イカれ中華屋 後

 罵声。怒号。歓声。轟く声がどれに分類されるのかは分かりかねたが、等しく奇声であった。

 飛び交う異国の言葉はけたたましく、土曜、日曜は昼から夜まで終始賑わっている。そんな中で僕は料理を運び空いた皿を下げるという仕事をしていた。たまに客に話しかけられるが知らぬ存ぜぬで「No speaking」とだけ答える。それが気に入らないのか殴りかかられる事もあった。だが知ったことではない。ここは日本だ。日本語を話せ。

 しかしあまりに客の注文が分からぬものだから、ある日ババアが張り紙をしてくれた。なんと書いてあるか聞くと[この店の下男白痴につき、要件は紙に書いて渡すべし]との事であった。各テーブルにはメモ用紙とペンが置かれた。「わざわざすまんな」と言うと「なに掛かった費用はお主の給料から天引きだよ」と抜かしので腹は立ったが、致し方ない。


 ババアの店に来る客の大半はアジア系外国人であった。日本人が訪れる事はほぼない。まず席が空いていないし、空いていたとしても異様な空気に怖気付き「用事を思い出した」とか言ってそのままトンズラを決め込むのがほとんどである。小市民ここに極まれりといったところか。おかげで僕はこの店で客に話しかける際、怪しげな英語に頼らざるを得なかった。もちろんそれで意思疎通ができるわけがなし。何やら書かれた紙を渡されそれをババアに聞くと「くたばれだとよ」とニヤつきながら言われるのである。


 慣れぬダブルワークは身体よりも精神を疲弊させた。仕事が苦なわけではない。こちとら面と陰茎の皮の厚さには自信がある。ではなにが原因でらしくもない心労に悩んでいるかというと、遊ぶ時間がないのである。フラストレーションと性欲は溜まる一方。また小間使いのような業務に誇りを傷つけられる事も多々ある。男を上げるべくして働いているというのに、ままならぬことだ。だがしかしこれも愛のためだ。一に忍耐二に忍耐。喉元過ぎればなんとやら。金が入って飯まで貰えるわけであるから、この程度の苦難は当然乗り越えなくてはならぬ事。是非もなし。


 幸いにしてまかないは中々に美味で申し分なかった。いきなり大当たり付きのものを初日に食わされ警戒したが、寄る食欲には抗えず、初勤務の閉店後に出された謎の料理を口に入れればあら不思議。あっという間に皿は空となっていた。翌日も異常が出るどころかすこぶる快調で本業の方も捗った。気になったのでババアにあれはなんという料理だと聞いたところ家畜の睾丸を煮たものだと教えてくれた。なるほど体力がつくわけである。無事健康体で働けていたのは、認めたくないがババアのおかげといえるだろう。



 かくして三ヶ月が立った。立てばバッコス座ればアポロ。歩く姿はヘラクレス。

 弾けんばかりの力こぶ。六つに割れた腹の壁。尻から下は大黒柱。そして凛々しく勃つはバベルの塔である。時は来た。凱旋だ!  僕は本業もババアの店も休暇をいただき、陽が高い時間に森泉の在籍している店に向かった。その日は珍しく昼間の出勤との連絡がきたからである。「最近売上悪いからあなたでもいいわ」と随分人をコケにしたメッセージであった。武者震いは大地を揺らす。十二時間一本勝負。いいや一本で済むか馬鹿!  いやいやこれは言葉のあやだ。ともかく向かうは悦楽の果て!  桃源郷にご出立!






「あらまぁご無沙汰ですけれど、随分と逞しくなったじゃない」


 開口一番の賛美に僕も息子も上機嫌である。燃えた。爆ぜた。出し切った。ババアの料理の効果は覿面。精力体力共に万全。加えて久し振りの愛しき女体である。来た見たヤったの簡潔三語。魔羅の戦いにて湯けむりにカリ盛る。さしもの森泉も後半戦は疲れ果てたと見えて一人夢の世界へ誘われていった。それを尻目に、僕は寝ているところを好き放題。想いの限り性を投げつけたのであった。







「ババアの店でアルバイトしているんだ」


 ようやく一段落ついた際。僕は森泉に副業を始めた事を話した。するとどうやら店の事を知っているようで、ババアの呼び名もババアである事がわかった。


「最近行ってなかったんだけど、いい機会だからお邪魔しようかな」


 僕は「是非に」と森泉の来店を切望した。地獄に仏の兆しあり。悪鬼悪霊ひしめく冥府に一縷の希望が欲しかった。


「じゃあ明日行くから。よろしくね」


 即断即決。一切の迷いなく彼女は言った。何と気持ちの良い女であるか。これぞまさしく女傑の気概。男の見せ甲斐があるというもの。


「よかろう。焦がれて待たれよ女丈夫よ」


 約束を交わし店を出た。思わぬ僥倖に我が世の春が来たと確信する。思えば森泉との出会いも運命じみているではないか。これは宿命。そう、宿命なのだ。僕と彼女の恋物語。真っ赤に染まった小指の糸が、絶頂を迎えたホトのようにきゅっと締まっていくのがよく分かる。死のうと思った事はないが、命があってよかったと生まれて初めて実感できた。






