異質の影

 骸皇帝がいこうていの発動した魔術が、大陸の二割を侵食した。武装した屍の兵団が、他の参加者を探して練り動いている。

 現在二つの勢力と激突しているが、このままではいずれ、質量が押し潰すだろう。時間の問題だ。

 しかしさすがは千年生きた魔術の皇帝。やはり勝利への算段をつけていたか。命を代償とした禁忌の魔術も、不死身である彼からしてみれば二流魔術と大差ない。

 だが戦争を仕切る身としては、あまり軽率に禁忌魔術を使わないでほしいものだ。

 禁忌魔術は命などの代償ももちろんだが、世界に与える影響が大きすぎる。現に今、屍の兵団が練り歩いた大地は混沌の魔力で汚され、ほんの少しずつだが死に始めているではないか。

 滅悪種めつあくしゅの命を殺す魔術も最大の懸念だが、それに次ぐ危うさである。

 さらに彼の場合は狙ってやっているので、なおたちが悪い。禁忌を禁忌と知りつつ行使する彼の行動は、天界こちらとしても監視しなくてはならないだろう。

 だがどうするか。

 相手は千年もの間生きてきた怪物だ。さらに皇帝だったこともあり、気配察知は敏感を通り越して過敏である。噂では敵国の兵が帝国の門を潜ったことすら、宮内の骸皇帝には筒抜けだったとか。

 おそらく気配察知のための魔術結界や、大気の流れから探知する振動波魔術を駆使していると考えられるが、彼のことだ、それだけではない気がする。おそらくそう言った初歩的な魔術だけでも、何重にも設置しているはずだ。

 困った、実に。

 翔弓子しょうきゅうし魔天使まてんし殺害のための駒。彼よりも厄介で、尚且つ不死身の魔術師にぶつけて死なせてしまっては意味がない。

 誰か他に骸皇帝を監視し、尚且つ危険となれば始末できる、そんな天界こちらの都合のいい存在はいないだろうか。

 単純な膂力りょりょくで名を上げるなら、異修羅いしゅらか。

 だが彼は基本、突進することしかできない。戦闘スタイルはあくまで体に刻まれた魔術によるものであり、彼自身が考えているわけではないのだ。

 思考回路もすべて捨てて、ただ戦うことに特化した狂戦士。戦士としてはこれ以上ないくらいに強力だが、魔術師としては魔術の才に乏しい純騎士じゅんきしよりも遥かに劣る。

 ただ突進することしか能のない異修羅が、大魔術師である骸皇帝に勝つなど余りにも薄い確率か。期待はしないでおこう。

 それに異修羅はまだ、永書記えいしょきによって転移させられた魔獣の遊技場ペイクニィディから動いていない。彼を動かすのは、再び転移魔術を使う他ないだろう。

 だが翔弓子の制御ならまだしも、異修羅の転移などやるつもりはない。それにあまり介入すると、下手に反感を買ってしまうだろう。

 別に痛くも痒くもないが、反逆者を生みたいわけでもない。ここは自重しよう。

三番目トリトス

 三番目トリトスと呼ばれた隻眼の中性男が、大天使に呼ばれる。

 せっかく一人でこの戦争を観察し、色々考えて楽しんでいたというのに。水を差された気分だ。

 だがそんなことを気付かずかそれとも構わずか、大天使は淡々と報告する。

「報告します。アトランティア上空に謎の魔力反応があったと、先ほど天使達から報告がありました」

「何?」

 バカな。

 アトランティアに続くゲートは完全に閉じたはずだ。誰も入って来れるはずもない。

 さらに今、聞き間違いか。アトランティアと言ったか。

 それこそバカな。地上の人間に空を飛ぶ術などない。どのような魔術を駆使しようとも、天界と同じ空を飛ぶことは許されていないのだ。神の昇る天を飛ぶことは、侮辱の罪として裁かれる。

