第22話 20

 

 俺はフソン=ブソンのように音を頼りに生きてはいない。

 ルーヴェのように特異な感覚を持っているわけでもない。

 それでも、分かる。


 高波の近づく海さながらに空気がひりついている。

 葉の下の百足、土の中のミミズに至るまで、あらゆる生物が息を潜めている。

 氷が張ったように静かな世界が、また揺れる。


(……!)


 遥か遠くで巨大な生物が地を踏む音。


「恐竜か?!」

「どこですか!?」

「あっち……」


 俺、ルーヴェ、シアの三人が窓に殺到する。

 三方向から人間に挟まれたフソン=ブソンは窮屈そうに肩を狭めたが、そこを退く気はないようだった。


 窓から身を乗り出す。

 市街地には、大粒の黒糖を思わせる唐の家屋が連なっていた。

 干されたままの洗濯物が揺れ、野次馬が屋根に登り、泥棒と子供が狭い路地を走っている。


 その更に奥に冒涜大陸が見えた。

 白い幕のようだった霧がかなり薄れ、木々の輪郭が浮かび上がっている。


 見張り台に立つ人間は蟻ほどに小さく、彼が振る旗も目に映るゴミほどの大きさでしかなかった。

 が、そこに突っ込んだ恐竜はまさに巨大そのものだった。


(! あれは……!)


 がらがらと木くずが散らばり、人が落ち、野次馬が歓声に近い悲鳴を上げる。


 見張り台を打ち倒した恐竜は異竜アロ暴君竜ティラノとよく似た姿をしていた。大きさもほぼ同じだ。

 後脚で立ち上がったトカゲを思わせる威容。前脚は俺の知る二種に比べかなり小さいようだ。


 ただ、『動き』がアロやティラノとは明らかに違う。


 新顔の恐竜は腰から上をぐいんとしならせ、地上すれすれを薙ぎ払っていた。

 遠目なのでわかりづらいが、哀れな兵が数人、吹き飛ばされて犠牲になったかも知れない。


 と、数十に及ぶ矢の雨が降る。

 目を凝らせば見張り台とは別に即席の射かけ台が組まれていた。

 そこに相当数の弓兵が待機しており、一斉に矢を放ったらしい。

 惜しむべくは練度だ。

 近場の街からかき集めたという雑兵の弓の腕は決して高いものではないようだった。

 矢は鱗で弾かれ、筋肉に阻まれる。 


 恐竜は嫌がるように首をすくめ、吠えた。

 遠すぎて声は聞こえないが、空気の痺れだけは伝わった。


 矢の雨が止むや、奴は射かけ台に強烈な体当たりを食らわせた。

 たった一撃で木組みの塔はバラバラにされ、今度は人の雨が降る。

 どずんどだんと駆けたそいつは再び吠え、別の射かけ台に突進する。


(人じゃなくて建物を狙ってる……?!)


