それぞれの願い
生きる意味
天界の消失。
それによって、世界に混乱が起こったのは言うまでもない。
今の今まで自分達を監視し、抑止していた存在が、忽然と姿を消したのだ。世界に何の変化も、ないはずがない。
監視の目がなくなったことで、世に燻っていた悪の種が開花。七つの大罪とも呼ばれる罪の数々を、貧困に苦しむ人々は働いた。
自国の王政に苦しむ民の叛逆によって、滅んだ国もあった。
地上最強の魔術師、
その結果、黄金帝国とも呼ばれた国の黄金をそれぞれの国が戦利品として持ち帰り、千年続いた大国の滅亡によって、小国は多少なりとも潤った。
かつて
そして孤児院は、三年経った今でも、国民から石を投げられるようにはならなかった。
成長した子供達は、自分達のために戦ってくれた偉大なるドラゴンシスターの死を理解し、彼女のように他人のために生きていけるようにと胸に誓い、各々夢に向かって勉強していた。
そのうち数人の女の子は、シスターにもなった。彼女達は孤児院のマザーの紹介で、隣国の大きな教会で勉強するために国を出て、その教会で住み込みで働いていた。
「では三人、お庭のお掃除をお願いしますね」
「あ、あの……先生。ずっと気になっていたんですけど、あの子は?」
教会に来たばかりの見習いの女子は、掃除を頼まれた庭を差して質問する。
正確に言うと庭ではなく、庭の真ん中に堂々と存在する彫刻を飾る、噴水の側に座る女の子を差して。
身長と顔の幼さからして、見習の子供達と同じ十代前半と見える、とても長い黒髪の少女。
見習いの子供達と同じ修道服を着ているが、唯一他の子と違うのは、被ることを義務付けられている修道女の頭巾を、被っていないことだった。
「あぁ、あの子ね」
と、先生役のシスターは彼女を見つけて両手を合わせる。
「あの子はうちで預かってる子よ。三年前にひょっこり来て、いつの間にかここに棲みついてたの。親もいないみたいだし、うちもゆとりができたからいいんだけど、ちょっと変わってて、他の子達から浮いちゃってて」
「そうなんですね……」
「あの子も悪い子じゃないんだけど……時々おかしなことを言うのよ。私は三年前、戦争に出ていましたって」
「戦争? ヴォイと他の国の戦争のことかな?」
「それ以外ないと思うけど……あの子、私達と同じ歳……じゃないの?」
「まぁ大丈夫、掃除の邪魔をするような子じゃないから。さっ、お掃除お掃除!」
見習いの子達で、せっせと掃き掃除。
しかし三人だけでは庭はとても広すぎて、ただ掃き掃除するだけでは指定された昼食前までにはとても終わらない。
故に彼女達に求められているのは、風の魔術によってゴミや塵を一か所にまとめる能力だった。シスターとて、魔術の才は求められる。
だが三人はまだ、年端もいかない子供達。魔術について幼い頃より教育を施されているいいとこのお嬢様ではなく孤児に、魔術に関する知識など、ほぼないようなものだった。
「ふぇぇ……終わらないよぉ」
「確かに、この広さは……」
「仕方ないね、せめてしっかりやり切ろ、二人共」
三人共、庭の掃除をやり切ることを諦めた。
この場で実践しようにも、彼女達はまだ、魔術に関する本か何かを見ながらでないと、魔術の起動すらできなかったために、魔術を使うことそのものが、できなかったのである。
そんなときだった。
フワっ、と、そよ風が吹いた。
その風は少しずつ周囲の塵とゴミを集め、一か所にまとめてみせる。まとめた場所は、黒髪の彼女のすぐ側だった。
「ポイ」
短く発せられた、呪文ですらないただの擬音は、風となってゴミくずをまとめて持ち上げ、三人が最後にまとめるために持って来ていたゴミ袋にスポっ、と軽快な音を立てて入り込んだ。
三人が驚いて、同時に彼女を見つめる中で、彼女はクスっと微笑する。そして側に置いていた包みからパンを取り出すと、口笛を鳴らして小鳥を呼び、そのパンをちぎって与え始めた。
「あ、あの……」
動物への無断の餌付けは、教会では禁止になっていた。
許可をもらっているかもしれないが、しかしそれを訊かないわけにはいかなかった。
ここで見逃して、後で彼女は許可なんて貰ってないとなったら、そのときは見逃した自分達も責められる。
そんな彼女達の気持ちを察したらしく、黒髪の彼女は微笑を浮かべて。
「この子は私の伝書鳩。前に怪我をしてたところを助けたら、懐かれちゃったの」
「そ、そうなんですね……」
「あなたたち、昨日来た子達? 魔術はまだ勉強中かしら」
「は、はい……お恥ずかしながら……はは」
「あなたはとても、魔術がお上手ですね」
「ありがとう。お世辞でも嬉しいわ」
少女達は、自分達と同い年にしか見えない彼女に、どこか年期を感じて仕方なかった。
まるでずっと昔から、彼女は年を取らぬまま、生きて来てしまったかのような。
「そうだ。よければ私が魔術を教えましょうか?」
「え、いいんですか……?」
「私はこの通り暇ですから、いつでもお相手致しますよ。私、魔術には自信があるんです。三年前、戦争にも出ていた身ですからね」
「そ、そうなんですか?」
「運良く生き残っただけですけれど、ね」
