天界最高戦力

 二体の天使は混乱していた。

 彼らはまだ脳の抑制が効いていた頃、熾天使してんしにこの場を護るよう命令され、守護者としての任務、初日を迎えたばかりだった。

 しかし突如として脳の抑制が外れ、しかも滅悪種めつあくしゅの髪が雪崩れ込んできて、咄嗟に防御の結界を張ったのだが、離脱するべきかそれとも残るべきなのか、迷いに迷っていた。

 何せ命令したのは、熾天使。

 命令に背いて逃げ出せば、後で何をされるかわからない。脳の抑制は元々天界上層部の指示を聞かせるためのものなので、熾天使の恐ろしさは、身に染みて知っていた。

 故に、もしも現場を離れたことがバレて、後で熾天使が制裁に来るのが怖かった。

 髪の毛に押し潰されて死ぬか、熾天使の制裁で死ぬか。どちらかを選べと言われているこの状況下で、二人は迷っていた。

 無論、この場から逃げ切ってしまうという選択肢もないことはないが、しかしその可能性は限りなく低い。

 熾天使が職務放棄した者を、見逃すなどとは思えなかった。

「ど、どうしよう……!」

「どうしよう、ったって……!」

 二人共、髪の波に圧し潰される寸前まで追い詰められていた。

 その場を護っている結界だが、その結界とその場に続く門とで挟まれて、もうダメだと諦めかけたそのとき、遠くから四枚の翼を羽ばたかせて、一体の天使が飛んできた。

 翔弓子しょうきゅうしだ。

「そこの二人! こんなところで何をしているのです! 避難勧告が出たことがわからないのですか!」

「し、しかし……我々は熾天使様にここを任されて……!」

 天使の翼はその数で、階級を表す。翼が一対二枚だけの彼らよりも、二対四枚ある翔弓子の方が、階級は上だ。

 しかしその例外がその名の通り例外ミ・ティピキィの三大天使であり、翼を持たない彼女達の命令は、他のどの天使よりも優先される。

 例え目の前の上級天使が急かそうとも、それ以前に例外ミ・ティピキィの命令があれば、必ず何よりも、その命令を優先するように、体が出来上がっているのだ。

 故に翔弓子は。

「熾天使様! 並びに召喚士しょうかんし様からの通達です! 今すぐにここから離脱し非難を! 国など、我々がいればまた何度でも立ち直れます!」

「は、はっ! 了解いたしました!」

 しかし二体は結界を解こうにも、解けば即刻潰される状況。

 翔弓子はそれを見て二体の目の前に迫っていた髪を射抜き、燃え散らした。

 二体が飛んで離脱すると、さらに壁を射抜いて外への穴を開ける。

「さぁ、ここから!」

「貴方様は……!」

「私はここに貯蔵されている物を保護します。大丈夫、私にはこの弓がある。さぁ、早く行ってください!」

「……ありがとうございます!」

「ありがとうございます!」

 

