第63話 58
そもそも俺は「恐竜」という生物について何も知らない。
――外見は知っている。
首長竜に鴨のような草食恐竜も見かけた。
今や目を閉じるまでもなく、分厚い皮膚越しの鼓動とムッとするような体臭を思い出すことができる。
「恐竜って……何なんだ、サギ」
あまりにも漠然とした問い。
だがサギは困惑などせず、顎に指を置く。
「確認なのですが、ワカツさんの呼ぶ「恐竜」とは何でしょうか」
「?」
「ええと……私たちの国で特別な扱いを受けている生物はシソ様だけで……」
「? ?」
サギが助けを求めるようにシアを見た。
「……ワカツ。恐竜は霧の外側では未知の生物でも、霧の内側では元々生態系に組み込まれていた生物です。定義してあげないと」
「あ。そうか」
シアがサギに向き直る。
「サギ。『恐竜』というのは狼や豚より大きな爬虫類群のことです。あなた達が乗り物にしている二足歩行の大トカゲも我々は恐竜と呼んでいます」
「ああ。『
「何と呼ぶのかは知りませんが、おそらくそれでしょう。……それに首の長い個体や、大型の草食トカゲもいますよね? あの辺りも恐竜と呼称しています」
そこでサギは畳の一点を見つめ、少しだけ目を細めた。
「……
「それは?」
「私たち側の科学者が名付けた分類です。『鳥盤類』は主に四つ足の、草食性の大トカゲです。『獣脚類』は後ろ足二本で体重を支える、歯の生えた肉食性のトカゲ全般です。我々が家畜や食料として利用する種ですね」
「もう一つの、竜脚類というのは?」
「首の長い、草食性の大トカゲです。……ワカツさんと一緒に戦った」
話題を振られ、我に返る。
「あいつか。……サギ達の世界では普通の爬虫類と混ざってるのか?」
「ええ。一応、『
俺はそこにおぞましいものを感じ取った。
サギたち恐竜人類にとって、ティラノやアロといった怪物は岩場の陰で涼むカナヘビや川底をうろつくイモリと大して変わらないのだ。
彼女達にとっての恐竜とは、『恐』でも『竜』でもない。
ただの歯の生えたトカゲ。
「もちろん、警戒はします」
サギは慌てて付け加えた。
「私たちは平気ですが、傷ついた仲間や子供たちにとっては危険な生物ですから」
「……きょうりゅうは、サギのごはん?」
「え? いえ、そんなことはありません。モノを運ぶのにも使いますし、子どもたちの教育にも使いますし、骨や脂を加工して様々なことに役立てます。ただの食料とは少し違いますよ」
牛や鯨のようなものだろう、と俺は察した。
確かにあれだけ巨大な生物をただ乗り物代わりに使うのはもったいない。
「それで、あいつらはお前たちが作ったのか? その……品種改良とかで」
「品種改良……」
「お前たちと恐竜、どっちが先だ?」
「彼らの方が先です。学者の話によれば、少なくとも数万、もしかすると数十万年前にはここにいた、と……」
「す、数十万年前……?!」
ありえない。
五か国のうち、最も古い歴史を持つ唐や葦原ですら数千年だ。
もしサギの話が真実だとすれば、歴史学はおろか、人類の誕生を追求する『発生学』の領域にまで大きな影響が出る。
「記録が残っているわけではなく地層からの推察らしいですから、私には何とも」
もし恐竜人類の科学者と話せるなら、一度じっくり話してみたい。
だがそれは叶わないのだろう。
「先住者は恐竜の方ですが、生態系における上位者は私たちです。基本的に彼らは私たちの家畜だと考えて頂いて結構です」
その辺りは、また別の話にした方がいいだろう。
今はまず恐竜についてだ。
「生態は?」
「ええ、と……種類によりけりです」
「……。おおよそのところでいい。共通している点があれば教えてくれ」
俺は卓を運び、墨壺に筆を入れた。
山と積んだ白紙の巻物を広げる。
「発生のところから頼む」
「はい」
サギは茶で唇を湿らせた。
「多くの場合、恐竜は卵で増える生き物です」
「子育てはどうするんだ?」
「生んだ卵は基本的にそのまま放置されます。ただ、いくつかの恐竜は子育てをするそうです。それと、寒地に住む恐竜は羽毛が生えていますので孵化するまで温めることもあるそうです」
抱卵というやつだろう。
鳩や燕と同じだ。
「成長が早い分、繁殖活動も早期に始まるそうです」
「あの環境ならそうだろうな。子供を残す前に喰われる危険性が高すぎる。……交尾はどうやるんだ?」
「種類によって違うようですが、鳥と同じらしいです」
(鳥と同じ……?)
