監獄の異修羅

 世界には百を超える国があるが、この世界で凶悪な犯罪者や怪物を収容する場所は一つしかない。

 七つの大魔術によって作られた、次元と次元の狭間にある名もない監獄。時代が始まった六千年前より、億を超える囚人を収監してきた大監獄である。

 監獄の中は、六つの階層に分かれている。囚人の罪と罰によって、階層が異なるという仕組みだ。

 一番刑が軽いのは焦熱と剣山、極寒と三つの地獄を味わうこととなる地獄の間。

 次は一度の食事を許されない空腹の地獄、餓鬼の間。

 三番目は次元と次元の狭間に生きる生物を越えた魔獣がうろつく畜生の間。

 四番目は戦い続けることだけを許された無限の地獄、修羅の間。

 五番目に、一生の労働のみを課せられる人間の間。

 そして一番刑罰が重いのは、何もない空間にただ閉じ込められるだけの天界の間。

 現在それぞれの階層におよそ五〇〇人ずつ収監され、日夜罰を受けている。ここに入った者は二度と、外の空気を吸うことは叶わない。

 だが一つ。たった一つ例外がある。彼はその一つの例外として今、監獄を出ようとしていた。

「囚人番号一万、出ろ」

 その男には、自ら物事を考える脳はない。いつだって頭の中は、戦うことばかりだ。

 どうやって敵を倒すか。どうやって敵を殺すか。どうやって敵を屠るか。それしか考えられない。だがその性質は、この男の元々の本質ではない。

 かつて男は、六つの腕を持つ異形の姿で生まれた。その姿を人間達に恐れられ、生まれてすぐに捨てられた。

 だがそれを、とある魔術師が拾い上げた。魔術師は男に名を与えることなく、ただの兵器として育て上げた。そして成長の過程で、兵器には必要なものを与えられ、不要なものを捨てられた。

 必要だったのは戦いを考えること。不要だったのはそれ以外を考えること。故に男は戦闘技術のすべてを与えられ、そうすることへの抵抗と躊躇の類の一切を壊された。

 その結果、男は怪物となった。

 戦うことだけを考え、実行する。戦い以外の何もかもを考えない。何もしない。そしてその身に宿った魔術は、戦いを止めないための魔術。故に止まることもない。

 敵を見つければ猪のように猛進し、敵を仕留めるまで止まることなく刃を振るう。そんな、狂戦士に身を落とした男の名が、異修羅いしゅら。この異次元の監獄に閉じ込められて五〇年。修羅の間にて敵を殺し続けた異形の男だ。

「しかし、本当に奴を出すのか?」

「仕方ないだろ。天界に逆らったら、俺達が消される」

「でもあいつが生き残ったら……」

「ま、そのときはそのときだ。それに天界だって、何も考えずにこいつを選んだわけじゃ――」

 二人の看守が見ていたモニターの映像が、砂嵐に変わる。突然のことでその場にいた看守全員が、一気に緊張感に持っていかれた。

「おい! 画像が見えなくなったぞ! どうした、何があった! おい! おい!」

「まさか、異修羅が暴れたんじゃ!」

「バカな! そんな瞬間映ってないぞ!」

「とにかく急いで向かえ! それと所長に連絡だ!」

 数人の看守が走って向かう。念のために銃と刀剣を装備し、膂力りょりょくを底上げする魔術刻印を刻んでいった。それくらいしなければ、軽く死んでしまう。

 そうして向かったその先で見たものは、まさに地獄。通路一体に飛び散った血飛沫と臓物。人間の形を保っていない死骸。そして、こちらを見つめている血走った眼球。そこで見た惨状に、看守達は一瞬で吐き気を催した。

 さらに気持ち悪かったのは、下半身がどこかに吹き飛んでいる看守の一人が、腕の力だけで這ってきたことだ。これには、もう一人が吐いた。

「い、異修羅が……異修羅が急に……」

「あ、暴れたのか?」

「突然、なんの前触れもなく……急、に——」

 その場で息絶えた上半身だけの死体。それを踏み潰し、六本の腕を持った異形の大男が現れる。

 白い肌に白い髪。その中で光る黒い眼光。全身を薄い布一枚で包んだ彼の体からは、大量の蒸気が湧き上がっている。そしてその六本の手には、看守達の血がベットリと付いていた。

「い、異修羅! 落ち着け!」

「そ、外に出してやるんだ! 大人しくしてろ!」

 看守達が銃を手に叫ぶ。だがそんなことは、異修羅には逆効果だ。

 魔術のせいで咆哮は威嚇に変わり、銃口を向けられることで戦闘態勢に入ったと認識する。その二つの情報が、異修羅の体に戦えと命じる。

 異修羅は一瞬で跳び、集団の中央に着地する。そしてどこからともなく取り出した巨鎌を振り回し、自分の周囲にいた看守の首を手始めにねた。

 異修羅の咆哮が、修羅の間全体に轟く。それと同時に銃声が轟き異修羅を撃つが、異修羅の体には貫通しない。ことごとく弾かれる。

 攻撃されたことで異修羅の闘争心に火が点き、さらに暴れる。一本の鎌を六本の腕で持ち替えながら、縦横無尽に斬り刻む。一瞬で数十人を斬り殺した異修羅の体にベットリとついた血は、刷り込まれるように異修羅の体に入って消えていった。

 自分のところに来たすべての看守を殺しつくし、異修羅は再び咆哮する。だがここは、囚人達が無限に戦い続ける修羅の間。騒ぎを聞きつけた闘争本能に忠実な囚人達がやってきた。

 彼らが持つ武器が、彼らの殺気の籠った視線が、異修羅の本能と魔術をさらに刺激する。そして何にも止められることなく、咆哮する相手に向かって異修羅は爆走した。

 無限に続く戦いの中で、異修羅は何も思わない。ただ敵を殺すこと。ただ敵を倒すこと。それだけを思い考える。それがこの、狂戦士の本質だった。


           戦争開始まで、あと五日。

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