 そんな言葉が、彼らの心の底から出たのも、彼らが互いを庇いながら、助け合いながら脱出していったのも、皮肉なことながら、脳の抑制が外れたお陰だった。

 脳の抑制が外れたことで、天使は確かに国を思う心が減ったかもしれない。しかしその代わりに、互いを想い合う心を手に入れている。

 抑制が外れるまえだったら、庇い合いも助け合いもなかった。ただ国のため、天界に尽くすため、それだけに命を賭けていた。

 脳の抑制など、ないのがいいのかもしれない。

 かつて翔弓子の母が、脳の抑制を半分以上外されたことで、魔天使まてんしに恋をしたように。

 翔弓子の魔天使に対する尊敬が、半分外れたことで敬愛に。完全に外されたことで、愛に変わったように。

 思考も感情も縛ってしまえば、確かに誰もが国を思い、命を賭して戦う理想の国ができるのだろう。現に天界は、数千年もその理想の国を保っていた。

 だが――

「それをどうするつもりだい? 翔弓子」

 振り返ると、そこには召喚士しょうかんしがいた。

 見張りがいたはずだけど、などととぼけているが、この惨状と破壊された壁を見れば、彼ならば即座に察しが付くだろう。

 召喚士は熾天使も使う浮遊魔術で若干浮いて、髪の波から逃れていた。さらに三重の結界を張って身を護っており、万全の体勢だ。

 この危機的状況で、しかし余裕そうな笑みを浮かべているのだから、実際、熾天使よりも恐ろしい。

「まさかあなたが出てくるとは、思いませんでした」

「天界の危機だからね。そりゃあ出てくるさ。これでも例外として認めてもらっているんだから、それなりの務めは果たさなければならないだろう。さて、もう一度聞くけれど、それをどうするつもりだい? 翔弓子」

 翔弓子の目の前にある、召喚士の差すそれは、翔弓子がたった今開けた棺桶の中身。

 この戦争で死んでしまった、天界の太陽――魔天使の遺体。

 見張りの二体をうまいこと言いくるめて持ち出す算段だったが、その一歩手前で、あろうことか一番言い訳が通じない人に見つかってしまった。

 ここで言い訳をしたところで、何も通じることはない。

 それを理解しているものの、しかし翔弓子は挑発するかのように。

「天界にとって大事な遺産とも言えるこの方の遺体を、護りませんと」

 と言ったが、無論そんな言葉など、彼には通じない。

「もう天界はダメでしょう。天使達を従える脳の抑制も破壊され、三人の幹部まで死んでしまった。これは、天界の玉座システムそのものを見直す必要がありそうですね」

 魔天使を収めている広間に蠢いていた髪が、まるで物凄い力で引っ張られたかのように外へと追い出されて、さらに門が閉じられる。

 これも召喚士の魔術か何かであることは明白なのだが、しかし一瞬で広間を覆い尽せるだけの髪の波を追いだせる術など、翔弓子の知る魔術の外。召喚士が果たして、どれだけの魔術を隠し持っているのか、想像もしたくない。

「さて、その死体をどうするつもりかな。まさか、何かの魔術の触媒に、なんて、考えていないよね。高位天使の死体を魔術触媒にすることは、僕だけに許された特権なんだけどな」

「天界がこのような事態だというのに、こんなときに、滅多に使われない職権を使われるのですか」

「確かに天使達の脳の抑制をしていた魔術式は完全に崩壊し、一番から三番の玉座に座る者も皆、君の手によって殺された。熾天使も……まさかあの人が負けるだなんて、思いもしなかった。彼――いや、彼女は相変わらず、僕らの前に出てくるつもりはないようだし」

 純騎士じゅんきし様が、熾天使様を――?!

 確かに、魔術さえ奪えば、剣術で押せるかもしれないとは助言した。

 しかし純騎士には熾天使を押しとどめてもらうことだけを願っていたつもりで、まさか倒してさえもくれるとは思わなかった。熾天使だって、魔術だけの天使ではなかったはずだが。

「君の言う通り、もう天界は今までのようにはいくまいね。また一から、始めなければいけないわけだ。そして、そのために、僕には魔天使の死体が必要だ」

「なんのために、ですか?」

「もちろん、天界を立て直すために使うのさ。天使達の抑制と支配の魔術は、億を超える天使達を統率するためには必要だからね」


「今回のような事態を招いたのは、君のように中途半端な存在の抑制を、完全に解いてしまったからだ。ならば階級制度も撤廃しよう。天使達の脳の抑制は、一生付け続ける。彼らに反抗する力も、意思も、与えやしない」

「それが国ですか?! 様々な意思と主張、思惑が絡み合うからこそ、国ではないですか! それでは家族にすらなれない!」

「他の国と天界を一緒にしちゃいけないよ。天界は、神々の住まう天空に座す、たった一つの国なんだ。その言動はすべて、神々の言伝でなくてはならない。多くの思惑に混濁され、国という組織を自壊させる地上の国々と同じじゃあ、ダメなんだよ。一つの意思の元、神という存在の崇拝の下に組織され、統率された国。それが、天界なのだからね」

