さいて散るは菊の花 前

 久し振りに僕は松田と盃を交わしていた。

 このところ忙しかった僕は彼との交友を蔑ろにし「まったくいい友達だよ」と皮肉を言われ続けていたのだが、たまたま暇な日と森泉の月の日が被ったので付き合う事にしたのであった。女っ気のない場であったが、たまにはいいであろう。


「なんだそんな愉快な催しがあったのか」


 僕がこれまで開いていた時間になにがあったのかを饒舌かつ親切丁寧に話してやっていたのだが、酒を飲んでいた松田はまったくの無表情だった。そうして僕が話し終わったのに気がつくと、一粒の興味もなさそうな間延びだ声をおざなりに開けた口から面倒臭そうに発したのであった。


「それにしてもまったく森泉の天晴れなことよな。いやはや心底感服するよ。この世に肩を並べる女なし。奴こそ今生に転じた巴御前か尼将軍か。なるほどお前が惚れるのも至極当然。その豪胆たるやまさに稀代の大女傑。想い焦がれるその心中、微小ながらに分かり申した」


 目の焦点すら合わさぬ白々しさである。異様。その一言に尽きる。散々馬鹿にしていた森泉を褒め称え、あげくちくと僕の太鼓持ちまでする始末。妙というより何かを企んでいるのが見え見えで、逆にどのような思惑を胸に秘めているのか興味が湧いた。


「何を考えている」


 簡潔にそう述べると松田は「お前に隠し事はできんな」とまたも虚を見ながらすっとぼけたのであった。まずこちらに目を合わせて話してもらいたい。

 

「実は折り入って頼みがあるのだ。なにお前にとっても特な話だよ」


 この男の持ってくる話しは得てして碌でもないものばなりなのであまり聞きたくはなかったが知らぬ仲でもし、あまり義理を欠くのも男が廃る。気は乗らなかったが仕方ない。戯言に耳を傾ける準備を整え「言ってみろ」と話す許可を出す。すると松田は「恐悦至極」とやはり心籠らぬ言葉を発し、ようやく本題に入ったのであった。


「実はな。俺はかねてよりとある宴を主催していてな」


「宴?」


「そう。宴だ。どのような宴かというと、並び立つ蜜壺に栓をするという至極簡単なものなのだが、なんだか分かるか?」


「あぁ。乱こ……」


 松田は僕の口を塞ぎ「みなまで言うな」という目配せをした。なるほどこの男らしい。松田は僕と同じく好色漢であるが、より秘匿と背徳を好んでいる。風俗よりも不貞を良しとし、しかも人妻をよく相手にしていた。僕は「分かった」と松田の手を退け、話の続きをするよう瞬きを一つする。


「それでだ。この宴は無論公にはできぬのだが、どこから漏れたか知らぬが公僕に知れてしまってな」


「それは難儀な事だな」


「そう。難儀している。御用になるのはまだいい。いや、そちらの方がまだマシだ」


 大きくため息を吐く松田はうんざりしたといった様子でビールを煽った。先程まで僕を小馬鹿にしていた人間が打って変わって苦渋に満ちた顔をしている。いや違う。これは恨みだ。松田が浮かべている表情は、何者かに対する強烈な恨みによって形作られている。普段人を小馬鹿にするだけ小馬鹿にして自分は大笑いしているような奴なので、ざまぁないいい気味だと思わないでもないが乗りかかった舟である。毒を食らわば皿まで。ともかく僕は「続きを話せ」と松田を急かした。


「……二人、俺の部屋に来た。警官だと名乗り手帳を見せてきた。俺は年貢の納め時と思い、大人しく豚箱へ入ってやると唾を吐いたんだが、奴らどうにも様子がおかしい。するとこんな事を言ってきたんだよ。俺達も混ぜてくれよ。そうすれば黙っていてやるとな。思い出すと腹が立つ。奴らにじゃない。奴らの口車に乗った自分にだ。ここは大人しくお縄について熱りが冷めたらまた動けばよかった。おかげで俺の至福の時間が台無しだ。奴らいったい何をしたと思う?  自ら警官だと言っては無理やり女を相手にさせているんだ。なんと淫売なオンナだ。これはけしからん。本官の警棒でこらしめてやる。などとふざけた事を抜かして無理な行為を強要するのだ。そのせいで女共の多くは音信不通。それが気に入らない奴らは女を連れて来いと喚くのだ。連れて来ぬなら貴様にあらゆる罪を着せてやるぞと脅してな。これが許せるか。許せるものか。俺は奴らが苦しみもがく様を見ねば死んでも死にきれん。頼む。奴らに辛酸を飲ませたいのだ。お前の力を貸してくれ」


