第十六話 『ねんがんのちからをてにいれたぞ!』

 そうこうしているうちに女王が戻ってきた。

 俺をもみくちゃにしている人垣――いや、妖精垣の外から声をかけた。


「これ、休息も軍人の仕事だ。解散、解散!」


 命令を受けて、将兵たちはじゃあな、などとフランクな挨拶をして謁見の間を退出していく。


「ふいー、助かっ……」


 女王の姿を見て眼が離せなくなった。

 白い薄手の衣に身を包んでいる。さすが南国といった感じのざっくりとした衣装は、女王の引き締まったボディラインをうっすらと浮かび上がらせていた。


「どうした。見とれているのか? 人間はウブだな」


 女王はからかうように微笑むと、手招きをした。こちらへ、という侍女の言葉に促されて、俺は女王についていく。


 一階の奥に、円筒状の部屋があった。女王に招かれるままに、俺は部屋へと入っていく。侍女たちは入口で待機して、入ってくる気配はない。俺が部屋に入ると、侍女が扉を閉めた。床は磨かれた黒曜石で、広さはちょうど『ウィルの井戸の間』と同じくらいの直径か。火とは違う、ぼんやりとした明かりで照らされている。


「ここは『ウィルの井戸の間』のちょうど真上にある部屋だ。ウィルから立ち上る魔力が最も強く影響するように設計されている」


 女王が部屋の構造について説明する。女王が一人で儀式をするのか。そりゃあ、信頼のおける者にしか魂の能力を与えられないわけだ。


「あのさ、女王様……」

「守よ」


 俺の話を遮って、女王がつぶやいた。


「もしも……わずかでも好意を持って余を助けてくれたのなら、どうか名前で……ラピルーと呼んではくれまいか」


 女王の……いや、ラピルーの声が余りに寂しそうで、本能的に抱きしめたくなったが、相手は女王。いきなりそれはまずいと思い直し、持ち上げかけた腕を下ろした。


「いいよ、ラピルー。俺もそのほうが呼びやすい」

「感謝す……いや、ありがとう」


 ラピルーは安堵したような笑顔を浮かべた。

 今までの毅然とした態度と口調はなりを潜め、年相応の少女の振る舞いになっていた。女王であるということは、とても寂しく、心労がかかるものなのだろう。

 ラピルーはおずおずと手を伸ばし、俺の両手を包んだ。


「儀式を始める前に、一つ確認しておく」

「ん?」

「憑依させる魂は、余にも選ぶことはできない。運命のみがそれを知る。憑依した魂を確かめた上で、闘い方を知る必要がある。多少面倒だし、必ずしも即戦力となる強い魂がやってくるとは限らない。それでもよいか?」

