おまけ。珍客

 万古蘭が働き始めて幾日か経った。

 さすがに言うだけのことはあり仕事の覚えが早く、客の少ない時間はババアから店を任されるようになっていた。


「レシピ通りに作ればおかしなものはできませんわ。雇い主様は本当に丁寧に書き残してくださいますので、まず間違いようがありません。またその内容も勉強になる事が多々ありまして、まったく己の未熟さを恥じてしまいます。今まで料理が得意などと言っておりましたが見事に鼻をへし折られてしまいましたわ」


 こんな事をいつかに言われた。「ほぉ見事なものだな」と適当に返したら随分と喜んでいたが、実際のところどうでも良かった。


 さて。客はおらず暇な時間である。ババアは男娼を迎えると言って仕事を万古蘭に任せ飯を食っていた。悍ましい話だ。この後の事は想像したくもない。


 そんなババアの目が光っているのでやる必要のない掃除をしていると店の扉が開いた。男が一人。客である。こんな時間に珍しい。しかし妙に挙動不振で、辺りをキョロキョロと見回している。そう思うと突然ババアの席に座り「相席いいですか」などと言い出したのであった。


「すみません。他に席が空いてないもんで」


「あんためくらかえ?  ここ以外誰も座ってないじゃないかい」


「いやぁこれ全部おばさんの?  美味いんだよなぁこの店は……この手が特に……」


 ババアを無視して男は卓に並べられた料理を物欲しそうに見つめ指をしゃぶり出した。それを凝視するババア。なるほど。やりたい事は分かった。しかしそれは満席の店でやるべきだ。


 ババアからのアイコンタクト。二択。「注文を取れ」もしくは「つまみ出せ」

 はて。どちらであろうか。どちらでも構わないのだが、僕は敢えて面白そうな方を選ぶ事にした。



「お待たせしました。ご注文は」


 ババアが睨んできた。なんだつまみ出せの方だったか。こいつはうっかりだ。


「まずフカのヒレだろ?」


「フカヒレは只今切れておりまして」


「それでは鳥の胸と、焼豚。焼豚と、それと鯛の丸揚げを頼むよ! 」


「すみません。鯛が切れておりまして」


「なんだ。じゃあ魚だったらなんでもいいよ!  あと烏賊の焼きそばと、アワビのスープだ!」


「かしこまりました。以上でよろしいですか?」


「あぁあと酒だ!」


「かしこまりました」


  万古蘭に注文を伝える。「随分とお食べになるのですね」と呆れた顔をして既に鍋を降っていた。料理が出るまでにまだしばらくかかるため酒を準備しに行くと、男はババアに「ダイエット中なもので」などとのたまっていた。ババアは相変わらず無言であった。薄ら寒さを覚える。


 酒を置きしばらく。万古蘭が高い声でできましたと料理をカウンターに置いていく。それを卓に運ぶと男は物凄い勢いで皿を空にし、一気に酒を煽るのであった。


 さてここからが本番。席を立ち店を後にしようとする男を捕まえて、僕は会計を要求した。


「金はあの人が払うよ」


「あの人というと?」


「俺の後ろにいる人だよ。あれは俺のお袋でね」


 さすがにそれは無理があるだろう……さてここでまたババアからのアイコンタクト。今度は一択「110番」である。


「あれはここのオーナーですよ。失礼ですが、お金はお持ちですか?」


「金はない。ただ持ってくるのを忘れただけだ。取りに行ってくるよ。明日には払うから」


 僕はスマートフォンを取り出し通話のキーパットを開いた。その時である。腹部に衝撃。激痛。見ると男の拳が深々とささっている。こいつはヤバイ。やってるやつだ。


「俺の名はすい 健二郎けんじろう。フェザー級のボクサーさ」


 聞いていないしやるのなら中国拳法をやれ。しかしこれはまずいぞ。このままでは無銭飲食が達成されてしまう。華奢な万古蘭では倒せぬだろうしババアは論が……


 僕は見た。ババアが男の前に立っているのを。何をする気だ。


「 食い逃げは許さないよ」


 瞬間。ババアの口から男の顔面に向かって反吐が発射された。目潰しである。なんとダーティな手だろうか。ひるむ男はよろめき及び腰となった。その隙をついてババアが銀の箸で腿を刺す。崩れ落ち悲鳴を上げる男にババアは顔を近づけこう言った。


「ここで働けばこの事は水に流してやる。ただし断るのなら、どうしてくれようかねぇ……」


 分かった働くと懇願する男を見ながら、僕は薄れゆく意識の中で格闘技を習う決心をしたのであった。

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