戦争激化

てめぇがいた

――お腹空いてる? よかったら食べない?

 俺に会う度に言う、いわゆる開口一番って奴は、決まってそれだった。てめぇは絶対にそう言って、持っているバスケットの中身を俺にくれた。

 決まってパン一斤と、チーズと干し肉とぶどうジュース。俺がそれを全部食べると、てめぇはおいしかったか絶対に訊く。俺がうまかったと答えれば、てめぇは絶対に満面の笑みを浮かべて、よかったと言う。

 いつからてめぇとそんな関係になったのか、憶えてねぇ。どれくらいその関係を続けていたのかも、定かではない。

 だがてめぇはいつの間にか毎日のように俺のところに通ってきて、その小さなバスケットの中身を俺にくれるようになっていた。

 てめぇとの出会いは、唐突だった。

 森で一人、またどこぞの国の兵団を打ち負かした俺は、疲労と空腹で冗談抜きに死にそうになっていた。気力も体力も魔力も、もう湧かねぇ。

 そのときの俺の機械的思考は、単なる行動不能とこれ以上の生命活動の維持の無意味を悟って、寝るように力尽きようとしてた。

 だがなんだか、胸の内から込み上げてくるものがあった。俺の最後は餓死かよと、なんだか俺の求めてた終幕とは違う形が気に入らない感じがして、俺はその苛立ちを拳に乗せて叩き込んだ。

――お腹空いてるの? よかったら……食べる?

 その苛立ちを聞きつけたてめぇが、あのときくれたバスケット。そのお陰で俺は死なずに済んだ。

 思えばそれからなのか。てめぇが俺のところに通って、毎日食べ物をくれるようになったのは。

 最初は本当に死にそうだったし、その施しを受けなきゃ死ぬこともわかってたから甘んじて受けたが、二度目以降は別に平気な段階で、少し冷静になった俺の頭はその施しを受けることを拒絶した。

 ただの人間であるてめぇに施しを受けるのは、当時の俺の頭ん中が危険信号を上げていた――というか、今思えば、単に俺のプライドが許さなかっただけなんだろうが。

 ともかくそのときの俺はてめぇからこれ以上の施しを受ける理由も見つからなかったから、そう簡単に食わなかった。

 だがてめぇはそんなとき、決まって言った。

――お腹、空いてないの? この近くの木の実とかは、毒あるからダメだよ食べちゃ。それにこれ、施しとか同情とか、そんなんじゃないから。私は、あんたがこれを食べればそれで満足! ただそれだけ!

 そう言って、しつこくしつこく、時には俺の口に無理矢理パンとチーズと干し肉を一気に詰め込んでまで、てめぇはそのバスケットの中身を空にするまで帰らなかった。

 そんなことが半年を超えると、もう段々と日常になっちまった。少しでもてめぇが姿を見せるのが遅れると、なんだか妙に落ち着かなくもなった。

 だからあのときは、マジで焦った。

 その日は晴天で、なんだか蒸し暑い春だった。いつもの時間になっても、てめぇは来ねぇ。

 前にはどこかで道草を食ったとか、家の手伝いでなかなか抜けられなかったとか、そんなことを話してたが、このときはなんだか虫の知らせがあった。

 妙に、いつも以上に落ち着かない。この日は何がきっかけだったか、妙に心臓辺りがバクバクとして、いつもの呼吸ができてなかったように思う。

 だからだろうか。次の瞬間に聞こえた爆音に向かって、俺は全速力で飛んだ。今までてめぇの前では隠してきたそいつを使って羽ばたいて、俺はてめぇの元に飛んだ。

 そうしたら、行われてたのは破壊だった。

 どこぞの国が近々戦争をするってんで、周囲の村から食い物や金銭を巻き上げてる、なんて事情を知ったのはかなり後の話だ。そのときはただ、てめぇのことだけが心配で、てめぇのことだけを考えてた。

 とにかく俺はてめぇを探して、村中を駆け回って、向かってくる敵を全部ぶっ殺した。

 俺の炎とどけという咆哮が効いたのか、奴らは怪物が出たと引き上げていく。無理もねぇか。そのときの俺の姿を見れば、誰でも怪物って言うだろう。

 だがそんなことはどうでもよかった。例え俺が怪物と呼ばれようが、そんなことは関係ねぇ。ただてめぇのことだけが頭を縛ってて、てめぇを助けろと俺の脳が勝手に命令を下してた。

 他人には幾度となく命令されて、それをなんの疑いもなく受け入れてた俺としては、自分自身で勝手に命令して、それでいて滅茶苦茶自分を疑いながらその命令を実行するのは悪寒がした。

