終わりの見えない地獄が終わる
子供が好きだ。
彼らの無垢で、無邪気な笑顔が好きだ。
無垢というのは文字通り
一切の穢れも邪もなく、彼らはとても素直でとても真っ直ぐ。
そして何より正義感が強く、自分の中の正義が絶対。悪者は絶対悪、故に許さない。
悪者には正義の鉄拳ないし、制裁を落として止める。
そんな彼らが、何故成長と共に穢れていくのかがわからない。何故汚れなければ、前に進めないのかがわからない。
そんな彼らの人生を、とあるシスターは酔った勢いで床掃除の雑巾に例えた。
新品の雑巾を赤子として、汚い廊下を人生とする。
拭き掃除をする勢いで進んでいくのを成長としたとき、雑巾は成長すればするほど汚れて汚くなっていく。
その汚れがこの世界で生きていくうえで必要な嘘であり、妄想であり、虚言である。
そうして見について行ったそれらで嘘を重ね、自らの心にも嘘をつくようになっていく。
成熟する頃には雑巾は両面の隅まで汚れ、役目を終えて捨てられる。これが人生、これが子供の行き着く先。
だが疑問なのは、何故人生がすでに汚れた廊下という前提で置かれているのかである。この場合、廊下と老化を掛けているなんて下手に上手い文句は要らない。
だがそれは見ればわかること、聞いてわかること。世界の歴史を学べば、必然と知ることである。
人の道はいばらの道。
正道では進むことすらままならない、曲がりくねった捻り曲がった道ばかり。
故に人々は進むために嘘を身に着け、邪気を身に着け垢を身に着ける。
故に人は無垢でなくなり、無邪気でなくなる。成熟した身でもそう呼ばれそうなものは、変わって馬鹿か阿呆の称号を得る。
それが嫌だから人々は無垢な姿を、無邪気な行動意欲を捨てる。
人は決して、真っすぐ進むことができない生き物であり、そうした人間達が敷いて行った道だからこそ、人生とは汚れているのだ。
ならばもし、その道が酷いくらいに美しく、真っすぐだったらどうだろう。
澄み切った水に魚は住めない。だが自分達は人間だ、どの生物よりも汚い道を生きるくせして、誰よりも美しい道を歩むことを望む。
そんな生き物だから、きっと対応しようともがくだろう。
正道こそが正義であり、人生。嘘は大罪、犯すは死罪。
そんな世界に放り込まれたら、生きているのは誰だろうか。
それこそ純真無垢、無邪気な子供達である。
だからこそ、この世界の変貌を願う。
自分を助けてくれた子供達。自分を護ってくれた子供達に変わって、今度は自分が子供達を護る番だ。
あの日迷い込んだ小国の孤児院で、龍の鱗と尻尾を持つ自分を迎えてくれた子供達。
大人は誰もが渋ったけれど、子供達に迷いはない。人を助けることこそ正義と信じ、おのれの正道を貫いた。
だからこそ、だからこそ思う。
みんな、子供のままでいればいいのにと。
そうすればみんな、みんな、種族も血も肌の色も宗教も文化も一切の隔たりなく、共に生きることができるのに――
「
その道中に異修羅を発見し、すぐさま隠れて様子を見る。
そのときの異修羅は絶えず戦場の方を向いていたが、もしもこちらに気付けば問答無用で襲い掛かってくるとすら思えるほどの凶暴性を兼ね備えているため、容易に走り出せなかった。
しかし同時、闘争本能の塊にしか見えない異修羅が、何故こうも大人しく戦場を見つめたまま固まっているのかが不思議で、思わず見入ってしまったというのもあった。
「……が」
「?」
「が、い……こぉ……てぇ……?」
彼の口から、驚愕の名前を聞いてしまった。
骸皇帝。
その名ばかりで姿は見たことがないが、千年もの間生き続ける皇帝にして現在における地上の最強魔術師。
その彼が、翔弓子の向かった戦場にいるというのならば、これはもはや急ぐしかないわけである。龍道院に迷いはなく、すぐさま走ろうとした。
が、それよりも速く異修羅が走り出す。
凄まじい速度で駆け抜ける異修羅に続いて走る龍道院は、すぐさま異修羅に魔術陣が展開しているのを見つける。
先刻突如として彼が自分達の戦場に現れたことを思い出した龍道院は勘を働かせ、すぐさま異修羅に飛びついた。
異修羅は目の前の戦場ばかりが気になって、龍道院に気付いていない。故に龍道院が彼にしがみつくのは簡単なことで、彼の転移で共に戦場へ向かうことができたわけである。