 ティラノやアロは積極的に生物を狙っていたはずだ。

 新顔は足元の人間より射かけ台の方に攻撃を集中させている。

 そういう生態の恐竜なのだろうか。


 黄味がかった橙色の恐竜は次々に冒涜大陸から姿を見せた。


 三。


 五。


 十。



 十五。



 ――二十。



「ぅ……!」


 あまりの光景に俺は呻き、後ずさった。

 異竜アロに匹敵する巨体を持つ恐竜が、森の縁を覆いつくすように這い出している。


 重なる咆哮が空気を揺らす。


 野次馬が凍り付き、鳥が飛び立つ。

 ネズミが逃げ出し、虫さえも宙をめちゃくちゃに逃げ惑う。

 ありとあらゆる生物が死の恐怖に怯えている。


 ただ、人だけが勇敢だった。


 最前線で銅鑼が打ち鳴らされる。

 何度も、何度も、何度も打ち鳴らされる。

 槍が突き上げられる。

 真っ赤な炎の旗が振られる。

 彼らの放つ怒号は俺の耳に届き、腹の奥に響くようだった。


 木で組まれた家屋一軒分ほどの『何か』が運ばれる。


「バリスタを真似たものですね」


 シアが言い終えるより早く、巨大な矢が放たれた。

 何かを回避する必要などないように造られた鱗と筋肉の塊に、鉄の鏃が突き刺さる。

 血が噴き出し、噴水となって戦場に降り注ぐ。


 それを合図に人間たちが突撃し、恐竜たちが迎え撃つ。


 木製バリスタが蹴散らされ、踏みつぶされる。

 屋台も家も薙ぎ倒され、瓦礫に変わる。

 自軍の勝利を疑わなかったのだろうか。

 最前線付近まで駆け付けていた人々が悲鳴を上げて逃げ惑う。


 それを庇うように兵たちが槍を構える。

 遠目には剣山にも見える見事な陣だった。

 が――――


「っ!」


 ほんの数頭が上半身をしならせ、地を薙ぐだけで、人間が砂のように吹き飛ばされた。

 踏みつぶされ、殺される。

 すり潰され、蹂躙される。

 それはまさに象が蟻を踏むかのような光景だった。


 指揮は遅れ、戦術は成り立たず、兵は我先に逃げ出す。

 その背を追い、新手の恐竜が駆け出す。


 ――まるで戦いになっていない。


「フソン=ブソン」


 俺は震える唇を開く。


「あれじゃダメだ。あんな……あんな戦い方じゃ、恐竜には勝てない」


「……」


「陣を組んで正面から戦いを挑むなんて馬鹿げてる! あいつらはもっと――」


「自分の部屋に火ぃ点ける間抜けに戦術をどうこう言われたくありませんねぇ」


 ブソンはのんびりと構えていた。


「あれも考えあってのことでしょ。放っておきなさい」


「考えって……前線の奴らがバタバタ死んでるんだぞ?!」


「昼には補充されるから今減る分には構いませんよぉ」


「っ! 無駄死にさせていい理由にはならないだろう……!」


「……」


「あんた、強いんだろう? 俺たちの見張りなんかやってないで助けに行ってやったらどうだ!」


 フソン=ブソンは閉じた瞳を俺に向けていた。

 また笑っているのかと思ったが、唇に感情は読み取れなかった。


「あなたがどうして九位止まりなのか、何となく分かる気がしますねぇ」


「……?」


「弱いモン助けるのは気分が良いんでしょうけど、それだけではねぇ」


「どういう――」




 ずず、と地滑りにも似た音。

 見れば恐竜の一頭が体勢を崩し、地に倒れていくところだった。




 更に一頭が、がくりと体の均衡を失う。

 続いて一頭。

 また一頭。

 異変に気付いた一頭も倒れ、その隣の一頭も何かに噛みついたが、その格好のまま前のめりに倒れる。


 足を斬られているのだ。

 間違いない。

 あれは――


「しゃかしゃか、強いね」


 ぼそりと呟いたルーヴェが目を凝らす。


「もう四つもころした。……」


「そうでしょぉ? 恐竜なんかよりよっぽどおっかないですよぉ、あの人は」


「あまり過信しない方が良いですよ」


 フソン=ブソンの耳元でシアが囁く。


「今押し寄せてきている恐竜は五感に異常を来たしているし、霧を通り抜ける段階で数も一定割合が減った状態です」


「……」


「完全に霧が晴れたら、万全の状態の恐竜が今より大量に押し寄せて来ます。彼とて無事ではすみません。助けに行くなら今のうちだと思いますけど?」


「どうでしょうなぁ」