「構わない。やってくれ」


 ラピルーが頷く。


「……では始める」


 俺の両手を握ったまま、ラピルーが呪文を唱え始める。

 聞いたことのない響きの言語で紡ぎ出される、異界の呪文。

 周囲の空気が微妙な明るさを帯び、それがラピルーの両手に収束していく。その光は徐々に球状にまとまっていき、彼女の手から俺の両腕へと吸いこまれていく。


「……デジールの巫女、ラピルーの名において……魂よ……いにしえの法に従い、この者に宿れ!」

「ぐっ……」


 一瞬、重さを感じる。光の球体は俺の腕に居座ったまま、徐々に光量を減じていき、そして完全に姿を消した。

 光が完全に消え去ると、先ほどの重みを感じることもなく、腕にも何の違和感もなくなった。


「終わった……」

「……特に変わった気はしないんだけど」

「いや、確かに両腕には魂が宿っている」


 ラピルーは、革製のブレスレットを二つ取りだし、差し出した。どちらもムーンストーンらしき白濁した石がはめこまれている。


「これは魂の発動体だ。最初の内はこの腕輪に意識を集中して魂を呼び覚ますとよい。力を発動させる呪文は『インヴォーク』。唱えてみろ」


 色々と不可思議だったが、俺は言われるままに両手にブレスレットを付け、石に意識を向けてみた。すると不思議なことに、さっきの魂の重みがじんわりと甦ってきた。


「……インヴォーク」


 かっと両腕が熱くなる。

 それとともに腕に変化が現れた。右腕には鱗が並び始め、左腕には極彩色の羽毛が生えてきた。これが、俺に宿った魂か……

 ラピルーは爬虫類の爪と鳥の爪とが生えた俺の両手を恐がりもせず握り、表面を撫でたり裏を覗きこんだりして術のできばえを確かめている。


「カメレオンとハチドリか。希少な魂を得たな。余の感謝の気持ちが通じたのか、はたまたお主が祓魔姫ふつまひめを次々と誕生させた宿命によるものか……」

「すごいのか。どんなことができるんだ?」

「基本的な能力としては、カメレオンの魂は拳を伸ばすという。試してみろ。魂に意識を向けることを忘れるんじゃないぞ」


 俺は壁に向かい、言われた通りに意識を集中しながら軽く腕を振る。すると手の甲から肘にかけて一列に並んでいた棘が、じゃっと音を立てて数メートルも伸び、壁に浅い裂け目を穿って戻ってきた。


「す……すごい」


 思わず声が出る。自分にこんな力が備わるとは、驚きとしか言いようがない。


「腕力や跳躍力も、ある程度向上しているはずだ。あと、カメレオンの魂は保護色を与えてくれる。格闘戦よりは隠密向きの魂かも知れん」


 保護色……光学迷彩みたいなものかな。面白い。そして、俺が人間ってことで、もう一つ魂をもらえたわけだが。


「で、ハチドリはどうすればいいんだ? ちょっとカメレオンと比べると、可愛らしいイメージなんだけど……」

「何を言う!」


 ラピルーは呆れた声を出した。


「ハチドリの魂は、望んでも手に入らないほどの希少な能力を与えてくれるのだぞ」

「は……はあ」


 腑に落ちないといった返事をすると、ラピルーはさらにまくし立てた。


「他の鳥の何倍もの速さで羽ばたくハチドリ……その魂から得られるのは、身体を何倍もの速さで動くことのできる力! 言い伝えでは、憑依者の動く速さを通常の千百九十二倍に高める、恐ろしい力を持っている」

「千百九十二倍……」


 にわかには想像もつかない。千百九十二倍というと、普通の人が一秒間過ごす間に……大体十九分位の行動ができるってことか。

 これは確かに恐ろしい……

 ていうか、何で鎌倉幕府? 『いいはこ』じゃなくて、ちょっと得したけど。


「ただし」


 ラピルーが釘を刺す。


「ハチドリの能力を一秒使用する度に、千百九十二倍の時間を全力疾走するほどの体力を消耗すると言われている。文献によれば、『板金鎧を着て山道を伝令に走ったかのようだ』とある。使いすぎると、体力の消耗で立ち上がることすらできなくなるかも知れん。気をつけろ」

「わ……わかった」


 プレートメイルを着てトレイルランニングとか、想像もつかない。使いどころが難しいな。

 俺の顔がいつの間にか神妙になっていたのか、ラピルーは不安を払拭するように微笑んだ。


「そう怖がる必要はない。守のような志ある者に使役されれば、魂たちも本望であろう。さ、部屋を出よう」


 俺は入った時と同じように、ラピルーに導かれて儀式の間を後にした。廊下では女官が、先ほどラピルーが纏っていたのとお揃いの、樹皮色のマントを持って待っていた。ラピルーはそれを取るように促してきた。


「これが、デジールのフェアリーシールドだ。形はこんなだが、防御力は祓魔姫ふつまひめの衣装と等しく、きちんと頭から足先まで守護される」


 手渡されたマントを纏う。

 まるで俺のために用意されたかのように、しっくりくるサイズだ。


「うん、気に入った!」


 素直に喜ぶと、ラピルーも自分のことのように喜色を浮かべた。


「うむ、凛々しい。このような戦士をデジールから生み出すことができて、余も鼻が高い」


 俺たちはその後、デジールのテクノロジーについて、特にその能力の多彩さについて話をしながら、謁見の間へと戻った。道すがらの妖精たちは、皆にこにこして俺たちを見送ってくれ、誰一人として俺の無礼を咎め立てするような表情をする者はいなかった。女王の笑顔は臣下の幸せ、とでも言いたげで、デジール臣民の忠誠度の高さとフレンドリーさを窺い知ることができた。