 長々とよく喋るものだ。話半分に聞いていたが大体の事情は把握した。しかし解せない事が一つあった。それは、なぜ僕に助力を求めるかというものである。僕には性欲と森泉への愛以外には何もない。はっきりと明言しよう。無能である。その事を伝えると松田は「知っている」とおよそ頼み事をする人間の態度とはかけ離れた姿勢を見せ言葉を続けた。


「明日また宴を開く。そこにお前を招待しよう。ただ、その際に森泉を呼んでもらいたい」


 いまいち要領を得なかった。いったい森泉が不良警官に対して何ができるというのか。いかに彼女が異常者とて権力相手にはどうしようもなかろう。だいたい僕は風俗で満足している。不特定多数に尻の穴を覗かれながら事を致す趣味はない。ばかばかしい話だ。リスクを背負いよくも分からぬ女の相手などしたくもない。先に松田の言った「お前にとっても特な話」とはこの事か。目論見外れもはなはだしい。人を侮るのもいい加減にしろというのだ。僕がそのような浅ましい人間として見られているのがまず不快だし、仮にも友と呼ぶ人間をそんなふうに思っている松田の品性のなさにも呆れ返るばかりである。ここは一つ。ハッキリと言ってやらねばなるまい。何が宴か。ふざけるなよ下衆めが。いいだろう。その薄汚い口に栓をして、腐臭を撒き散らす根元を絶ってくれる。









「分かった今すぐ連絡をしよう。大船に乗ったつもりでいてくれ。しかし宴か。実に楽しみだ。僕にできる事なら何でもしよう。何でも言ってくれ」


「やはりお前は良い友人だよ」


 ……欲望には素直に従う。それが僕の生き方である。そもそも英雄色を好むという言葉もあるくらいだ。大和男児たるもの、この程度の不徳は飲み込む度量を持ちたいものである。


「ところで、森泉がなんの役に立つのだ?」


 僕は話を元に戻した。


「そんなものお前。あいつの攻撃的な房中術を見込んでのことに決まっていよう」


「何だそれは」と僕が聞くと、「そういえばお前は知らないんだったな」と言って実に愉快そうに、僕達が高校生だった頃の話をし始めた。


 森泉は洒落ににならない問題を度々起こしていた。ボヤや異臭騒動。校内に放たれた大量の蛇やトカゲや蛙。校内放送にて流される不快な音声。それらのほとんどに彼女が関わっていた。というより実行犯であった。何かあると決まって教員に呼び出され叱責を受けて笑っていたのだが、当時の僕でもよく退学にならないなと疑問に思っていた。

 松田の言によると、森泉は教師達を身体でたらし込み自らの身の安全を万全なものとしていたとの事であった。


 初耳である。


 あまりの衝撃に手にしたビールを鼻腔へと流し込んでしまい咳き込む。それを見てゲラゲラと笑う松田に対し「なぜ黙っていた」と問いただすと、「俺もクラスの奴らもお前が悲しむと思って秘密にしていたのさ」などと抜かしたのであった。ならば墓まで持っていけ!  おのれ。知っていれば致せなくとも、出歯亀行為に勤しめたものを。

 しかしそれだけでは説明不足である。単に身体を使った取引などよくある話。不道徳ではあるが、それが今回の件に役立つとは到底思えなかった。松田は僕がそれを聞く前に「この話には続きがあってな」と口を開いた。


 なんでも森泉は最初こそ従順に教師達の相手をしその身体と引き換えに傾奇くことを許されていたそうだが、次第に内容が変態的に大きくエスカレートしていき、終いには誰も彼女に頭が上がらなくなってしまったという事であった。それを知る生徒も教壇に立つ彼らを侮蔑の眼差しで見つめ、教師の威信は完全に失墜してしまったという。僕はそれを今の今までまったく知らなかった自分の愚鈍さに呆れ返った。


「そんなわけで、俺は森泉の変態性に賭けるのさ」


「ならば、好きなようにして構わないと送ろう」


「ありがたい。是非そうしてくれ」


 返事はすぐにきた。[了解]の二文字だけであったが返ってそれが不気味でもあり、森泉らしからぬ簡潔さに興味深くもあった。

 秘密の宴。実に楽しみである。血湧き肉躍るとはまさにこの事。未だ目にせぬ女達よ。待て!  だが期待をしていろ!  この僕の頑丈で屈強な棒。頑屈棒に!

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