「生殖器を解さない交尾です」
シアだった。
「鳥類は腸の終わりと糞尿を出す穴……それと、いわゆる生殖器の末端が同一なんです。雄にもそういう穴があります」
「そうなのか」
「交尾の際は身を重ねて、雄側の穴からその……そういうことです」
「もしかして……卵も『そこ』から出るのか?」
「はい」
「……」
若干だが、卵に対する印象が変わった。
シア、シア、とルーヴェが着物の袖を引く。
「こうびはなに? せーしょくき?はなに?」
「え、と」
「生き物の雄と雌がくっつくと子供ができる。その為の体のつくりが生殖器で、作る行為が交尾だ」
「ワカツ……」
シアとサギが呆れた目で俺を見た。
「……。嘘を教えても仕方ないだろ」
誰とは言わないが、曖昧な性教育を受けたせいで恥をかいた男がいるのだ。
ルーヴェまでそうした経験をする必要はない。
そもそも彼女の年齢ならとっくに知っておかなければならないことだろう。
「こうびしたら、恐竜も卵ができる?」
「そうだ」
「われない?」
「え?」
ルーヴェが小首をかしげた。
「恐竜、おしりのあなから卵落としたら、われない?」
「……。確かに」
他はともかく、首長竜があの高さから卵を落としたらさすがに割れる気がする。
地形を選べばそうでもないだろうが、そこまでの知能が彼らにあるだろうか。
「管があるんじゃないでしょうか」
「管?」
「こう……雌のお尻からにゅっと伸びて、中を通った卵が地面近くで落とされるんです」
「なるほど。……そうなのか、サギ」
「さすがに私、そこまでは……。飼育している恐竜の世話は私たちではなく、雄の役目ですから」
(……。……)
雄。
恐竜人類の、雄。
(いや。今聞くべきじゃないな)
俺は筆を走らせた。
その間にも女たちの話は続く。
「二本脚で身体を支えるティラノや、前脚の爪が鋭いラプトルに普通の交尾は難しいでしょうね。それに大型の恐竜ともなると、雄が乗っただけで雌が潰れてしまう……。その辺りはどうですか、サギ」
「個体によって交尾の体位が違うと聞いたことがあります」
「体位が違う?」
「雌側が寝るか、お尻同士をくっつけるのかも知れません」
「あ、なるほど」
「首長竜は雄側が片足を上げて、雌の尻に乗せるのだと聞いたことがあります」
「ワカ。たいいは何?」
「……それは今度教える」
乾き始めた筆を墨壺に浸す。
黒い水面に波が立つ。
「卵関係はもういい。恐竜の子どもについて教えてくれ」
分かりました、とサギが居住まいを正す。
「
「成長が?」
「はい。例えばワニなどは数十年かけてゆっくりと大きくなりますが、恐竜は違います。獣脚類などはほんの数年で完成された大きさになります」
「具体的には?」
「『
「赤土?」
「見たことはありませんか? 文字通り赤土色の体色で、かなり大型の肉食恐竜なのですが……」
「……シア」
「ええ。おそらく、ティラノのことです」
いくつか情報を擦り合わせたところ、サギの言う『赤土』はティラノで間違いないようだった。
実際に卵の大きさを見たわけではないが、たった七、八年であの大きさになるというのは驚きだ。
象も十年ほどで大人になると聞いているので、ほぼ同じだと言える。下手をすると毎年倍近く体重が増えるのではないだろうか。
ただ、象と違ってティラノは卵で増える。
しかも近縁種が多い。
冒涜大陸で追い回されたアロや、俺の砦周辺に居ついていたカルカロもティラノの近縁種。
奴らすべてが卵で増え、しかも象と同じ速度で大きくなると考えると寒気がする。
「竜脚類は十年ほどかかるそうですが、卵から孵化してあの大きさになるのが十年と考えると、やはりとてつもない成長速度だと思います」
「サギ。順序が逆になって悪いが、寿命を聞きたい」
「寿命ですか」
「ああ。恐竜が普通に生きた場合の寿命だ」
「平均して四、五十年だそうです。大型種の方が長生きすると聞いています」
「……」
長い。象とほぼ同じだ。
焦燥を覚えた俺は筆を勢いよく走らせる。
「雌雄の違いはあるか?」
「雌の方が強い傾向にあるようですが、これも種族によりけりです」
「雄と雌は見ただけで区別できるか?」
「皮の色や模様で区別できる種もいますが、基本的には難しいです。ほとんどの雌は後ろ足の根本が大きいと聞かされたこともありますが、一見して分かるほどではないのではないかと」
「……他に外見について何かあるか?」
「寒地に棲む種と、それ以外に棲む種では外見が異なります」
「羽毛ですね」
「はい。寒地付近に棲む獣脚類は羽毛に覆われています」
「待て。恐竜は……鳥類なのか?」
「いえ、爬虫類です」
「……冬眠は?」
「しません。体温調整機能が極めて高い、と聞いています」
「……」
そう言えば、陸上であれほど活発に動く爬虫類は見たことがない。
蛇や鰐、蜥蜴は餌を取る時だけ機敏に動き、後は大人しくしている。
