第39話 奇跡の贈り物
――目が見えたら、どんなにか素晴らしいんでしょうね……。
アレアのその言葉が、やたらとリガルナの耳について仕方がない。
チラリと横をみやればアレアが安心しきった顔でスヤスヤと静かに寝息を立てて眠っている。
顔色は相変わらず悪い。発作で倒れた上に雨に打たれたのだから当然だ。
乾いた藁を敷いた石段の上で、お世辞にも暖かいとは言いがたい薄い布を一枚かけて眠るアレアの横に座ったまま、リガルナは静かに彼女の横顔を見つめていた。
「……」
何気なく持ち上げた手をアレアの頬に伸ばしかけてピタリと止まる。そしてきゅっと拳を握り締めた。
彼女の傍でこうしているのは、アレアが服の裾を掴んだまま離さないからだ。
振りほどく事も出来た。でも、リガルナはそれをしなかった。ただ隣で安心したように眠るアレアをじっと見つめていると、自分の心も穏やかでいられる。
彼女に出会わなければ、こんな気持ちを再び味わう事は出来なかっただろう。
ずっと、長い間心の中で求め続けた安息。互いを必要だと認め合えるかけがえのない絆……。
彼女がいなければ、自分はあのままただ崩壊の道を辿っていたに違いない。より多くの人々の命を奪い、この手を更に血に染め上げ、完全な魔物と化していたに違いない……。
「……だから、俺にはこれから先もお前が必要なんだ」
目を細め、自分でもらしくないと感じる言葉が口から零れ出た。
「必要、なんだ……」
大切だから失いたくない。もうこれ以上の物は何も望まないから、どうか彼女を自分から奪わないで欲しい……。
そう願わずにはいられなかった。
「……」
ふと、その時何かを思いついたリガルナは、自分の握る手を見つめた。
幼い頃から何も目に映らないと言うアレアの瞳……。先天性の物であって薬でどうにかなるものではない。手術をしても見える確率は皆無に等しい。だとすれば、魔法は……?
握りしめた手から、もう一度アレアに視線を向けた。
もしもこれが万が一にも上手くいったとしたら、彼女は喜んでくれるに違いない。……でも。彼女に自分の姿を見られるのが怖い。
だが、一生に一度、ほんの瞬間的にでも当たり前のように見える世界を見せてやれたら……。そう思う方が強かった。
ゆっくりと伸ばされたリガルナの大きな手がアレアの目元を覆い隠すようにかぶせられる。するとアレアはそれに気がつき、目を覚ました。
「……リガルナさん?」
「静かにしてろ」
やがてアレアの目の周りにほんのりと熱が帯び、それは次第に熱く感じるほどにまでなる。そして目元を熱くしているその熱は体全体を温め始め、アレアの顔色が俄に良くなっていく。
そしてほどなく、アレアの目元にかぶせられていた手がすぅっと離れると同時に、リガルナが声を掛ける。
「これは一か八かの賭けだ。保証はない」
「え?」
意味が分からず閉じていた目を開こうとしたアレアを、リガルナはすかさず止めた。
「待て。……一つ、俺から言わせてもらう事がある」
「何ですか?」
「もし、今から見えたものがあったとしたら、それは俺の全てだ」
真剣な声で話すリガルナに、アレアは小さく笑い声をたてた。
「どうしたんですか? 私、目は見えませんよ?」
「もしもの話だ。……たとえお前の目に何が映っても、驚かないで欲しい」
あまりに真剣に語るリガルナの言葉に、アレアは笑みを浮かべたまま小さく頷き返した。
「はい。分かりました」
「……ゆっくり、開けてみろ」
リガルナに促され、アレアはゆっくりと慎重に瞼を持ち上げる。
が、そこに広がるのは相変わらずの闇。瞬きを繰り返し、アレアはゆっくりと上体を起こして小さく微笑んだ。
「ごめんなさい。やっぱり、前と変わりないみたいです。でも、リガルナさんは何かを私にしてくれたんですね。ありがとうございます」
「……いや」
淡い期待もどこかに抱いていたが、やはり魔法が効くはずもない。
リガルナは小さく溜息を吐き、落胆と安堵感の入り混じる複雑な気持ちのまま、アレアからふっと顔をそらした、その瞬間だった。
「あっ……」
アレアは小さく声を上げ、心底驚いたような顔を浮かべていた。
リガルナはアレアを振り返ると、アレアは自分の目元を微かに震える手で押さえていた。
「どうした?」
リガルナが声をかけると同時に、アレアの目がパッとリガルナの目を捉えていた。そして食い入るようにじっと見つめてくるアレアの瞳が微かに揺れ、ポロッと涙が伝い落ちる。
「嘘、でしょ? こんなの……」
「……」
「見える……見えるの。目が、目が見える!」
感極まるアレアの喜びの声が響き渡る。
ボロボロと零れ落ちる涙を拭う事無くアレアはまっすぐにリガルナを見つめ、そして両手を伸ばして迷う事なくリガルナの頬に触れた。
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