 だがだというのに、空を飛んでいるとは何事か。

 天使かとも思ったが、天使を束ねる大天使が同族の魔術を知らないはずもない。など、言うはずもないのだ。

「どういうことだ。何者かの侵入を許したと言うのか」

「現在、数名の天使を向かわせて調査中ですが、大陸に逃げ込んでしまって詳しい調査ができず……」

「逃げられたということか」

「申し訳ありません」

「仕方ない、調査に向かっている天使を戻しなさい。その後の調査は翔弓子に……」

『その任務、私に与えてはみないか?』

 突如横入りしてきた、謎の魔力通信。

 訝しげに目を細めた三番目トリトスと、一瞬で魔術刻印が刻まれた剣を取り出した大天使は、通信機の方に視線をやる。

『すまないな。盗み聞くつもりはなかったのだが、つい聞き耳を立ててしまった。これも影の人間のさがというもの、許してもらえるとありがたい』

「……君は誰だ? どうやって天界われわれの通信網に入り込んだ」

『これは失礼。すでに知っていると思って名乗りを省くとは、紳士らしからぬ行為だった。まぁ元より、紳士ではないのだがね』

 そう言って、でもどこか紳士を気取った口調でそれは語る。そしてほんの少しの間をおいて、勿体ぶった様子で静かに名乗った。

『初めましてというのが正しいのか、私は重複者じゅうふくしゃ。此度の玉座いす取り戦争ゲームに選ばれた、参加者の一人です』

 それを聞いて、三番目トリトスは大いに驚いた。いや決して顔には出さなかったのだが、それでも驚きを禁じ得なかったのは事実だ。

 その驚愕を知ってか知らずか、重複者と名乗る男の声はしてやったりという声色を混ぜて続ける。

『どうした、天界の主たる一人。まさか地上から連絡が来るなど思わなかったと、驚愕しているのか?』

「……あぁ、その通りだ重複者。たかが地上の一暗殺者が、天界われわれの情報網を掻い潜り、こうして侵入してくるなど計算していなかった。実に驚きだ」

『生涯において、驚きは実にいい刺激だ。刺激があってこそ、栄えあるものになる。あなたの生涯がまた一層栄えるものとなって、私は実に嬉しいよ』

「御託はいい。さっさと本題に移せ、重複者。先ほどの話の続きをしようじゃないか」

『ではそうしよう。先ほど言っていた大陸に現れた謎の魔力。私も感知していた。天界からの何かしらの刺客かと思ったのだが、どうもそうではないようだ』

「無論だ。天界われわれ戦争ゲームの行く末を見届けはするものの、それ以上の介入はしない。約束する」

『なるほど? ではそちらは下手に介入できないがため、詳細な調査ができない、ということでいいのだな?』

「だから、君に任せろというのか?」

『まさにその通りだ。現状を知っているのは私のみ。この戦争の参加者である私なら、下手な介入なしに調査できる。悪くない話だと思うのだが』

「……何がほしい?」

『次の玉座の移動先の情報だ』

「妥当だな。玉座をよこせと言えば、即刻打ち切ったのだが、さすがは交渉術にたけていると見える」

『それは皮肉かな、嬉しいよ。で、どうする?』

 三番目トリトスは押し黙る。隣の大天使はどうしたらいいのか困惑した様子で、三番目トリトスの顔を覗いている。

 彼は実際の時間としては五分ほど長考し、悩み抜いた。だが結局背に腹は代えられず、天界としては屈辱的な決断をするしかなかった。

「いいだろう。即刻調査しろ。身体的特徴や魔力の情報さえあれば、我々の情報ですぐにわかる」

『相分かった。では早速調査に向かうとしよう。報告は後ほどする。それまで茶でも飲んでいるがいい』

 そう言って、重複者の通信はそこで一方的に切れる。通信が切れたことを時間差で気付いた三番目トリトスは、余りにも思い通りにいかない現状に嘆息を漏らした。

 

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