「そのためにまた、私達天使の頭を抑制すると……私達に、相手を想い、愛し合う心は、いらないと言うのですか!」

「いるさ。ただその想う相手を、愛する相手を国に、さらに言えば、その国の象徴たる神に向けさせるだけの話。君達は神に心酔し、命を賭して、戦い続ければそれでいい」

「あなたは天界の中でも変わり者で、私達のような忠義心とは無縁だと、思っていたのに……」

「これでも僕は、この国のナンバーⅡと呼ばれてた男だよ? 呼ばれるからには、それだけの責任がある。僕はこの国を、諦めてはいけないんだよ。だからもう一度、天界を取り戻すために……さぁ、魔天使の死体をこちらに渡してくれ、翔弓子くん」

 召喚士は直後、首を傾げた。

 何かが理解できなかったことが、態度に現れたわけではない。

 そうしなければ、召喚士の頭が翔弓子の矢によって、射抜かれていたからである。

 召喚士が張っていた結界すら貫通し、召喚士に回避を余儀なくさせるほどギリギリの位置に放たれた矢は、壁に直撃した直後、煌く炎を上げて爆散した。

 この炎は――いや、そもそもあの弓矢は……!

「そういえば、熾天使があなたに褒美を与えたと言っていましたが……六光環ティファレトを与えたとは……!」

「魔天使様のご遺体は譲れません……この方には、まだ、行くべきところがある!」

「これは困ったね……やはり君の抑制を解くのは、まだ早かったということか」

 ならば、と、召喚士は飛んだ。

 そして足元には召喚陣。名前の通り、召喚獣が彼の手駒。

 故に力尽くで奪うのだと、翔弓子は理解した。頭脳戦が得意な彼からしてみれば、少し不自然なくらい力尽くで来ているような気もするが、それ以上は考えない。

 召喚士が召喚したのは、剣士、弓兵、そして大槌を持った蜥蜴人リザードマン。体の代償は異なれど、なかなかに鍛え上げられている様子である。

 十数年前、天界の天使を殺した罰として、蜥蜴人リザードマンの種族を一つ掃討したことがあったらしい。おそらくそのときに、隷属させた者達なのだろうが。

「行って」

 弓兵が弓を引く。

 剣士と大槌持ちが接近してくる。

 翔弓子は魔力で矢を生成。弦を大きく引いて、構える。

 そして大槌持ちが頭上から大槌を振りかぶった瞬間。剣士が横薙ぎに斬り払おうとした瞬間。そして弓兵の矢が空を裂いて飛んできた瞬間。

 それら三つが重なったその瞬間。翔弓子は矢を放った。

 一発の矢が、まず剣士の剣を折った。大槌持ちを射貫いた。さらに放たれていた矢を撃ち落とし、さらに弓兵の脳天に直撃した。

 二体から遅れて、二撃目で剣士の頭を射抜いた翔弓子は、召喚士を見上げて再び矢を構える。

 手加減することなく全力で来い、と、召喚士を視線で挑発する。

 召喚士はわざとらしく、指先で頬を掻いて困ったなという表情を浮かべると、すぐさまに降りて来て、新たな召喚陣を出現させた。

「魔天使は優秀な弓兵だった。だけど、いつからだったかな……彼の脳の抑制を八割外した次の日くらいから、彼はその弓を使わなくなった。なんでか訊いたら、銃天使じゅうてんしと被ってるのが気に入らない、だってさ」

 あの方らしい……。

「そのまま弓兵でいれば、彼も地上で負傷することもなかったんだ。そして地上の人間と恋をして、堕天することもなかった。たった一つの見栄で、生涯が狂ってしまう。やはり脳の抑制はあった方がいいね」

「脳の抑制がなかったからこそ、あの方は幸せだったのです。愛しい方と一緒に居られる時間まで与えられて、その幸せを感じることができた! 脳の抑制なんてあったら、あの方の幸せはなかったのです!」