確か――そう、『冷血動物』だからだ。
血が冷たいわけではない。
一度上がった体温を容易には下げられず、下がった体温を容易には上げられないのだ。
だから夏場は水辺にたむろし、冬場は冬眠で死を免れる。
恐竜は、違う。
「彼らは鳥類と爬虫類の中間種です、ワカツ」
シアはそう断じた。
「爬虫類の成長速度や繁殖力、強靭な爪と鱗を持ち、哺乳類や鳥類の活動性――いわゆる代謝能力を備えています」
「……」
「だから、寒地にも出ます。肉食性の個体だけですけどね。そして冬眠はしません。彼らは冬も普通に活動します」
俺は一層素早く筆を走らせた。
自分の考えを書き込まず、事実だけを書くのがこれほど難しいと思ったことはない。
「外見について付け加えるなら、羽や鰭を求愛に用いる種もいるようです。それと体色は腹側の色が薄く、背中側が濃いものがほとんどです」
「続けてくれ」
「外敵を避けるために色を持つ種もいるようですが、気付かれないようにして獲物に接近するための体色らしいです」
「子ども時代の習性は? 親とは一緒じゃないんだろう?」
「獣脚類はそうです。子供同士で群れをつくることもあるようですね。竜脚類や鳥盤類といった草食種は親が子を護ります」
「食性について知りたい」
「ばらばらです。草食性の種もいますし、肉食性の種もいます。一度出した糞を再び食する種もいます」
「なんで出したもの、たべるの?」
「消化が進んでいるからですよ。一度食べただけではすべて消化しきれないと聞きます。……それに、胃に石を持つ種も多いです」
「胃石か。それは知ってる」
鶏などもそうだが、ある種の生物は胃に石を呑み込むことで消化の助けとしているらしい。
恐竜も同じらしい。
奴らは歯を持つくせに、胃石まで使うようだ。
「ワカツさん、すみません。内臓周りはさすがに……」
「分かってる。そこは専門家の領分だ」
あとは、何を聞くべきか。
解剖だけでは分からない、サギからしか聞けない話は無いか。
「弱点はあるか?」
「……視力はあまり良くないようです。特に、動かないものを見る力はあまり強くありません」
「動かなければ襲われないか」
「そうとも言い切れません。嗅覚は強いはずですから」
たとえば、とサギは自分と俺を指差す。
「私とワカツさんがまったく動かない状態でティラノの目の前にいた場合、彼らは必ずワカツさんを襲います」
「見えなくてもか」
「見えなくてもです。彼らは私から上位種の臭いを嗅ぎ取りますので、決して襲いません」
「……。頭蓋骨をかぶれば連中を避けられるんだが、これはどういうことだと思う?」
「混乱するのでしょうね。ただ、ある程度大型の種は基本的に凶暴なので、そういった小細工は通じないと思います」
俺が知る弱点は、獣脚類は姿勢を崩せば倒しやすいこと。
それと、言葉を持たないため経験の共有ができないこと。つまり同じ攻撃手段に何度も引っ掛かること。
あとは、ある種の恐竜は夜に活動が鈍ること、だろうか。
(……)
分かって来た気がする。
つまり恐竜とは、鳥類と爬虫類の「良いとこ取り」なのだ。
奴らは両方の長所を兼ね備えている。
それを俺が知ってどうなるということはないが、一位や専門の人間が聞けば何か掴めるかも知れない。
(……)
他に恐竜関係で聞くべきことはあるだろうか。
と言うか――
(何か、違和感がある……?)
それが何なのかは分からない。
だが今のサギの話の中に、どうも腑に落ちない点があった気がする。
ただ、情報量が多すぎてどこだったのか思い出せない。
(思い過ごしか……?)
「空を飛ぶ種はいませんか、サギ」
「います。ただ、霧を異常に恐れているので、自分から外に出て来る可能性は低いかと」
「水に棲む種は……いるな」
「います。大勢」
「サギ」
シアが口を挟む。
「あなた達には文化を残す風習が無いはずです。恐竜についての知見はどうやって残したんですか」
「無いわけではありません。不定期に破壊されるので、限定的に残しているだけです」
「破壊される……?」
「何世代も代を重ねると、やはり暴れん坊が出るんです。彼らが恐竜に無謀な戦いを挑み、結果として私たち全員が追い回されることがまま起きる……。だから、全員で知見を共有することはありません」
「つまり?」
「生物学についての知見は学者から学者へ引き継がれます。一部は私たち『
俺は筆を置き、墨が乾いてから書面を巻いた。
「分かった。十分だ」
そろそろ次の話を聞くべき時分だ。
今の話の中でも、ところどころ詰まる箇所が出て来た。
それもこれも、俺が『それ』について無知だからだろう。
「サギ」
「はい」
「次はお前たちについて知りたい」
「……」
すなわち、「恐竜人類」について。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます