第13話 レグリアナ聖女との出会い

 パチパチと音を立て登り来る火の手と煙がリガルナを死への恐怖を掻き立ててくる。

 リガルナは一度部屋の中へ視線を巡らし、持って出るものがないか確認する。しかし、今自分が持って出られる物が何一つない。部屋の中は殺風景で、ベッドの他には小さな箪笥と机しか置いていないのだ。

 リガルナはぐっと紐を手に握り、外へと向き直った。


 外は夜。リガルナが家へ戻ってきてからほぼ丸一日玄関先に倒れていたのだとこの時分かった。


 下を覗き見ると、たまたまなのか誰もそこにはいない。誰もいない隙にと、急いで紐を伝い下りた。


「あっ!」


 地面に下りるか下りないか、その瞬間に玄関先にいたはずの男のうちの一人がリガルナの存在に気付き声を上げた。


「いたぞ! 窓から逃げ出しやがった!」


 そしてもう一人の男に声をかけると、その男も路地の角から飛び出してきた。


「待てっ! 小僧っ!」


 リガルナは今にも倒れそうになりながら、必死に自分の体を突き動かし懸命にその場から走り逃げ出す。

 走りながらチラリと背後を振り返れば、男達の身形は一般の市民達のものではなかった。綺麗な軍服を着込み、腰に剣を携えているのはレグリアナ宮殿に仕える兵士。そしてたっぷりとしたローブを身にまとっているのは魔術師だ。その魔術師の方の男が手を体の前に組み呪文の詠唱をしているのが見える。


 魔法だ。


 パレードやカーニバルの余興で使われる魔法とは訳が違う。あれは確実に命を奪う為の魔法だ。

 リガルナは目前にまで迫ってきた死の存在に体を奮い立たせた。


 本当はもう走る事はおろか、歩く事も立っていることすら辛い。だから足を止めて、このまま殺されてしまった方が楽だと分かっているのに、自分の体は往生際悪く生きようと動いている。

 みるみる内に魔術師の手の内に炎の渦が起こり、ボッと一際大きく燃え上がる。

 ゆらりと揺れるその炎を浮かべた手を前に突き出し、詠唱と続ける顔の前で立てていた2本指をスッと横にスライドさせると、掲げられていた炎が自らの意思を持っているかのように一度大きくうねり、刃のような鋭さを持ちながら勢いよくリガルナに襲い掛かってきた。


「!」


 リガルナはその炎の刃に打ち抜かれまいと必死に身を縮めて走り逃げる。

 ヒョウヒョウと音を上げ執拗にリガルナの後を付いて回る炎の刃に、リガルナは何度もやられそうになった。

 顔や体のギリギリのところを掠め通る炎。ヒュッと音を立てて顔の一部を焼き切り、髪を焼き切る。衣服もボロボロにされ、ただでさえみすぼらしい姿をしていると言うのに、見るも無残な姿に変わっていった。



 ――嫌だ。死にたくない。

 ――嫌だ。もう死にたい。



 自分の中でせめぎ合う二つの感情に挟まれ、リガルナはとても苦しかった。もういい加減自由になりたいのに、どうしてこの体は必死になって逃げようとするのだろう。生きようとするのだろう……。


 必死に逃げ惑う中、もう後ろを振り返る余裕などなくなっていた。逃げる事に一生懸命になり、どこをどう走ったかなど、覚えてもいない。ただ追いかけてくる兵士達を巻く為に、細かい路地を曲がりながら走り逃げていると、突如目の前を覆う大きな茂みが出現する。リガルナは咄嗟に顔の前で両手をクロスさせ勢いよくその中に飛び込んだ。


 バサッ! と派手な音を上げ茂みの向こう側に続く地面の上を転がり込む。そしてすぐさま顔を上げると、飛び込んで崩れた茂みの向こうに追いかけてきていた二人の姿が見て取れた。二人はすぐさま手分けをして走り去っていく。


「……た、助かっ……」


 何とか追っ手から免れた。そう思うとドッと疲れが押し寄せた。

 ここがどこかなんてどうでもいい。今はとにかく横になりたい一心でその場に崩れ落ちる。


 満足な食事も摂れず、多量の出血の後で血が足らない中、全速力で逃げたリガルナはそのまま眠るように再び意識を失った。



                    ****



 暗い。目の前は何もなく真っ暗な闇がどこまでも続いている。


 助けて欲しくて、この手を握って欲しくて伸ばしてみても、誰もその手を握り返してはくれない。


 暗闇の中には嫌悪感を剥き出しにしている父の顔と、恐怖に歪んで憔悴しきった母の顔。二人は完全に自分を拒絶した。


 そんな顔、して欲しくない。そんな顔、見たくなんてない……。


 恐怖に歪んだ顔も、自分を蔑む目も、嘲笑する笑みも、全部見たくなんてない。だから見ないで欲しい。絶望に突き落とされて天涯孤独にされても、そんな顔、見たくないから……。


 人々のそんな顔を見る度に、自分は魔物なんだと意図せず認識させられているようで辛かった。自分は普通の人間であって魔物でも悪魔でもない。だが、周りがそう言う風に見るから、思っていなくてもそうなってしまう。自分自身も、認めたくなくても認めなければならなくなってしまう。それが怖くて堪らなかった。


 両親の優しい笑みも、温もりももう届かない。いらない子だと拒絶されてしまった。それならば自分は、一体何の為に生まれてきたのだろう……。何の為に、こんなに必死に生きようとしているのだろう……。


「……もし?」


 夢の中で自問自答を繰り返していたリガルナは、突然耳の傍からから聞こえた声に目を覚ました。

 薄っすらと開いた視線はぼやけて、目の前にある夜の闇と明るく丸いものの存在を認識できる。瞬きを繰り返す内、それが月だと言う事に気が付いたのはすぐだった。


「あ」


 短い声がかかり、次第にハッキリしてくる視界の中に見慣れない少女の姿が映りこんだ。


「大丈夫ですか? 酷い怪我……」


 戸惑っているかのようなその表情にハッとなったリガルナは、大きく目を見開いた。

 今自分はどこにいて、どんな状況に置かれているのか。それを認識すべく辺りを見回そうとし、体を起こそうとするが思うように動かない。まるで鉛がついたかのように体中が重たくて、自分の意思でも簡単には言う事をきかない。それでも無理に起き上がろうとするリガルナを、少女は優しく止めた。


「まだ動かない方がいいですわ」


 少女はそう言いながら、自分が羽織っていたケープを取り去りそれを丁寧に畳んでリガルナの頭の下に置いた。

 良い香りのする柔らかなケープを枕に、頭を預けたリガルナは戸惑いに視線をさ迷わせる。


 この人は、自分の姿が見えていないのかもしれない。だからこんなに優しい言葉を掛けてくれるのだろう。もし全ての姿を晒したら、この人も他の皆と同じように恐怖に歪んだ顔を浮かべるのかもしれない……。


 そう思うと恐ろしくて仕方がなかった。


「……君は?」


 落ち着かないまま怪訝な表情で訊ねると、少女はふわりと柔らかな笑みを浮かべた。


「私はマリアと申します。散歩に来たらあなたが倒れていたので……。あの、大丈夫ですか?」


 マリアと呼ばれた少女は、こちらを気遣いながら濡れた布でリガルナの顔を拭った。

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