第3話 「貴様、私をからかっているのか!?」
VIPシートの周囲に張り巡らされている透明な素材は半遮音機能を持っている。外からの会話は聴いて取れるが、内部の音を洩らすことはない。
読唇術を心得ていれば唇の動きだけで、会話の内容を察することも出来るが、現在の『シラキュース』ブリッヂでは、そんな技術も余裕もある人間などいなかった。
「今さら何をしに来た」
だからこそゼルギウス・シュライデンの側に座っていた制服姿の少女が、入ってきたミロに向かってそう言った事に気付く人間もいなかった。
ミロはしかしすぐには答えない。唇の端に皮肉な笑みを浮かべただけだ。そして今度はゼルギウスが対照的な言葉をかける。
「今まで何をしていた」
これにもミロはすぐに答えなかった。ゼルギウスと少女の間にある椅子に腰掛け、アーム付きのタブレットを自分の前に引き出し、そこに表示されたデータとブリッヂ内の光景を一望してからようやく口を開いた。
「そろそろお呼びが掛かるのではないかと思いましてね」
「なぜお前を呼ぶ必要が……」
「やめろ、スカーレット・ハートリー」
真紅の髪を持つ少女は、ゼルギウスからそうたしなめられて、不承不承ながらも口をつぐんだ。そしてゼルギウスは重ねて尋ねた。
「今まで何をしていた」
「ルーシアが不安を感じるといけないと思い、声を掛けてきました」
「貴様! ルーシアに何を……」
シートから腰を浮かしてそう言いかけたスカーレットだが、ゼルギウスの視線に気付いて後の言葉を飲み込んだ。
「それとマエストリたちにちょっとした仕掛けを頼んできました」
続けてそう言ったミロに、スカーレットは不満そうな表情のままだが、ゼルギウスの手前、表立って文句を言うことはなかった。
「
ゼルギウスは気むずかしい老芸術家のような面をミロに向けて言った。
「して少年よ。貴様は今のこの状況をどう考える」
「完全に後手後手に回ってしまっている。そもそも周囲を小惑星で囲まれている空域へ、安易に突入してしまった」
手元のタブレットに目を落としてからミロは続けた。
「ハッチソン船長は小惑星帯を利用して、襲撃者の目を避けてリープストリームに突入するつもりだったのでしょうが、相手がそれを見抜いて先んじる事を想定していなかった。これは失態です」
言葉は慇懃だが内容は辛辣だ。
「ハッチソン船長は従軍経験もないし、これまでの経歴の中で戦闘らしい戦闘に遭った試しもない。こうなるのは仕方ないじゃないか」
反射的にスカーレットはハッチソン船長を擁護した。その言葉で何か気付いたように、ミロはゼルギウスへ視線を巡らせるが、老人は何も答えようとはしない。ミロはそれを肯定の意思表示と受け取り、今度はスカーレットへ話しかけた。
「それで海賊の要求は何だ?」
「何だとはいい質問だな。海賊が要求する事など、どれも同じだ」
スカーレットはミロと同い年の17歳だ。しかしその態度や口調は皇子と呼ばれている少年に向けるにはいささか不躾だった。
「海賊がみな同じ組織集団なら、その答えでもいいだろう。しかし実際には無数の海賊がいて、多くの首領に率いられ、それぞれの目的で動いている。どれも同じでは答えにならんよ」
タブレットに視線を向けたままでそう言うミロを、スカーレットは無言で睨み付けていたが、視線を逸らすと答えた。
「この船に乗っている要人、貴族の身柄引き渡し。言うまでもなく後で身代金を要求する為だ。さもなくば積荷と船そのものの引き渡し。船を引き払った後は、救命艇でどこへなりと逃げても構わんそうだ」
「なるほど、同じだ」
淡々とそう言うミロに、スカーレットはまたもやシートから腰を浮かせて食ってかかる。
「貴様、私をからかっているのか!?」
「そう取りたいのなら、そのように取ってくれも一向に構わん」
ミロは相変わらずタブレットの画面に視線を落としたままだ。すぐ横ではスカーレットが怒りに身を震わせてるが、そんな事などまったく意に介さず話を続けた。
「紅い狼の紋章を付けた海賊船団。その紋章から『
一〇〇〇型駆逐艦、四〇〇〇型宙雷艇は共にいささか旧式の軍用艦艇だ。
「宇宙海賊のデータベースか。今さらそんなものを見ても、何の役にも立たんぞ。殿下。『紅い狼』については、ろくに分かっている事がないんだ」
そう言うスカーレットの口調からは嫌みが聞いて取れた。
「そうだ。ろくなデータが無い。他の海賊連中とは違う。それが分かればいい」
出し抜けにそう言うミロを、スカーレットは呆気にとられたように見ているだけだ。
「駆逐艦は三隻。前方に一隻、上方に一隻、下方に一隻。宙雷艇は一二隻。左右後方に三隻ずつ。さらに後方に散開しつつ三隻か……」
周囲の状況を分析するミロに、気を取りなおしたスカーレットが補足した。
「右舷船尾方向に隙がある。ちょうどそちらに別のリープ閘門がある。逃げ込むならそちらになるな」
「ストリーム
ミロは画面を確認してそう答えた。 次元潮流と言うべきリープストリームだが、河川と同様、川幅や流量に相当する概念がある。『シラキュース』が利用しようとしていた前方にあるリープストリームは充分な容量を持ち、やがてさらに大きな流れに合流する。
しかし後方に見えるものは、せいぜい小型艇しか突入できない程の容量しか持っていない。海賊はそれを承知だからこそ、敢えてそこを固めていないのだろう。
「少年、お前は今のこの状況を乗り切る事が出来るというのか?」
相変わらずブリッヂ前方にある立体ディスプレイに目を向けたままで、ゼルギウスはそうミロに尋ねた。
「無論です」
立ち上がりミロは答える。その口調には一点の淀みもなく自信に満ちあふれている。
ミロとゼルギウスのやりとりについていけず、スカーレットはただそこに立ち尽くすだけだった。
ゼルギウスは無言で椅子の肘掛けにあるスイッチを操作する。すると指向性遮音機能を持っている透明のパーティーションは床へと引き込まれた。立ち上がるミロに続いてゼルギウスはハッチソン船長に声を掛けた。
「船長。ご苦労。しばらく休憩しろ。あとはこちらのミロ皇子殿下が指揮を執る」
「しかしゼルギウスさま、ここは私が……」
突然の命令にハッチソン船長は狼狽するだけだ。しかしミロはブリッヂの中央に歩み出るとハッチソン船長に声を掛けた。
「ここから先は私に任せて下さい。すぐに船はお返しします」
ミロのその言葉にハッチソン船長は不承不承ながらも肯いた。ミロは船内電話でひと言ふた言、火器管制室へ連絡を取り、ポケットから何かを出すとブリッヂの中央に立ち、通信手に命じた。
「海賊船へ通信」
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