修羅場レッスン 前

 流れ流され風俗街。いつもの店で森泉。

 母が来たりお見合いがあったりと忙しかった為最近はめっきりご無沙汰で、溜まり溜まっているはずの性欲もあまり湧かず、定年後のサラリーマンのような生活を続けていたのだがようやく女を抱きたい欲望に駆られ久方ぶりにやって来たわけである。このところ格闘技を始めたせいか雄力が上がっている気がする。運動をすれば性欲が発散されるというのは嘘だな。逆にみるみる漲りマキシマムだ。





「そんな楽しいことがあったんだ」


 一戦交えた後、森泉がそんな事を言った。土産話を楽しんでもらえたのは嬉しいが、しばらく顔を出していなかったのにも関わらず微塵も関係なかったというような対応をされたのが酷く傷付いた。しかしこの後。すぐに終わるから食事をしようと言われ即治療完了。僕は店を出ると近くの公園で缶コーヒーを飲み彼女を待った。


「貴方様」


 ふと聞こえた声。覚えはある。というより最近ほぼ毎日聞いている声だ。なぜだ。なぜこんなところで。

 あまり関わり合いにはなりたくはなかったが、一応、条件次第で契りを交わす約束をした相手。無視というのもきまりが悪い。致し方なし。やるならやらねば。コーヒー片手に首だけ回転八十度。見ればあの子が立っている。


「おや。蘭じゃないか。どうしたねこんな時間に」


 白々しく言ってはみたがおおよその察しはついている。きっと僕を尾行し百二十分待ち続けていたに違いない。


「失礼ながら貴方様をお見守りし、いかがわしいお店に入ってからは二時間ずっと待っておりました」


 ほらきた。大正解ではないか。


「それはご苦労。して、それを咎めるかね」


「いえ。貴方様が今のところ女体にしか興味のない事は存じておりますし、そもそもまだ契りも結んでいない私如きが貴方様を咎めるのはまったくの筋違い。また、契りを結んでいたとしても、殿方の色事情に口を挟むなど無粋もいいところ。そのような教育を、私は受けておりません」


 そうはいっても万古蘭の語気は強く怒りやら憎しみやらがこもっていた。「ではなぜそう口調が重いのだ」と言おうとしたのだが、僕が口を開ける前に「しかし」と付け加えたのであった。


「貴方様がお相手した女。これが私にとっての大事にございます。かの女は、貴方様が仰っていました意中の相手。森泉様でございましょう?  そのような方と御身を共にされましては、私とて心中穏やかではいられませぬ。おまけに事が済んでからご帰宅されずこんな所で悠長に小休止されているのを見るに、この後連れ立って何処ぞへ参られるのでしょう。そのような抜け駆けをみすみす見逃すほど、私の器は大器にございません。勝手ながら、ご同行させていただきます」


 問題が二つある。

 何を言っているんだこいつはというのがまず一つ。いくらなんでもプライベートに口出しするのはやめて頂きたい。だいたいなぜ森泉の事を知っているのだ。僕は彼女の事を話した覚えがない。

 二つ目。どちらかといえばこちらが主となるのであるが、これをどう解決するのかによって今後円滑な人間関係を結べるかどうかかが決まってくる。万古蘭の背後には既に森泉が立っており、笑いを堪えて口を押さえているのだ。後に邂逅する二人の仲を取り持つ算段を立てねばならない。僕としては三人仲良く手を取り合って仲良しこよしというのが理想なのであるが、果たしてそう上手く運ぶだろうか。不安しかない。


 僕が視線を逸らしているのに気がついたのか、万古蘭ははっと後ろを向いた。森泉は決壊。哄笑。そのけたたましさに動じる事なく、万古蘭は不動にて直立。大気が揺れているように見える。


「騒がしいですね。口を閉じて頂けませんか?」


「ごめんなさい。あまりに面白かったものだからつい。独り相撲っていうのも、見世物としては面白いもんだね」


 なぜ火に油を注ぐのか。お前には事情を説明したではないか。早くも雲行きが怪しくなってきた。いや、既に大雨となっている可能性すらある。これは危険だ。修羅場というやつだ。

 夢にまで見た三角関係ではあるが少しばかり僕の注文したシチュエーションとは異なっている。僕を取り合う美女二人にどうしていいのか分からず右往左往する場面を天に願った筈なのであるが情報伝達に不備があったのだろうか。


「戯言はお控えになってください。さもなければ……」


 万古蘭の声は重く鋭い。今までは気だとかオーラなどというものは眉唾として一笑に付していたのだがこれからは考えを改めよう。彼女が身に纏い放つそれは、間違いなくそういう類のものなのだから。


「どうしてくれるの?」


「殺します」


 直感で本気だと分かる。本当にやる気だ。殺気。殺気である。そうして万古蘭が肩掛け鞄に手を忍ばせているのを見て僕は震えた。なぜならば、彼女が普段。自前の包丁を持ち歩いているのを僕は知っているからである。

 

