家族珍八景 中

 雄気堂々と進み父は椅子に座った。貫禄十分。まさに王である。


「お久しぶりです父上」


「お久しゅうございます」


 兄弟揃っての挨拶。緊張とまではいかぬが、肩に力が入る。直に見るのは高校入学の時以来か。




 あの時、兄は僕と会う事が禁じられ、母は腹の虫が収まらなかったのか、自身も顔を出さず使用人にも見送りの許可を出さなかった。しかし父だけは出立を祝いとして立ち会い、「達者でやれよ」との言を僕に寄越してくれたのであった。その時僕は「卒業までに父上に負けぬ益荒男となりましょう」と誓ったわけである。




 しかしながら入学して僕が為したことといえば、森泉に拒絶され、彼女のスカートの中の神秘を覗いたくらいのものだ。到底益荒男とは呼べぬ有様。とんだ体たらくではあるかま、それはまぁそれはいい。大言壮語は男子の特権。言える時に言っておくのが何よりである。僕が父に恐怖を覚えるのは別にあるのだが、此度の会食ではその恐怖を味合わないまま締めとしたいものだ。





「うむ。二人とも五体満足でなにより。度胸試しでもして腕の二、三本無くなっているのではないかと柄にもなく心配しておったわ」


 こう言ったことを本気で言うのだから竦む。この豪胆さこそが父であり、我が家の大黒柱なのだ。剛として傑。苛烈を体現したような性格は、なによりも血気盛んを好む。兄も僕も、その檄に何度か苦労をした。

 とはいっても父は家庭に干渉しない。家政と基本教育は全て母に一任しており、自分は父親としての責務と威光を示すに留めている。

 それ故父は滅多な事では怒らない。昔大切にしている硝子細工を割った事があったが、「男は腕白でないといかん」と笑って許してくれたものだ。(後で母に殺されかけたが)


 しかし、一度沸点に達すれば神すら恐れぬ気迫を放ち、その激昂は母さえ狼狽する程であった。幼少の頃、喧嘩に負けて帰ってきたとき僕は、その覇気を存分にぶつけられた。


「戦うは良し。負けてくるのもたまにはいいだろう。しかし大の男が涙を流すとは何事か!  その軟弱ぶり、見るに耐えぬ! 」


 直後。頭部に衝撃。頭蓋がすり抜けたと思う程の打撃が脳を揺らし視界を歪ませた。その時初めて母が僕を庇ってくれたのを覚えている。父の前に立ち、必死で説得を試みる姿が今でも鮮明に脳裏へと浮かべる事ができる。そう……その後母も張り倒し、僕に稽古と称した一方的な乱打を浴びせかけた事も、鮮明に。



 そんな事もあったが今となっては過去の出来事。兎にも角にも今は面倒な酒宴に調子を合わせねばならぬ。


「父上。酌をしとうございますが、母上がどうしても最初は自分がと聞きません。悔しく思いますが、先ずはそちらから」


「ほぉ。幾つになっても愛いやつよな。よしよし。注がれてやろう。さぁ、酒を持て」


「まったく。本当に貴方は口ばかり達者になるのだから……それでは、どうぞご一献」


 僕なしで盛り上がりを見せる三人。なんだこれは。僕が立ち入る隙がないではないか!  確かに嫌々来た事は認めよう。だがこれはないだろう。惨めな貰い子状態ではないか。

 なんという居心地の悪さよ。孤立の風が心の隙間を吹き付ける。凍え震える寒獄だ。腹と喉は満たされたとて、これでは精神すり減るばかり。いたらいたで煩わしいが、相手にされぬとこれまた悲しい。我ながら、難儀なものよな。


