第82話 人として

 アレアはそんなリガルナをその目と胸に焼き付けるようにじっと見つめながら、涙を零しながらも努めて小さく笑みを浮かべ、自分たちを見つめている観衆たちに目を向けた。


『皆さん。お願いです。リガルナさんの……本当の彼を知って下さい。そしてどうか、時間がかかっても構わない。でも、きっといつかは彼を……許して下さい』


 アレアはその場に深々と頭を下げた。

 そんなアレアの真っ直ぐな訴えかけに、観衆たちの言葉は出てこない。


『リガルナさん……。またいつか、どこかで会いましょうね』


 顔を上げてこちらを振り返ったアレアはそう言い残し、スゥッと風に溶けるように消え去った。

 残されたリガルナの大きく見開かれた目には涙が光り、どうすることも出来ずその場に固まっていた。


 何も言えなかった。胸が、これ以上無いほどに悲しさに締め付けられ、言葉が出てこなかった。

 俺もお前を愛していると、ただその一言が、言えなかった……。


 静かに見守っていた観衆は切なさに涙を流し閉じていた瞼をゆっくりと開くと、リガルナを見つめた。

 眩しいほどの輝きを放つ光は静かに失い、すぐに辺りはいつもの暗さを取り戻す。


 唯一の灯だとも言える松明の揺れる音だけが静かな会場内に微かに聞こえてくる。

 リガルナは言葉なく、自分の体をきつく抱きしめてガクリと頭を垂れると、こみ上げてくる涙を堪えているのだろう。嗚咽が微かに漏れる。


 ポタポタ……と落ちるリガルナの涙は、静かに石台を湿らせていた。

 そこへ、静かにルインが歩み寄ってくる。誰の目にも見えないルインは、リガルナの隣に座るとそっとその頬に零れる涙を舐めとる。

 リガルナはそれに驚いて顔を上げると、ルインは真っ直ぐにこちらを見つめている。


「お前……」


 驚いたように目を見開くリガルナ。

 目の前にいるルインもまた、薄く半透明になりかけていたのだ。


『……リガルナ。泣くでない。どれ、ワシがお前にまじないをかけてやろう』

「……」


 ルインは目を細めて頭を垂れ、リガルナの胸元に喉元にその頭を摺り寄せた。


『お前とアレアはきっと、もう一度出会う。それが何十年、何百年先であっても、姿かたちを変えたとしてもお前たちを繋ぐ運命の糸は変わらずに繋がっている。案ずるな、大丈夫。ワシが保証しよう』


 もう一度、ルインはリガルナに擦り寄る。そして後ろ髪を引かれるような眼差しでそっと離れると、ルインは目を閉じた。


『……ワシの役目もここまでだ。お前はもう、大丈夫』

「……っ」


 囁くようにそう言うと、ルインはゆっくりと背を向けてリガルナの側を離れて行った。そして気絶しているマーナリアの側に鼻先を近づけると、彼女はそれまで目を閉じていた瞼をゆっくりと押し上げた。


「……ルイン」

『あいつを頼む。もう、あいつには何の力もない』


 何の力もない。そう呟いたルインは目を細めてほほ笑むような素振りを見せる。その口元には、いつの間にかリガルナの胸元から取り去った十字架の封魔十字が咥えられている。


『あいつの持っていた力は、ワシが今奪い去った。あいつの力はワシと言う存在を消すために用いよう。見た目は違えども、これであいつも本当の意味で普通の人として暮らしていけるはずだ』

「ルイン……」

『さらばだ。巫女殿』


 そう呟いたルインは、もう一度リガルナに視線を送るとどこか寂しそうに目を細め、加えていた封魔十字をかみ砕いた。そして同時に、ルインの姿は光の結晶となってリガルナの絶大な力と共に消え去ったのだった。


 ルインを見送ったマーナリアは零れる涙もそのままに、小さく頷き返す。


「はい……任せて下さい」


 異常なほどに静まり返った会場内で、マーナリアは零れる涙を拭いながらゆっくりと起き上がると、リガルナを見つめ静かに口を開いた。


「……リガルナ。あなたの犯した罪は膨大です。決して許されるべき事ではありません。あなたにはそれ相応の罰を与えます」


 ことの経緯をすべて見守ってきた言葉を無くした大勢の観衆を前に、マーナリアは一間置いて再び口を開いた。


「リガルナ。生きるのです」

「!」


 その言葉に、俄なざわめきが起きた。


「生きることが、あなたに課せられた何よりも厳しく重大な罰です。アレアの望みを、あなた自身の持つ人としての力を持って成し遂げなさい。あなたは今後また、一から出直す事が許されます。ここではない遠い地で、あなたはあなたの人生をやり直すのです」

「……生きる……?」

「えぇ、そうよ。精一杯生きるのです。生涯をかけた償いをあなたの残りの命のすべてを持って行うのです。それから私たちも、あなたにかけられた誤解を解く為に尽力すると約束しましょう。すべては誤解から招かれた事。少しずつでもあなたの事を分かってもらえるよう、世の中に説き続けましょう」


 マーナリアのその言葉に、リガルナは言葉なくただ泣き崩れていた。だがそれが、リガルナにとって了承の意味だと解釈したマーナリアは、手にした杖を一度地面にトン、と打ち付ける。


 その衝撃に、杖に付けられた装飾品がシャラン…と鳴り響き、マーナリアとリガルナを中心に大きな魔法陣が生み出され白と青の混ざった光りが立ち上りマーナリアとリガルナを包みこむ。

 目の前で身動き一つしないリガルナを見つめていたマーナリアの頬にもまた、一つの涙がこぼれ落ちる。


「……リガルナ。これまでどんなにか辛く、悲しかった事でしょう。しかし、これから先まだ更なる困難は待ち受けているのです。あなたはそれを一つ一つ乗り越えて行かなければなりません。そして生きるのです。それが、あなたにできる彼女の想いに応える事に繋がるのですから」

「……マリア」


 最後に名を呼ばれ、マーナリアはピクリと僅かに反応を示した。

 もう随分前だというのに、恨んでいたとしても自分の名を覚えていてくれたことに、微かな喜びを感じる。


 マーナリアはそんなリガルナに対してふわりと包みこむような笑みを浮かべた。


「人として生き、人としての人生を全うするのよ。アレアと同じように、私もあなたの幸せを願っているわ。嘘偽りなくね」


 マーナリアは手にしていた杖をリガルナの額に突きつけると、辺りを囲んでいた光は一際大きくうねり空高く舞い上がる。

 キラキラと光り輝くその魔法陣が落ち着きを見せゆっくりと消えた頃には、マーナリア達の前にリガルナの姿はなかった。

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