そして現在、その異修羅の鎌を振り上げて
その胸の内は、酷い後悔の荒波に呑まれていた。
あのとき掴んだ異修羅の肩。
その手を放してしまった、見放してしまった。彼は自分では左右もわからない、まだまだ助けが必要な子供だった。
子供を見捨てた、見殺しにした。殺されるその瞬間まで、自分はただ傍観者に成り下がっていた。
ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな。
子供を見殺しにしておいて、何が子供のための世界を作ろうだ。
子供のための世界を手に入れるため、他の子供を見殺しにする。そんな選択肢はありはしない。
すべての子供を救うのだ。助けるのだ。そのために、龍道院はこの戦争に参加したのだから。
「水風大地を一掃し、万象一切灰燼と化す! 純血殺しの雷焔十字!」
「“
燃え盛る龍炎。
轟く雷霆。
二つの熱が刃となって吹き荒び、骸皇帝を斬り裂き焼き尽くす。
焼却の後に滅却された骸皇帝の体は灰となって、無残に散っていった。
「ハァ……あぁ、あぁぁぁ……」
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。
でもこれで、これでほんの少しだけでも慈悲をください。
謝罪を受け止めてください。
あなたを見捨てた私を、許してください。
あなたの冥福を、ずっと祈ります……――
「なんということだ――」
「――やってくれたな貴様」
龍道院が振り返ると、そこには塵にしたはずの骸皇帝。
しかしその体に刻まれていた刻印の四分の一ほどが消え、少し黒が目立つようになった。
そしてその赤い眼光は、龍道院を射貫いている。
すぐさま回避するべく跳ぼうとした龍道院だったが、地面から生えてくる腕に尻尾を掴まれていてその場から離脱できない。
そして地の底より湧き上がったのは、六腕の巨躯を持つ大男――異修羅だった。
尾を持ったまま雷霆の斧を振りかぶり、龍道院に斬りかかる。
斧を躱すために身を
異修羅は尾を棄てて斬りかかってくるが、しかしすぐさま動きが止まる。
斬り落とされた龍道院の尻尾が蜥蜴のそれのように動き、異修羅の首に巻き付いて締め付けたのである。
もはや死人である異修羅に窒息死はないが、まだそのことに気付けていない異修羅は首を絞められまいと必死にもがいた。
その隙に、龍道院は距離を取る。
龍道院が仕留められなかったことに憤慨した骸皇帝が咆哮したのは、その直後だった。
「おのれ! おのれおのれおのれ、おのれぇぇぇぃっ!!!」
酒池肉林――いや、違うか。
激昂する骸皇帝の周囲から、無数の骨腕が生えてくる生えてくる。
それらが狂気的に乱舞して、怒れる骸皇帝を賛美するかのように震えていた。
「貴様ら虫に幾度殺されようと構わぬ! 最後に殺すのはこの骸皇帝なのだからな! しかし許さぬ、許さぬぞ女! 今の一撃で我は今七九死んだ! おかげで許容量を超えた我が魔術の一つが死に絶えたわ! こんな屈辱は初めてだ! 一撃で重ねて殺すなど、我が地位を脅かす害虫の所業! 殺してくれる、殺してくれる! 我が脅威の一縷となった貴様を今! 我の手で!!!」
わからないが、皇帝の逆鱗に触れたことだけは確かである。
だが最初に逆鱗に触れたのはむしろ皇帝の方であり、不遜であろうと不敬であろうと、その首はもはや刈り取る対象。
子供を殺した挙句、死霊魔術で死体を操って戦わせるなんて侮辱にして恥辱。
かの青髭騎士が生きてさえいれば歓喜したのだろうが、生憎と子供の大量殺戮を成したその男の欲望が満たされるような世界など、龍道院ならば喰って吐き捨てる腐り物である。
それをやっている骸皇帝に、もはや殺意しか湧かない龍道院は、雷霆をまとった鎌を振りかぶる。敵が不死身だろうとなんだろうと関係はなく、再び燃やして斬り尽すだけであった。
「死ねぃ! 貴様はとくに念入りに――?!」
「“
「“
右から
頭の右側は陥没し、胴体の左側が貫かれた骸皇帝は、一瞬だが言動が止まった。今の二撃で連続で死に、一瞬ながら機能が停止したのである。
「あっぶねぇ! 俺まで
