夜間遊興 前

 給料日である。

 そして明日は土曜日でババアの店でのアルバイトも休みをもらった。完璧だ。しかしここで問題発生。早速森泉の元へ向かおうとしたところ彼女が在籍している店から連絡があった。それは、予約した女が月の物だという事で急遽店を休みになった。替わりの娘をつけたいがいかがか?  という内容であった。残念であるが、こればかりはしかたがない。女は大変だ。定期的に出血を伴う鈍痛に耐えねばならぬのだから。その苦しみは、男の僕には到底理解できないであろう。しかしだから何だというのだ。そんなものは関係ない。彼女のいないあの店に用などあるものか。どうせ入るなら別の店だ。僕は予約を取り止め、久方ぶりに一人遊びを楽しむ事にしたのであった。






 まずは居酒屋。商店街の中にひっそりと居を構えるその店は、立地は良いのにも関わらずビルや家屋に囲まれている為非常に見つけにくい。


「いらっしゃいませ」


 慎ましい挨拶。客はカウンターに男二人。いい塩梅だ。僕もその二人と同じようにカウンターに腰掛けビールを頼む。初手はビール。これは譲れない。


「久しぶりですね沢田さん」


「最近忙しくてね」


 店主とこうしたやり取りをできるのがカウンターの醍醐味。しかし店側の人間はただ喋ればいいというものではない。近すぎず遠すぎずの絶妙な距離感が接客の骨子。ここの大将はそれを分かっていて実に居心地がいい。最近ではこの手の店が廃れてきて、代わりに勢いしか取り柄のない人間が店を構えるのだから困ったものである。

 接客において距離が遠いのはまだいい。だが、往往にして下手な人間は近すぎる。得難い経験や知識。また特殊な価値観があればゼロ距離対応も面白いのであるが、だいたいは舌先だけを回して頭を回さない馬鹿ばかりである。まったく勘弁願いたい。


「大将。ポテトサラダとあさりの酒蒸し。あと牛スジ煮込み」


「はいよ」


 僕の「大将」発言に二人の客が反応した。無理もない。店主をそう呼べる人間は仲の深い常連か遊び慣れた者だけなのだ。男にとってその二つの勲章は憧れである。羨望の眼差しが気持ちいい。


 出された料理をつまみながらビールをもう一杯頼み、僕は店を後にした。遊びは序盤。本番はこれからである。泥酔も満腹もまだ避けたい。

 二件目は小さな立ち飲みの日本酒バー。店内は人がひしめいている。


「沢田さんいらっしゃい」


「沢ちゃんじゃないか。久しぶりだな」


「最近いなかったじゃないか。心配したぞ」


 顔馴染みの客に挨拶をしながらビールの小を頼む。ここでもまずはビール。そして運ばれて来る間にホワイトボードに書かれたお勧めを確認。何を頼むか素早く決断。ビールが来た瞬間に酒と料理を注文する。


「ホタルイカの沖漬けとシイラ刺身とノドグロの煮付け。酒は此君しくんを二合でくれ」


 此君は鳥取の酒である。日本海の荒波に揉まれた魚介によく合うのだ。この店は客席は狭いくせにやたらと巨大な水槽と調理場がある。それを飲みながら見る事ができるので丁度良い余興代わりとなるのだが、たまに水槽から出した魚がカウンターまで飛び出して来るので注意しなければならない。(刺身は死後少し寝かせた方が美味いとは聞くがどうでもいい)


「沢ちゃん聞いたかい。イサミちゃん、トンちゃんと付き合ってるそうだよ」


 水槽から出されるシイラを眺めている僕に突然ゴシップ話をし始めたのは常連の桂木さんであった。彼は三度の飯より人の噂が好きな恥知らずであり、その耳の速さと口の軽さには誰もが辟易していた。(なのになぜ彼がいち早く情報を仕入れているのかは謎である)