 なんだか今までと違い過ぎて、自分で決めたことなのにマジで自信なかった。

 だけどもう止まれなくて、っていうか止まる理由も見つからなくて、俺はその姿のままてめぇを探して走った。

 時間はそうかからなかったと、てめぇは言う。

 だが俺としちゃあ、元の場所からここまで飛んできて兵団を片っ端から殺しながら、村からさらに離れた地下の広間にいるてめぇを探し出すのにかなりかかった。

 俺の姿を見た他の奴らは、そりゃあ兵団と同じことを言って広間の隅っこに固まった。化け物だ、ってな。

 確かにそりゃそうだ。この時の俺の姿を表現するには語彙が足りねぇが、まさしく怪物だった。人間なんて様じゃねぇ。原型も留めてねぇからな。

 だが、てめぇはなんの迷いもなくそんな俺の前に出て来て、んでもってなんの躊躇いもなく言ったっけか。

――お腹空いてる? よかったら……あとで、食べに来て

 奴がどこで、どう見たらそのときの俺を俺と見たのかは知らねぇ。だがてめぇはなんの迷いもなく、俺を俺だと言ってくれた。

 その夜、村を救った俺をてめぇは村人達に紹介してから、宴が始まった。最小限に食い止められた被害と、てめぇにいつの間にか恋人ができてたって、村人達はまるで自分のことみてぇに喜んでたっけな。

 俺は少し混乱してたが、勧められるがままたらふく食った。初めて、料理ってのを食った気がする。火の通った飯を食ったのは、向こうでも経験がなかった。

 舌鼓を打つってのは、まさしくあのときのことを言うんだと今でも思う。あのとき食った飯の味は、今でもこの舌に刻み込まれてる。そのほとんどがてめぇが作ったって言うんだから、俺はなんだか心が躍る気分になった。簡単に言えば、嬉しかった――んだよな。

 宴が終わると、俺はてめぇと初めて会ったてめぇの両親、んでもって今回の騒動で死んだ村長の息子ってのに、俺の素性を明かした。

 本当ならこんな感じで明かす素性じゃねぇし、聞いた方はそりゃあ驚くんだろうが、てめぇらは肝が据わってるってかなんて言うか、最後まで静かに聞いてたかと思えば、静かに頭を下げて礼を言ったっけか。

 しかもてめぇの親は、是非てめぇを俺の嫁にとか言ってきやがった。俺は冗談だろ? って言ったんだが、隣のてめぇ見て気が変わった。

 いつも軽快で、元気の塊だったてめぇが、突然シュンとなって顔赤らめてやがるんだから。ギャップって言うの? そこに惹かれちまったよ。

 そのときの俺は、恋心なんて知らなかった。俺達は能力に応じて相手が決まって、子作りさせられる種族だからな。恋なんて自由はなかった。

 だから実際、てめぇに惚れたなんざわからなかった。これが惹かれるってことなのかってことも、随分と後になって知ったよ。

 でもそのあとてめぇに呼ばれた俺は、求められるままてめぇを食った。そのままの意味じゃねぇ、要は抱いたってことだ。

 初めて感じた、人間の温もり。てめぇの中に入ったとき、俺の中の俺自身知らなかった部分が起き上がった気がした。鍵が外れた、とも言える。

 それからの俺の中には、いつもてめぇがいた。元々長居もするつもりなかったが、一年近くその村にいた。

 だが俺は帰らなきゃならなかった。だから一端帰って、てめぇを迎えに来る。んでもって今度は、俺の国に連れて行く。そう約束して国に帰った。

 なのに――

 国は、俺を堕天使と呼んだ。人間と交わるなど何事だと、崇高な種族である我々を侮辱する行為だと、俺を蔑み侮辱した。そして仕舞いには、てめぇを殺すべきだと言いやがった。

 俺は初めて――いや、真に自覚したのは初めてだったが、実際には二度目の怒気に支配された。国に叛逆はんぎゃくし、何百と言う元仲間を殺し、頂点に立つ一人の男を半殺しにした。

 だが結局捕まって、俺は俺の力の半分と俺の姿の一部、そして俺の武器を失って、その国から追放された。

 追放されたことには清々したが、てめぇを国に連れて行く約束が果たせなくなったことが残念だった。

 だがまだ希望はあった。俺は虫の息だった体で、約半年の時間をかけててめぇのいる村に着いた――いや正確に言えば、てめぇがいるはずの村に着いた。

 村は残ってた。が、潰れていた。物理的にじゃねぇ。村人は誰一人残ってなくて、完全に廃村になってた。

 何が何だかわからず、俺はてめぇを探しに飛び出した。もう飛ぶこともできねぇから、そりゃあ必死に走った。

 そうして、俺はいつもてめぇがバスケットを持ってきてくれてた場所に行った。そこに行けば、あいつに会える気がしたからだ。

 その勘は的中した。我ながら自分を褒めた。よく的中したってな。

 だが自分を褒めたのは一瞬だけで、俺はてめぇが明らか青い顔してるのに気付いた。虫の息だったが、俺はてめぇに無理させて話させた。

 俺がいなくなってから、村は流行り病に侵された。村はなんとか持ちこたえてたが、とうとうてめぇ一人になっちまったらしい。てめぇを涙ながらに俺にくれたあの両親も、もう土に埋めたという。

 そしてそこまで聞いた俺の心配は的中し、てめぇもまた病魔に侵されていた。

 当時、その病気を治す手段はなかった。こうして語ってる現代いまでも、その病気は大きな手術が繰り返し必要な難病だ。当時じゃまだ、不治の病にカテゴリーされてた。

 だが俺には手段があった。いや、治すなんて奇跡は、医学も知らねぇ俺には無理だ。だがてめぇの体を楽にするだけなら、俺にも手段があった。

――おい、少し痛むと思うが……頑張れるな?

 そう訊くと、てめぇは何を混同したのか、それとも俺が何をするのかわかってたのか、側にあったバスケットに指を引っ掛けて言った。

――お腹、空いたの……? いいよ、食べ、て……?

 俺はそのとき目頭と、胸が熱くなる感覚を得た。初めて、怒り以外の感情が噴き出した瞬間だった。

 俺はそれをグッと堪えて、今までだってまともに答えたことがなかったその言葉に、初めて答えた。

――あぁ、腹減ったな

 俺はてめぇを抱いた夜よりも優しく口づけし、そしててめぇを食った。あぁ、物理的な意味でな。

 俺はてめぇの中に巣食う病原菌を、てめぇの左腕ごと喰らいつくした。てめぇがどれだけ痛くて、どれだけ辛かったか、俺が変わってやりたかった。

 だが変わるわけにはいかねぇ。てめぇの中の病原菌を俺が喰って、てめぇは元気になるんだ。

 もちろん、全部は食えねぇ。完全には治せねぇ。こんなに痛い思いさせて、完治させられねぇなんて情けねぇが、だがこれが俺にできる最良だった。

 俺はてめぇの左腕と、菌の大半を数分で平らげた。喰われた直後のてめぇは、痛みのあまりに気絶してたが、だがまだ顔は楽そうだった。

 それから俺はてめぇと生きた。てめぇと俺が受け入れてもらえるくらい本当に小さな村で、貧しいながらに生きた。

 幸せだった。

 俺の隣にはいつもてめぇがいて、俺の心の中にはいつもてめぇがいた。充足感を得られる毎日だった。元の国じゃ、こんなのあり得なかった。幸せ過ぎた。

 だがその幸せも、長く続かないことはわかってた。十年もの幸せを噛み締めた俺だが、それでも短ぇと思った。

 いや、てめぇはよく持ったよ。十年もよく、残った菌と戦った。だから俺の最後の言葉は、お疲れ様、だった。ありがとうって言わなかったのは、てめぇがそう言うと、なんだか申し訳なさそうな顔をするのが嫌だったからだ。

 だから後悔はしてない。あぁ、してねぇさ。あんな幸せそうな顔で、死んでいったんだからな。

 いつかすぐに死に別れるって知ってたから、俺達は子供も作ってねぇし、結婚すらしなかったけど、でもそれでも、あんなに幸せそうな顔をして死んでくれた。

 だから、後悔はしてない。

 後悔はしてない。

 後悔は――

 と、こうして一人語りする分には長く、他人に語るとなると短い物語を、俺はまた脳内で再生する。

 懐かしい。あの頃に戻りたい。できるなら、てめぇが病気になんて侵されてないこと前提で。

 だがそんな未来は、例え玉座いすを手に入れたところで手に入らない。いくら天界の力があったって、過去を改変して未来を変える、そんな力は存在しないはずだ。

 だからそうだ、これはてめぇのことなんて関係ねぇ。いや、てめぇをそこに連れていけなかったことへの復讐か。俺を追放した復讐か。

 いや、もう理由なんていい。

 俺は俺の本能に従って、この戦争に勝つ。それだけだ。さぁ、今日もかかって来るなら来やがれ。俺はいつだって、誰の挑戦でも受け付けてるウェルカムだぜ。

 そう構える俺の心には、今も変わらねぇてめぇがいた。俺はそれを、胸の中で抱き締める。こんなことすら、前の俺にはできないことだった。

 天使だった、俺には。 

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