「わかるようにあなたが勝手に名付けた名前を言ってあげたではないですか! 文句を言わないでください!」
とっさに合わせたにしては、まるで密に計画していたかのような連携で骸皇帝を押さえた二人は、同時に龍道院の前に躍り出た。
左肩にまとっていた鎧が砕かれて籠手も破壊されている純騎士に対して、先ほど腹に穴が空いていた魔天使はその穴が塞がりむしろ元気に見える。
そんな二人が同時に出て来たことで少しだけ硬直する龍道院のまえで、純騎士と魔天使は骸皇帝と異修羅と対峙する形で構えた。
「そっちは済んだのか? 見たところ相当やられたようだが」
「向こうは二対一でしたので、まぁそれなりに手こずりました。それに対してあなたは大口をたたいておいてこの始末ですか、煉獄の魔天使」
「聞いただろ、病人なんだよ俺は。少しくらい褒めてくれ」
「病気を理由に戦えないと、言うタイプではないでしょうあなたは。こうして前線にまた出て来ている」
「それもそうだ……で、こいつなんだが……おまえ、不死身の皇帝倒す術あるか。百は優に超える魔術刻印植え付けて、延命かつ不死身を保つ化け物なんだが……」
純騎士は静かに、レイピアを収める。
そして鎧も籠手も破壊され、晒された傷だらけの左腕に傷から出る血で文字を描き、合掌の後に魔力を収束し始めた。
「一つだけ、手があります」
「そうか……それは確実に、か?」
「不死身の体があの皇帝の体質や性質だったなら無理ですが、魔術でそうなっているのなら効果的でしょう。ただしこれにはとてつもない時間が掛かります。厖大な魔力が必要になるのです。元々の容量が少ない私では……」
「おし、ならその時間俺が稼ぐ。なぁにやられっぱなしじゃあ納得できねぇって話さ、気にすんな。一回どころかしくじったときように二回目の時間だって稼いでやるぜ」
「一度で結構です。一度とはいえ、あなたの力を借りるのは大変不本意なんですから」
「言ってくれる……なんで俺ぁそんなに嫌われてんだ?」
「自分の胸に手を当てて考える時間を設けてください」
仲がいいのか悪いのか、しかし相性はいいのか土壇場でも抜群のコンビネーションを繰り出す二人。
入る隙がなく、思わず割り込むタイミングを失ってしまった龍道院は、二人が黙った瞬間に声を掛けようとする。
しかしそれと同じタイミングで尻尾を振り払った異修羅が動き出し、龍道院はとっさに雷霆を司る鎌を構える。
しかしその前に立ちはだかった魔天使が異修羅の頬を殴ってよろめかせると合掌したままの純騎士が足払いでバランスを崩させ、そこに魔天使が拳を叩き込んで殴り飛ばす。
またコンビネーションで迎撃した二人だが、とくに純騎士は嫌そうだった。相当に不服と見える。
「おい、ドラゴンシスター。てめぇまだ動けるか。尻尾斬られちまったみてぇだが」
「な、舐めないでよ……動けるわ、これくらい」
「そうか。なら、あれ頼んだ」
「あれ……?」
龍道院が見ると、そこには頭を抱えて唸る翔弓子。
なんの守りもしておらず、ほぼ放置の状態で置き去りにされていた。
これには龍道院の脚が出る。背後から魔天使の頭を回し蹴りで蹴り飛ばした。
首が折れそうな威力を受けて、魔天使は思わず首折れたと呟きながら折れていない首をいたわりつつ蹴られた頬をさする。
「あんた正気?! あの子はあんた追いかけてここまで来たのよ?! あの子放置とか正気と思えないんだけど! 死んで! 一回死んで神様からにでも正気って奴をもらってくればいいわ!」
「天使は流れ弾喰らった程度で死にやしねぇよ! 大体こいつ連れて逃げろって散々言ってたのに、無視したのはてめぇだろうが!」
「死にかけで虫の息のあんたの声なんて聞こえるわけないでしょ?! あんた目の前で何が響いてたかわかってる?! 雷よ雷! 聞こえないわよ!」
仲がいいんだか悪いんだか、なんだか痴話げんかにすら聞こえてくる。
魔力を収束させるために集中したい純騎士は、二人の喧嘩によって阻害されてイラだっていた。
それを察した魔天使は、あぁもうと叫んで喧嘩を切る。
「とにかくだ! あの野郎は任せた! てめぇならあの野郎のことを任せられる!」
「勝手に決めないで! 確かに子供は預かりますけどね! 大した理由もなしに一方的に預けろだなんて納得できるわけないでしょ!?
「……大した理由なら、ある」
急に魔天使が意気消沈したことで、龍道院まで勢いを削がれる。
異修羅が再び起き上がったために魔天使は構えたが、しかし意識は龍道院に向けて語りかけた。
「天界にされてた頭の抑制が、外れかけてる。感情、記憶、その他もろもろを制御してたやつだ。この戦争に放り込まれた時点である程度は外されてたんだろうが、さっき俺が壊したおかげで完全に外れる」
「あの、少し機械的な喋り方は意図してたんじゃなくて……その抑制が?」
「天使は基本機械的だぜ。まぁあいつの場合、言動の自由を得たから余計に目立つ形で出てたが……その抑制が、この戦いで度々外れかけてた。その度に天界から制御の魔術が飛んできて、あいつを苦しめてたからな……最初は敵だからってそこまで面倒見る気はなかったが……」
「いいかドラゴンシスター! これは実に有意義な取引だ! てめぇが倒せねぇあの骸骨を俺らが倒す! 俺が側に入れねぇあいつの隣に、おまえはいる! あの野郎をぶっ殺したとき、あいつの目が覚めたとき、それは二つの終わりの見えねぇ地獄が終わる瞬間だ! そのときまで、てめぇとは戦わねぇでやる! だから全力で、そいつを護れ!」
龍道院はおもむろに、構えを解く。
しばらく何も言わないまま俯いたかと思えば、速度ゼロの状態から一気に加速して翔弓子へと駆け寄り、背負って駆けだした。
「あんたのためじゃない! この子のためよ! だから勝手に戦って……勝手に勝て! この子のために、生きて戻って来い! 来なかったそのときは! 地獄からおまえを連れ出して、私の手で殺してやるからな!!!」
強い言葉を残して、龍道院は雷霆を携えた鎌と翔弓子を負ぶって走って行く。
それを追いかけようとした異修羅だったが、目の前に炎の壁が聳え立ったことで躊躇した。
「勝手に巻き込まないでいただきたいのですが」
炎の壁の内側で、合掌を続ける純騎士が文句を言う。
無くなった左眼を覆うために袖を千切って即席の眼帯を作った魔天使は、悪い、とだけ謝った。
「あのシスターにとっちゃ、
「……今回だけです。今回だけ、許します。悔しいですがあなたの言う通り、あの皇帝を倒したいと思っていますので」
ずっと黙り、俯いていた骸皇帝。
とっくに蘇生による硬直からは解けていたが、しかし今度は別の理由でずっと固まっていた。
怒りは心頭。
炎のように燃え盛り、滅却済み。今ならば魔天使の炎すら、涼しいとさえ思えるほどに。
倒す倒すと散々好き勝手に言われ、挙句の果てに倒せる手段があるなどと暴言を吐かれたからには、もはや冷静を保つ必要性は皆無。
内から湧き上がる混沌の魔力を抑えきれず、噴き出る魔力の色は漆黒。
自らの握力で杖を粉砕し、握ったのは目玉がついた槍。
片腕を軸として器用に回し、地面に突き立てて巨大な骸骨を召喚する。
怒りは全身全体に満ち満ちて、すでに二人を殺す準備はできていた。
「貴様らに問う……我はなんだ。我は何者であるか。貴様ら下等な種族にはなんと見えているか」
「骸骨!」
「一人の死霊使いにございます」
「違うであろうが!!!!!」
骸皇帝の咆哮で、周囲の大気が薙ぎ払われ落ちる。
酸素を含む気体がすべて地面に叩きつけられたような感覚で、二人は一瞬息苦しさを疑った。
「我は皇帝! 黄金の帝国ヴォイの建国者にして千年間の名誉と力を誇示し続けた、偉大なる皇帝なるぞ! 頭が高い頭が高い頭が高い頭が高い、頭が高い!!! 貴様ら我を前にして頭が高い! 膝間付け!
骸皇帝の咆哮を合図に、骨腕の波と異修羅が同時に襲い掛かってくる。
そのまえに対峙する魔天使は、袖を千切った左腕に純騎士と同じく文字を描き、燃え盛る刻印として力を放った。
「さぁ、第三ラウンドだぜ……骸骨!」
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