いや、生き残ったというのも違う。
三年前、彼女はその戦場にて、自らの命を散らした身。
この体は間違いなく、天界の大天使の振るう刃に貫かれ、間違いなく絶命したはずだ。
しかし彼女は今、こうして生きている。なんの奇跡か、今、確かに生きていた。
――あなたに、人としての生を与えましょう
その声が聞こえたときには、もう自分は天界でもなく、異次元の神話大戦大陸でもない場所にいて、貫かれたはずの体は、綺麗なものに戻っていた。
いや、綺麗なものに戻っていたというよりかは、変わっていたという方が表現としては正しいのか。
魔導生物である彼女の体は、魔力を主として構成されていたのだが、起きたときには、その構成要素は血肉に変わり、魔力はその中で奔流していた。
彼女――元の名を、
誰の仕業かそれともお陰というべきか、一度死んだはずの彼女は、人間としての新たな人生を歩んでいたのである。
彼女の願いが叶ったかと聞かれると、まだ彼女は、自分の生きる意味を見つけてなどいない。
しかし人間としての人生を与えられ、人間の体と、人間相応の知性を得たことで、彼女は自分の生きる意味を探すことができるようになった。
他人に言われるのではなく、自分で見つけ出す。
彼女の願いは、少し中途半端な、押し付けられるような形で、しかし確実に、叶ったのである。
「さぁ、まずは風の魔術から……」
その後の彼女の人生を、知らない者はいない。
彼女はこの三人の見習いを始めとして、教会で多くのシスターに魔術を教え、戦争により生まれる孤児達にも、魔術を教えた。
結果、とある大戦にて、教会を攻め込んだ国の兵士達が、シスターらの魔術に返り討ちにされるという事件に発展し、彼女達に魔術を教えた滅悪種――改名後、
以降も彼女は、多くの子供達とシスターに魔術を教え、その魔術は国を発展させた。
結果、発展した国は多くの貧困国と同盟を結び、子供達の救済に出、多くの子供達と、貧困に苦しむ人々を救うこととなった。
彼女の名は世界中に轟き、平和の象徴と呼ばれた。
彼女の生涯を綴った本の中で、彼女は語っている。
「私は今、二度目の人生を生きている」
「一度目、私は多くの断末魔を聞いてきた。何人もの人を、この手にかけた。それしか私にはできないと思っていた。皆がそんな私のことを化け物と呼び、蔑んでいた」
「だけど一人のシスターが言った。世界すべてを殺さないでと。殺すことしかできない私に、一人のシスターはそう言って消えた。私はその言葉で初めて、殺すことに疑問を持った。そのときに私は気付いたの、私は人間じゃなかったのだと。化け物なのだと」
「だけど一人の騎士が言った。自分の生きる意味を、生まれた意味を考えたとき、その瞬間こそ人間の証だと。化け物と蔑まれた私でも、人間になれる。私は喜びに満ち溢れた」
「そして私は、人間になるために、怪物の自分を殺した。そのときの痛みを、苦しみを、私は未だに覚えてる。私という怪物が与えて来た死とは、苦しみ、痛みの果てだった。こんな痛みを、私は私に触れるものすべてに与えていた」
「私は、私すらも知り得ない奇跡によって、人間になった。だから今度は、命を奪うのではなく、救う番だった。私に言葉を残したシスターが大好きだった子供達も、大人達も、みんな救いたい。すべてを殺さないでと言われた……すべてを生かすことはできないけれど、私は私を変えてくれたこの言葉に、できるだけ殉じたい」
「この二度目の、人間としての人生は、一度目で私が殺した命よりも、多くの命を生かしたい。そんなものに、私はしたい」
そのときの著者の質問の中に、あなたの生きる意味とはなんですかというものがあった。
しかし彼女は答えなかった。というより、それはまだ探している途中ですと答えた。
世間は、彼女のより多くの命を救う偉業の数々に、彼女の生きる意味は、より多くの命を、一度目の人生で殺したという命よりも、多く救うことだと思った。
しかし彼女は、結局その生きる意味について、明かすことはなかった。
滅悪種は黒十字という名で、その後も多くの命を救い続けた。
あくまで修道女として世間的に扱われていたこともあって、彼女が誰かのものになることはなかったが、しかし彼女に感銘を受け、大人になった彼女に求婚した者も、また多かったという。
そして旧姓滅悪種。改め、黒十字の二度目の人生は、百年で幕を閉じた。
多くの者に魔術を教え、多くの命を救うことに尽力した黒髪の魔女、黒十字。
彼女のお陰でより多くの命が救われることとなったのと同時、彼女が魔術を教えた子供達が戦争に出て、戦争が激化していった。
それでも尚、より多くの命を救うことに繋がった彼女の功績を、咎める者は少ない。
すべての命ではなく、より多くの命を救ったシスター。
かつて彼女に、すべてを殺さないでと願ったドラゴンシスターの願いを、彼女はより大きな形で叶えていたことを、彼女が知る由もない。
そして彼女が再び過ごした百年の人生で、生きる意味を見つけたのかどうか、それもまた、世間の人々が知る由もない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます