ない。しかし、ツメが甘いな」


 おや、強気ではないか。


「……私に、至らない部分があると?」


「然り。お前はまだ、@@@の使い方を知らぬ。哀れな事だ。後一年あれば、いい勝負ができたろうにな」


 聞き捨てならぬ。味はそう変わらぬだろう。だのにその不遜な態度はなんだ。


「私の作った麻婆豆腐が不完全だと仰られるのですか」


「そうだ。その証拠を今見せてやろう」


 女の料理が開始された。僕はスマートフォン片手にそれを見守る。相変わらず動作が華麗だ。その点だけは認めよう。


「さて。ここからが貴様と私の決定的な違いだ。刮目せよ!」


 そう言って女はもう一つのコンロに鍋を置き油を熱した後、@@@とかいう何かを放り込んだのであった。


「一週間前にここで作った時は手を抜いて@@@をそのままかけるだけに留めたが……見よ! これが本当の使い方だ!」


 女は鍋に水を入れた。爆ぜる! と思ったが不思議とあまり大きな音がしなかった。


「……! 塩水を入れて乳化させている!」


 万古蘭がよく分からない事を言っていたが聞いても恐らく分からないだろうから黙って料理ができるまで待つ事にした。






 そうして女の麻婆豆腐が出来上がった。どれどれ。うむ美味い。味の変化がどれほどまでにあるのか知らんがともかく美味い。


「美味い。先日食べたものより遥かに味がいい」


「姉上。取りすぎであろう」


「年功序列だ。しかしどうするのだ。この勝負、どう見ても……」


「……申し訳ありません貴方様。この蘭。貴方様を守る事が……」


 勝ち誇った顔をした女と涙を見せる万古蘭。兄の表情は覚悟をした男のものとなっている。抗戦する気だな? さすが兄だ。しかし、まだ勝負はついていない。


「確かに万古蘭は負けたようだが、なに。本番はこれからよ」


 一度の視線が僕に集まる。なにを言っているんだお前はという視線だ。


「往生際が悪いぞ虫」


「この競い合い。誰も一対一とは言っておりません。つまりは、今日。貴女の麻婆豆腐を超える麻婆豆腐をお出しすれば勝ちなのです」


「馬鹿な事を。そんなものを作れる人間が簡単に見つかるわけが……」


 玄関が開く音がする。来たか。


「お待ちどうさん。で、麻婆豆腐を作った方がいいのかえ?」


「あぁ。頼む」


「雇主様!」


 そう。僕はババアに頼んでおいたのだ。もしもがあるかもしれん。その時はお前に麻婆豆腐を作ってもらいたいから、連絡したら僕の部屋に来てくれと。


「そのババアが私に勝つとな? 笑わせてくれる」


 女は高笑いを響かせた。絵に描いたような高飛車な笑い方だ。演技が効きすぎであろう。


樹老根多しゅーらおけんどぉー 人老識多れんらおしーどぉー


「……!」


 ババアが何か言ったが中国語など分からない。しかし僕以外な全員何を言っているか分かったようで気圧されている風であった。どうでもいいが早いところ終わらせてほしい。






 さぁできた。作り方は女と同じであったがはてさて。うん美味い。これは美味いぞ。ビールに合いそうだ。


「……負けだ」


 女が一口食べ、肩を震わせながらそう呟いた。勝ったぞ! ざまぁみろ! これにて一件落着だ!


「あんたも若い。精進しなされ」


「ご老人……」


 おや、妙な空気となったぞ。なんだ。その女は諸悪の根源だぞ。なにを良い話みたくしているのだ。


「あの、私、貴女と友達になりたいです。こんな出会いとはいえ、私、貴女の料理が好きになりました。これから、お互いを高め合える仲になりたいです!」


「……あぁ。そうだな!」


 万古蘭と女が熱い握手を交わした。少年漫画ではないのだ。そんな清涼な展開をされてもそれはそれで困る。


「それでは、敗者は去る。丈夫。できれば、私の事は、忘れないでほしい」


「何を言っている。十年待てと言っているだろう。十年経って、お前がまだ独り身なら、俺の方から求婚に行くさ」


「……本当か!」


「本当だ」


 本気で言っているのかこの男は。呆れてものが言えぬ。


「……では、十年後だ。私は待っているからな! 裏切ってくれるなよ。十年もすれば、完璧な生き遅れとなってしまうからな」


 兄が「約束だ」と言うと、女は「我爱你丈夫!」と言って去っていった。やれやれ。色々あったが円満解決だ。万々歳だろう。








「弟よ。今回は助かったぞ」


「大丈夫です。気にしないでください。兄弟ではありませんか。助け合いは当然。そして何より、兄上もそれなりの代償を支払う事になっておりますので……」


「代償?」


 不思議そうな顔をする兄に僕は静かに相槌を打ち、万古蘭と姉の肩を持って玄関に向かった。


「なるほど。アレと違って端正な顔つきに精溢るる佇まい。報酬としては、最高よなぁ」


 無事に外に出た僕は、そっと扉を閉めた。程なくして兄の悲鳴と不愉快な音が聞こえ始めたので、僕は二人とともに飲み屋に行ってそれを忘れる事にした。恨むなよ兄よ。そしてどうか、ババアの腹の上で絶えぬように……

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