 さて翌日。「ごきげんよう」とやって来た森泉にババアが「久し振りだね」としゃがれた声でもてなした。ひしめき合う店内で、予約済みと記されたプレートが置いてある席に彼女を通して僕はお茶を出す。


「いつものやつ。ババアにそう言えば分かるよ」


 随分と小慣れた様子である。面白い。いかなる料理を食するかお手前拝見といこう。


「森泉はいつものだそうだ」


「はいよ」


 僕が注文を伝えると、ババアは巨大な鍋に油を張って、ガスコンロと共に持っていけと命令をした。こんな料理があるのだろうかと思いながらも言われた通りに卓へと運び踵を返して戻りしばらく。「澄子のとこ」と出された盆の上には桶の中に悠々と泳ぐ小魚が数匹。


「ババア。生きているようだが」


「そういうものだよ」


 なるほど。僕は納得しそれを森泉の元へ届ける。「きたきた」と舌なめずりをし、彼女は器用に箸で魚を掴み、そのまま火の入った油鍋の中へ突っ込んだ。水分のせいで油が爆ぜるが、森泉はきゃっきゃきゃっきゃと腹を抱えて笑っていた。僕はこういうものかと一人頷き席を後にした。


 しばらくして「澄子のとこ」と出された盆の上には皮が剥かれた蛇が蠢いていた。


「ババア。動いているが」


「そういうものだよ」


 なるほど。僕は納得してそれを森泉の元へ届ける。「待ってました」と舐り箸。彼女はのたうつ蛇を素手でひん掴み、頭の先から油に浸した。蛇が暴れて油が飛んだが、森泉は口を開けて大爆笑している。僕はこういうものかと一人頷き席を後にした。


 しばらくして「澄子のとこ」と出された盆の上には蛙がつぶらな瞳でこちらを見つめていた。


「ババア。これはまずいだろう」


「大丈夫だよ。生でもいけるくらいに臭みを抜いてある。自前の養殖ものさ」


「いや、そうではなく……」


「皮も薄くてね。揚げると美味いんだよ」


 ヒッヒッと笑うババアに反論する気も起きず、僕はそれを森泉の元へ届けた。すると「これよこれ!」と大興奮。添えられた鉄の串で蛙を一刺し。ゲコゲコと鳴くのをよそに鍋へ投入。凄まじい音が店内に響いた。


「沢田君!  興が乗った!  血を!」


 「はいわかりました」という前に、ババアが硝子細工の瓶に入った赤い液体を持ってきていた。ご丁寧に「蛇の生き血よ」とニタニタと笑いながら教えてくれた。


 森泉は絶叫しながら上着を脱ぎ捨てた。そして首を上げて天を見て、掲げた生き血を思い切り身体に流したのであった。口から溢れ喉を伝い、膨らむ乳房から滝のように落ちゆく鮮血。それが鍋に入り火柱が上がる。周りの客は阿鼻叫喚。外国語で何やら僕に訴える。意味は分からぬが言いたいことはだいたい分かった。「あの女を止めてくれ」である。そんな客に対し僕は「No I love her」と答えた。

 またこんな光景に慣れた客もいるようで、彼らは爆ぜる鍋に近寄りやたらめったら何かを入れて歓声を上げている。中には「これが名物肉棒春巻きでごわす!」と鍋に入れてからりと揚がった自らの陰茎を見世物にする者もいた。一世一代。一生に一度の宴会芸である。ご苦労なことだ。


 もはや中華料理とは呼べぬ晩餐。地獄の釜を開けたかのような狂宴。火と煙。逃げる者もいれば、それを肴に酒を飲む者もいる。その中心で悶える森泉の姿は妖艶で鳥肌が立った。改めて、僕は彼女に惚れているのだと嬉しくなった。




 全てが終わり閉店時間。順に客が帰って行く中、最後まで残ったのは森泉だけであった。気怠そうに酒を飲みながら揚げられた食材を気怠そうに指先で弄んでいる。


「そろそろ会計頼むよ」


 ババアが森泉に渡した伝票には二十万と書かれていた。派手な遊びだ。だが、彼女らしい。

「邪魔したね」と言ってカードを出して欠伸を一つ。「また来るね」と僕に挨拶をして、ババアから返ってきたカードを受け取り帰っていった。


 いや、いい日であった。


 ババアと共に店を片付けながら、そんな事を思った。

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