「おや。それはおかしな話だ。イサミちゃんは芹さんにぞっこんだったじゃないか」


「それが芹さんは金遣いが荒くてね。甲斐性以上に飲む打つ買うと男を通すもんだから愛想がつきたんだとさ」


 イサミちゃんもトンちゃんも芹さんも皆ここの常連である。というよりこの店はほとんど常連で成り立っており、その中で惚れた腫れたのビバリーな丘な関係ができあがってしまっている。いつまでたっても学生気分が抜けきれないのだろうか。見ている分には愉快であるが、その輪に入って仲良く穴兄弟となる気はとても起きない。


 つまらない話を聞いてやや意気が萎んだが酒と肴により回復。飲んで食べている合間も桂木さんはやたらと話しかけてはきたが全て右から左である。彼が多弁となったら後は相槌さえ打っておけば問題ない。


 そして盃は乾き皿は空いた。頃合いだ。ぼくは店主に目配せして両手でバツの字を作り勘定を頼んだ。


「なんだいもう帰るのかい」


 桂木さんは喋り足りないようだが腰を落ち着けて飲むような店ではない。なぜならここは立ち飲み屋なのだから。僕は挨拶代わりの笑顔を見せてその場を去った。


 時間は二十時前。ここらで満腹にしておきたい。僕はカレースタンドへ向かった。

 カレーを食べると酒が抜けやすい。しこたま飲んでもカレーを食べれば二日酔い知らずである。理由は不明だ。締めのラーメンも捨てがたいが僕はカレーを推す。

 いつものカレースタンド。誇示された黄土色と銀の匙。いつまで経ってもステレオタイプなイメージが拭えないのは人によって賛否が分かれるところであるが、僕にとってはどうでもいい事だ。


 食券を卓に起き待つ事三分。スパイシーなスメルが漂う。味は、カレーである。それ以上言う事はない。


 食べ終わりカレーの臭いを消す為にしばらく歩き、前半戦の最後の砦。ビルの一室にあるバーへとやってきた。


「いらっしゃいませ。お好きなカウンターへどうぞ」


 いつもの席が空いていたのでそこに座る。違う場所だときまりが悪い。


「ラフロイグの炭酸割りを」


 おしぼりを貰うと同時にいつもの酒を頼んだ。初手はビール。しかしここでは例外である。バーで飲むビールは確かに美味いが、何となく格好が悪い気がするのだ。故に、バーでは最初にウィスキーの炭酸割りを頼むようにしている。簡単に頼んでみせたが、ここに至るまでには並々ならぬ葛藤があった。

 バーでのファーストオーダーの王道はジンフィズである。しかしだ。WEBのインフラが整備された昨今。そんな情報は誰しもが容易に入手できる。そんなものをしたり顔で頼んでみろ。影で笑われること必至。それは避けたい。しかしカクテルの名前などいちいち覚えてキザったらしく口にするのもはばかられる。そこで僕は一計を案じた。ハイボールである。ウィスキーの銘柄を指定して炭酸割りと注文すれば不思議と通ぶれるのだ。僕はこれをグレイトモルト作戦と名付けている。


「お久しぶりです沢田さん。最近、アッチの方はどうですか?」


 アッチの方とは、即ちアレである。ここのマスターは話がわかる。下の話題は飽きる事がない。いつ来ても話題は尽きず延々と喋っていられそうだが、新たな客が来るとそうもいかない。マスターの身は一つ。僕一人を相手にしているわけにはいかないのだ。

 というわけで彼が他の客と話している間にグラスが空いてしまったが、二人の盛り上がりを途中で止めるのも悪い気がして時間を持て余す。店内に流れるマイファニーバレンタインが退屈でならない。どうにもジャズは苦手だ。


 そんな欠伸を出しそうな僕に気が付いたのか、マスターが話を切り上げこちらに来てくれた。せっかくなのでもう一杯頂き、ついでに会計も済ませておくことにした。これでいつでも席を立つ事ができる。


「いつもありがとうございます。これからは、やはりあっちの方へ?」


「そうだな……お気に入りの嬢が休みなのでどうしようかと思ったが、ここまで来たのだ。やらねば男ではないな!」


 金を払い握手を交わした。そして出された酒を一気に流し込み「行って参る」とマスターに敬礼をする。さぁここからが後半戦。「どうしようかと思った」などと言ってはみたが、遊ぶ計画を立てた時点で腹づもりは決まっていた。いざ行かん。ネオン街へ!

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