 謁見の間では、比較的傷の少ない一部の将兵が待機していた。ラピルーの後からデジールのマントを身につけて部屋に入った俺の姿を見つけると、一同はおお、と歓声を上げた。


「守殿、よくお似合いです」

「守殿、デジールの戦士に相応しい勇姿だ」


 兵たちの賛美は耳に心地よい。国を救うっていうのもなかなかできる経験じゃないし、人に喜ばれるってことは嬉しいことだ。


 ラピルーは片手を挙げ、家臣を静まらせた。


「皆の者、聞け。余は守をデジールの騎士に任じようと思う」

「おお!」


 将兵から歓声が上がった。いきなり? いいの?

 声色から察するに、異論はないようだ。


「異論はないな。では略式ながら、ここに守をデジールの騎士に叙任する」


 ラピルーから小声で「余に向かって片膝をつけ」と言われたのでその通りにすると、一同から拍手がわき起こった。

 手榴弾一発が騎士の称号をもたらすとは、今日の俺ってばラッキーだ。自分で飛びこんだとは言え、色々とアクシデントにも巻きこまれたけど、結果オーライってことで。


 気づけば太陽は傾き、空は夕焼け色に染まり始めていた。

 そう言えば腹が減った。いろいろあったから、昼食を食べ忘れたことも忘れていた。妖精界でも腹は減る。こんなロール・プレイング・ゲームみたいな景色が広がっているのに、現実だってことを再認識させられる。


「晩餐の準備を」


 タイミング良くラピルーが片手を挙げると、女官が畏まって退室した。

 晩餐と言えば夕食だ。ありがたい!


「それから……」


 ラピルーが期待にキラキラした黄金の瞳を俺に向ける。楽しくて堪らないって感じの表情だ。


「今日は城に泊まっていけ。余の寝所に守のための寝台を用意させよう」

「ラピルーの……寝所に……」


 折角、今夜は両親も帰ってこないし……いや、今いけないことを考えた。いろんな所に高速で血が巡るのを感じる。

 俺が頭を振って何か言おうとすると、周囲から咳払いがサラウンドで聞こえた。


「陛下……守卿は英雄ですが、さすがに今日会ったばかりの殿方と同じ部屋で、というのはちょっと……」

「陛下……陛下は女、守卿は男でありますれば……」

「陛下……なにとぞお考え直しを……」


 そうだな……バレたら、ひかると詩乃さんに何をされるか……俺もラピルーも大変な目に……

 ふとラピルーを見ると、全身から「つまらない」オーラを吹き出してむくれていた。だが、ぱっと表情を変えると、俺に顔を近づける。


「客室ですまぬ……が、泊まっていってくれるだろう?」


 俺は二つ返事で快諾した。


「俺も帰り道がわからなくて……ありがたく泊まらせてもらうよ」

「やった!」


 ラピルーは飛び上がらんばかりに喜んだ。


「就寝まで、戦盤をして遊ぼう!」


 戦盤? チェスみたいなゲームだろうか。

 年齢相応にはしゃぎながら、ラピルーは再度着替えるため、私室に入っていった。


 しばし待ち、現れた彼女は儀式の衣装からゴールドのドレスに着替えていた。


「綺麗だ。似合うね」

「守は嬉しいことを言うわ」


 弾むように歩みを進めるラピルーに連れられ、階下にある宴の間に向かう。

 用意された食卓の上座に、ラピルーはうきうきと腰かけた。

 俺は彼女に招かれるまま、彼女のすぐ近く、臣下の最も高位の席をあてがわれた。

 さっそく、至極人間界的な洋食の前菜が運ばれてきた。異世界料理みたいなのが出てきたらどうしようと半ば期待、半ば警戒していたが、その見た目のフレッシュさと盛りつけの美しさ、そして何より酢をメインとしたドレッシングの香りに、俺の空っぽの胃はキリキリと悲鳴を上げた。


「英雄殿は空腹だ。さ、いただこう!」


 いたずらっぽく、ラピルーが宣言した。

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