「それは、個人的な幸せの話。僕はこの国全体の幸せの話をしているんだ。個人個人の幸せなんて主張してたら、必ず誰かが不幸にならなきゃいけない。その不平不満が募り募って暴動が起き、それでまた誰かが不幸になっての繰り返し。わかるね? 個人的な幸せを主張していたら埒があかない。だけど国が幸せならみんな幸せだ。これ以上素晴らしいことはないだろう?」

「ですがその幸せを、誰も感じられないんですよ!?」

「幸福感を感じれば、更なる幸福を求めて無理をする個体も出るだろう。それでむざむざ天使達を死なせるわけにもいかないし、暴走させるわけもいかない。幸せなんて感じなくとも、国が無事に動いていることを実感すればそれでいいのさ」

「そんな国、私は許さない!」

「君に許されようなどとは思わない。ただ僕は、その死体を手に入れたいだけなんだから……だから」


「君を殺してでも手に入れるよ?」

「そんな、バカな……」

 出かけた言葉は、すでに殺したはずなのに、だった。

 何故ここに、彼が召喚されているのか。

 召喚獣は例え殺されたとしても、魔力が回復すれば確かに復活する。負傷程度なら数日で済む話だが、しかし死を塗り替えるとなると年数単位で掛かる。

 だというのに、今目の前には、三日も経たない少し前に殺したはずの、首なしの裁定者さいていしゃが立っていた。

「僕の黄道十二神獣じゃ、すでに対策されているかもしれないからね。彼を使おう」

「あなたの召喚獣……だったのですか」

「そういえば、このことは四番目テタルトスにしかバレていなかったっけ。そう、彼は僕の召喚獣になった者。数年前に、とある戦場で見つけた掘り出しものでね。首を落とされても尚戦い続けるその勇姿を認め、完全に死ぬ前に僕の召喚獣として契約させたんだ」

「それで、首なし騎士の完成ですか……」

 すでに死にかけている存在を召喚獣の制約で縛れるのは、召喚士の技術があってこそだ。普通はできない。

 しかもその死にかけている状態から、召喚獣として成立させてしまうのだから、彼の強引さは、実に脅威であった。

「彼はとある王国の騎士団長でね。深淵の調査に何度か出ている実力者。だから滅悪種めつあくしゅの監視に指名したのだけれど、役目を果たす前に君に殺されてしまって、呆気なかったな」

「役目?」

「彼は滅悪種が優勝するとなったときの停止装置。彼女が玉座に就くより前に、彼女を殺すよう言い渡してあった。でも君が殺さなくても、彼はそうしなかっただろうね。滅悪種と接触しているうちに、情が移ってしまったらしい。殺せる機会はいつでもあったのに、そうしようとしなかった。これも、彼に思考の自由を与えてしまったからかな……と、言うわけで」

 召喚士の腕から伸びた魔力が、裁定者の腕に巻き付いた。そして腕輪となって、裁定者に魔力を巡らせる。

 本来は首輪だが、それは召喚者が召喚獣を従えるために隷従させる道具である。本来は意思も通じない獣に使う術だが、それを召喚士は、裁定者から意思を奪う拘束具として持ち出したのだ。

「自由な意思は時として、帯びた使命すらも忘却させる。でもそれじゃあ、意味がないんだよ。一人の駄々のせいで国が亡ぶ。そんな馬鹿馬鹿しい結果、笑えないだろう? だからね? 僕は今、とてもじゃないけど笑えないんだよ」

 両腰に差した西洋剣を二本抜き、両手に握って斬りかかる裁定者。

 翔弓子は飛び上がり、弓矢を放つ。

 しかし頭上からの攻撃に対して、裁定者は的確に剣を振るって撃ち落とす。

 そして二本を突き立てると、その背後に巨大なパイプオルガンを現出した。

 黒い影が巨大なオルガンの鍵盤に次々と飛び乗り、指揮者のつもりか一体の黒影が右手を滅茶苦茶に振ると、鍵盤の上の黒影達がポンポンと飛び跳ね、喧騒ながら旋律を奏で始めた。

「“黒霊夜想曲ブラック・ノクターン”」

 首なしの裁定者による、鎮魂歌が響き始めた。

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