おまけ。少女の日の思い出

 今日、母がやってくる。

 初夏が訪れる少し前である。一年に二、三度私の住むここ英国に来て頂いているのだが、単身でお見えになるのは初めてであった。

 いつもは父と、それから兄が一緒に同伴しているのだが珍しい事もあるものだ。それとも何か内々の話が……そうなると、跡目争い以外に考えられない。まさか父と母で家督を継ぐ人間の選出が割れたか?  だとしたら、晴れて私が日本に帰れる時が来たのかもしれない。


 長いこと英国にいるが、一日たりとも生まれ故郷である日本を思わぬ日はなかった。差別も耐えられる。飯のまずさも目を瞑ろう。しかし、やはり家族と離れ離れなのは、酷く、寂しい。

 聞くところによると私には弟がいるそうだ。随分と惰弱な男だというが、それでも私は会ってみたい。会って話をしてみたい。父と母と兄と弟と、そして、私とで食卓を囲み、夢にまで見た一家団欒を経験してみたいのだ。


 とはいっても、仮に私が家長候補として日本に戻るのであれば、それは兄に何かあったか、跡目争いの為である。いずれにせよ、家族揃って仲良くとはいかぬだろう。人生とはままならぬものよ。こんな素朴で単純な願いさえ、叶うかどうか分からぬのだから……


 玄関チャイムが鳴る。母が来たようだ。予定より少し早い。


「今行きます」


 私は急いで赴き扉を開けた。するとそこには、この世のものとは思えぬ悪魔のような笑みを浮かべた母が立っていたのであった……

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