 十数秒、フソン=ブソンとオリューシアの間に不穏な空気が漂った。

 その間も巨木が倒れるようにして恐竜が次々に仕留められていく。

 ――もちろん、多くの人間も死んでいる。



「ワカツ」


 シアが俺をブソンから引き離した。


「シャク=シャカも合流したようですし、あちらの戦いのことは忘れてください」


「しかし……!」


「建設的なことをしましょう。今のあなたは野次馬と同じです」


 正論で頬を叩かれ、俺は窓辺を離れた。

 フソン=ブソンはふっと笑い、なおも窓の外を見つめている。

 俺は水を啜り、頭を冷やした。


「状況は把握しました。ですがいくつか確認しておくべきことがあります」


「確認しておくべきこと?」


「ええ」


 シアは寝台へ戻り、さっと腰かけた。

 ぺろんと裾がめくれ、彼女はもどかしそうに白足を隠す。

 純黒のスリットドレスは煽情的で、彼女が好き好んで着ているようには思えなかった。


「シア。元の服は?」


「洗濯に出しました」 


「洗濯?」


「ええ。聴取が終わった後に、「衣服をお預かりします」と女の人が来たので、預けました」


「……。そうか」


「ええ」


「シア。言いにくいんだが、その服もう戻って来ないぞ」


「……はい?」


「ただの物取りだ、それ」


「!? え、じゃ、じゃあ私、いつまでこの格好をしていれば……」


「ええじゃないですか。似合いますよ?」


 ブソンがせせら笑った。


「くっ……!」


「後で調達しよう」


 路地を走る靴の音がどんどん増えていく。

 戦いの音は一向に鳴り止まない。

 それどころかこちらへ近づいてくるようだった。


 だが今の俺にできることは何もない。

 万を超える援軍の到着まで唐軍が粘るよう、祈念することぐらいか。


 それで、と俺は彼女の隣に腰を下ろす。

 ルーヴェはブソンをじっと見つめている。


「確認しておきたいことってなんだ」


「……コンピーのことです」


 シアは神妙な顔をしていた。

 俺は緊張しつつも微かな嬉しさを感じる。

 同じ事態を同じように深刻に考えてくれる仲間の存在は大きい。


「あれが私の部屋に集まっていたというのは本当ですか」


「ああ。何か心当たりはあるか?」


「それがさっぱり……」


 ただ、と彼女は顎に手を置いていた。


「気になります。薬で狂暴化していた件についても」


「?」


「アキたちの方が戦力的には圧倒的に有利なんですよ? ただこちらに損害を与えるためだけにそんな細工をするとは――」




 ずずう、と。

 倒壊音がかなり近くで聞こえた。




 ばっと振り返った俺は窓の向こうに砂煙を認める。

 建物が倒壊しているのだ。

 駆け寄った俺は例の新顔恐竜が街区に侵入するのを認めた。


 いよいよ人々が逃げ惑い、辺りは悲鳴に包まれる。

 まだこんなに居残っていたのかと呆れを感じるほどの人数だった。


「おい、街の中にあいつらが――!」


「ほうれすね」


 フソン=ブソンはあろうことか饅頭を口にしていた。

 もぐもぐと咀嚼した剣士は熱い茶で喉を鳴らし、呟く。


「まあ、作戦通りでしょうねぇ」


「作戦通り?」


「あんなのと平地で戦うわけないでしょ」


 んぐ、と饅頭を飲み込んだフソン=ブソンは冷笑した。


「唐は行儀の悪い国でしてねぇ」


 ずどお、と恐竜が地に沈むのが見えた。

 足を斬られたわけではない。

 矢を射られたわけでもない。

 あれは――――


(落とし穴……?)


 はっと見れば市街地に侵入した恐竜があちこちで立ち往生している。

 狭い通路に入り込み、振り向けなくなった奴、自らが倒した家屋に足を潰された奴もいる。

 街の中心で恐竜の巨体は枷でしかなかった。


(誘いこんだのか、ここに……?)


 悲鳴を上げて逃げ惑っていた兵が、再び街区に集まり始めていた。

 家屋の窓や路地裏からもちらちらと赤い旗や槍の穂先が覗く。


 洗濯物が飛び、綱が残される。

 露店の天幕の下からバリスタが現れる。


「そぉら。踊り食いの時間よ」


 がぶりとブソンが饅頭を噛んだ。

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