 と、その時。いつの間にやら父が横に立っていた。


「どれ。貴様にはこの父が注いでやろう。何時ぞやの約束。期限は過ぎているが、果たせる日を待っているぞ」


 純粋な眼であった。父親の目であった。そして惹きつける、慈しみのある声。僕の中に渦巻いていた怒りと寂しさが消えると同時に、そんな感情を抱いていたのが愚かに思えた。


「まったく。貴方はそんな歳になって酒の付き合い方も知らぬのですか。嘆かわしい」


 放心し、盃を掲げ忘れていたのを母に咎められ思い出した。醜態である。


「そう言うな。できない子ほど可愛いというではないか。それにこやつは今でこそ惰弱であるが、将来はきっと化けるぞ」


「そうですよ母上。弟とてこの家の男。大器晩成はあっても、その逆はありますまい」


 あまり期待をされても困るのだが、貶されるよりはマシだ。今の内にさっさと済ませてしまおう。


「失礼いたしました。それでは頂きます」


「うむ。思えば貴様と盃を交わすのはこれが初めてか。父もこう見えて多忙でな。許せ」


「いえ。そのお気持ちで胸いっぱいでございます」



 乾杯の咆が響き渡る。

 色々思うところはあるが家族は家族である。こうして酒を飲み会う瞬間は幸せに思えた。この時ばかりは苦手意識もなく接する事ができた。話の花は満開。素直に楽しいと思えた。考えてもみれば、今までつまらない意地を張ってきたものである。そう。これこそが、一家団欒の幸福……





「よし息子よ!  久しぶりに男相撲と洒落込むか!」


 しまった忘れていた。酒と空気に酔いしれ父の脅威が去っていないことを失念していた。あの恐ろしい男相撲が潜んでいることを愚かにも忘却してしまっていたのだ!


「久方ぶりの荒事。我がモノも滾りよる」


 できればその滾りは抑えていただきたい。相手をする方の身にもなってほしい。

 男相撲とは、文字通り裸一貫でぶつかり合う破廉恥極まりない競技である。本来は宴会芸的な色合いが強く、ほとんど見世物として笑いを誘う為の演目であるのだが、我が家のものは違っていた。なにが違うかというと、本気なのである。全てにおいて、本気なのである。


 やり方は単純明快。全裸となりて全力でぶつかる。そしてがっぷり四つとなった後。ここからが本番。我が家の男相撲は、組み合った後なら何をしてもいいという極めて野蛮かつ暴力的な取り決めとなっているのだ。それがいったいどういうことか……





「破っ!」


 僕は父の崩拳により吹き飛んだ。しかし場外はない。我が家の男相撲は、いずれかが気絶しない限り攻めて側の人間によって勝敗が決するのである。意識がある内は立たねばならぬ。立たねば馬乗りからの連打が待っている。つまりは父が飽きるまで続けられる一方的暴力なのである。


「撫ぜただけでかように飛びよるとは情けなし」


 勝手を言ってくれる。その巨体であれば並の人間では耐えれぬだろうよ。だいたい、考えてもみたら相撲は元から男の行事ではないか。わざとらしく頭に男などと付けおって。


 しかし、鍛えておいてよかった。並以下の僕がなにもせぬまま戦っていたら死ぬところであった。

 父は昔からこうである。酒が入りよくない酔い方をすると、決まって血の気の発散を望む。殊にこの男相撲は気に入っていたのだが、肉体的な痛みもさることながら全裸なのが思いの他辛い。組んだ際に密着すると、益荒男の益荒男が生肌に当たり何とも言えぬ不快感を生むのである。悶絶ものだ。こんな生まれ故郷の暖かさなど求めてはいない。

 そもそもなぜ裸なのかがまず分からない。また、度し難いことに、母もこの余興が大のお気に入りなのであった。澄ました顔で観ているがその紅潮は隠しきれていない。潤んだ瞳が両雄を、特に父の息子(僕の事ではない)を捉えて離さないのだ。これもまた、悲しみを誘う。


「立て息子よ。夜はまだ長いぞ」


 確かにまだ暮れたばかりだ。昔は日付が変わるくらいに叩き起こされ相手をさせられたのだが、こんな早い時間に父が酔うのも珍しい。何年ぶりかの親子対面で興が乗ったか。迷惑極まりない。


「父上。今のはあん摩でございますか」


「ぬかしおる」


 父は高笑いを響かせた。仕方がない。こうなれば自棄だ。勝機薄なれど無ではなし。向かって散るは男子の本懐。男の花道いざ行かん。進め火の玉一人きり!


 その後僕は雄叫びと共に特攻したが見事に返り討ち。蹂躙された。その時死んだ祖母の姿を見たのであるが、その祖母の視線が下腹部に集中し含み笑いを浮かべているのが不愉快であった。

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