「あら怖い。でも、そんな細い腕でどうやって殺してくれるの?  教えてくれないかしら。オカマちゃん」


 鞄から手を抜く万古蘭。握られている包丁。刃に巻かれていた布は宙に舞い抜刀状態。それを見た森泉も構えを取る。一触即発である。というよりなぜ森泉は刃物を出した相手と向き合って徒手空拳にて応戦しようとしているのかが分からない。イカれている。イカれているは知っていたが、まさか命すら厭わないとは思わなかった。武士か何かだろうか。


「警告はこれで最後です。お黙りなさい賤業婦」


「すごい迫力。やっぱり男は違うね。男は」


 森泉は刃物にひるむ事なく挑発を続けた。さすがの僕も擁護のしようがない。どうしてこうなのだ。馬鹿は死なねば治らないというが、死して己のうつけを根治するつもりなのか。

 そして万古蘭である。彼女もいかれている。本気で殺す気なのだ。馬鹿げている。僕の周りは異常者だらけだ。


 森泉の懐に飛び込む万古蘭は恐ろしく速かった。五歩はあった森泉との距離を瞬く間に詰めたのである。恋した女は恐ろしいというが、こういう恐ろしさではない気がする。

 ともかく危険である。ここは、身重とはいえ猫に匹敵する僕の脚力を発揮するしかないようだ。靴紐よし。ズボンのチャックよし。抜かりはなし!  加速よし!  




 間一髪間に合った。包丁を逆手に持ち首をかっ切ろうとする間際。寸でのところで彼女を止めることができた。ジタバタと暴れる万古蘭とは対照的に、森泉は悠然としている。少しは動揺してもらいたい。そもそも逃げろという話だ。


「退かない媚びない頑張ろうが家訓なんだよね」


 聞いてもいないのに森泉がそんな事を言う。彼女の先祖に蛮勇と引き際の二単語を教えてやりたい。

 まぁ何はともあれ仲裁だ。相変わらず腕の中で騒がしくしている万古蘭から包丁を取り上げ、股間を掴み動きを止めた。手に伝わる巨大さに敗北感を覚える。


「森泉。少し言葉が過ぎていた。蘭に謝ってくれんか」


 そう言うと、万古蘭が喚き散らす。


「謝罪など不要です!  もはや彼奴と私の間に空いた溝にはいずれかの血で満たす以外にありません!  切った張ったは望むところ!  あの女の腹を掻っ捌いて臓腑の色から形までを民衆に晒してやらぬことにはぁ……」


 弱点が分かるというのは便利である。申し訳ないが、ここは利用させてもらう。目の前で殺傷沙汰など御免だ。しかもそれが愛する人間であるなどと。なんの因果か分からぬ。


「そう言うな蘭よ。ここは僕の顔に免じて溜飲を下げてくれんか。もしお前が殺人などしたら、お前の両親に合わせる顔がない」


「両親に会っていただけるんですか!  いえ母様は既に見知っておりますね!  では今から早速父様にご連絡したく存じます!  あらやだ私ったらはしたないわはしたないわ。貴方様の腕の中でこんなにもはしゃいでしまって……あぁしかも貴方様の左手は私の秘部を……駄目ですわ駄目ですわこんなところで破廉恥ですわ!  でもそんな背徳感も(後略)」


「森泉よ。お前だって単なる暇潰しでからかっただけであろう。僕としては、さっさとこの面倒事を終わらせて酒と飯にありつきたいんだが」


 森泉は少し考え込むようなそぶりをした後、「分かった」と言って万古蘭に顔を近づけた。僕は恐らく唾を吐きかけるだろう万古蘭の口を左手で覆い、顛末を見守る。


「ごめんなさいね。貴女可愛いから、思わずからかっちゃった。心配しなくても私は沢田君には興味ないから大丈夫だよ」


 何とも悲しい事を言ってくれる。いや待て。もっと考えて話してくれ。僕はお前と番になれない場合は万古蘭と番にならねばいかんのだぞ。それをお前、暖簾に腕押し状態だと知れたら……


「聞きましたか聞きましたか貴方様!  これはもう貴方様と私の愛が花咲かせたようなもの!  日取りを!  式の日取りを決めましょう!  そして医療関係に多大な研究資金を送り男の身体でも子を孕めるようになるまで待ち続けましょう!  ハレルヤですわ!  ハレルヤですわ!」


「蘭」


「はい!」


「これから僕達は飲みに行くが、来るか?」


 僕は話をそらす事にした。このままいくと本当に数ヶ月後には式が執り行われてしまいそうだからである。


「もちろんですとも!」


 興味の対象をずらす事には成功。どうやら万古蘭の父親と話をせずに済みそうだ。

 僕は一息ついて森泉に目配せをすると、彼女は満面の笑顔で頷いた。同行しても問題ないという意味だろう。まったく。一杯引っかけるのにとんだ労力である。拘束していた万古蘭を解き放つと、改めて森泉の前に立ち頭を下げた。森泉はそれに伴い手を差し出す。わだかまりが溶ける瞬間である。感動的だ。


「とりあえず、今日は許してあげるよ。万古蘭君」


「要らぬお心遣い感謝いたしますわ」


 お互いの手には力が入っていた。僕はどうして争いが尽きぬのかと世を儚みながら、彼女達を促し飲み屋へと向かったのであった。

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