脱出行
弾けるような音と共に粗雑な屋根を跳ねる。
堕落の国フォールン。首都であるダウンは流石に家屋に一定のパターンがあったが、少し大きな町といったここディジョンにはそうした統一性は望めなかった。
茅葺きの屋根、レンガ調の屋根、なぜだか薄い金属の屋根……それら全てを足場に変えて〈半端者〉と称される白髪の人造英雄が駆けていく。
体格も顔面も、何もかもが凡庸にしか見えない男だが……その身体能力は常人を遥かに超えて英雄達と肩を並べる領域にあるために動きだけは見ものだった。
そして彼が腕に抱えるのは特上の美女。小汚いローブからちらりと見える薄い白布、金砂の髪が風に揺れて川となる。
非常に奇妙な取り合わせであり、衆目を集めるに足る二人だ。
しかし最近まで内戦に明け暮れて荒廃して、尚不正がまかり通るこの国では荒政も上手く行ってはいない。
貧しい国特有の無関心さをもった人々は、頭より上の高さなど見ない。偶然、頭上を飛ぶ影を目に映すことがあってもぼんやりと見送るのみだった。
痩せさらばえた貧民が密告などしても報酬は得られず、代わりに拳骨を貰って終わりだ。すぐに思考を真白に戻してとぼとぼと歩くのみだ。
「みんな、みんな、苦しい生活をしているのですね……」
「どうかな? 苦しいとか不幸とか本人じゃないと分からんし、俺には判断がつかないよ。金持ってても苦しいやつはいるし」
奇妙に不道徳な考えを持っているコウカの声は普段と全く変わらず。他者に何かがしてやれるとは思えない。それが普通だと信じていた。
コウカ自身、貧民の生まれだ。偶然から魔女の弟子となり強くなり、本来の人生とは大分違った道を行くことになったが、どちらが良いのかは分からない。
待遇が良いのは間違いなく現在だが、ただの貧乏人であれば怪物と戦わなくとも良い。だが貧乏人の側からすれば起伏のない谷底の道をひたすら歩く生活はゴメンだろう。
「それを救いたいと思う私は……やはり間違っているのでしょうか?」
「知らないし、分からない。学者さんにでも聞いてくれ」
切り捨てる言葉。しかし浅慮なコウカには珍しく……考え直して再び言葉を紡ぐ。なぜだろうか? この女と話すことはとても大事なことに繋がりそうだ。そう心よりも深い部分が命じている。
「……ああ、でも……死にたくない時に死ぬのは嫌だろうから、死にかけてるやつに聞くのも良いかもな」
「あくまで相手が望んだときだけ、癒やしが救いとなり得る。簡単でとてもむずかしいことを仰るのね。やはりコウカ様は良い人ですよ」
「そう、なのか?」
自分の内にある答えとは違う気がしてならない。
複雑さを飲み込んで、町を囲む古びた壁を乗り越えるため木で作られた屋根に細心の注意を払った脚さばきで跳ぶ。
サナギとなった魔器の恩恵により、常に最高潮の身体能力を発揮する今のコウカはあっさりと壁を飛び越えた。本来ならばそうした行為を防ぐために作られた囲いも、超人の前には何の意味もなさない。
次にするべきは着地と同時の全力疾走だ。
追跡者達は開けた地において、コウカの脚力に遠く及ばない。単純だからこそ安定した逃走を開始するのだ。
「――なに!?」
「えっ……?」
戦闘に疎いジネットは気付かなかったが、流石にコウカは気付いた。
突如として着地予定地に神なる力を複数検知したのだ。そして飛行する能力を持たないコウカにとって着地は最悪の死地となり得る。
――嵌められた! こちらの動きを完全に読んでの伏兵。今の今まで切断した状態で待機していた聖騎士達の、聖剣一斉接続!
しかし城壁を飛び越えられるコウカが何処から出るか? その答えをどうやって読んだというのか。分からないが、それでも何の手も打たずにいられはしない。
「解れろ、グロダモルン!」
声を相棒へと送る。
樹槍が穂先を残して、柄を細く、細くして鞭のごとき形状へと一瞬で変化する。
強靭な手首のスナップで撓り、振るわれる一撃は甲冑の群れではなく横の地面を狙って奔る!
地面に突き立つ樹槍の穂先を確認して、コウカはソレをさらに微細に変形させる。返しの付いた矢じりとなり、地面と半端者を繋ぐ楔となる。
思いっきり手繰り寄せれば、落下の軌道を変化させる。
敵が余りにも正確に読んでいたのが幸い。ほんの僅かな軌道変化が完璧な回避行動として機能した。
騎士の円陣が突き出した剣は虚しく空気だけを串刺しにした。
「どうなっている!?」
真の英雄ならば、この聖騎士達を蹴散らしただろうが、そんな選択はコウカには無い。着地と同時に、愚痴をこぼしながらとりあえず前へと疾走した。
これは相手にも読めていなかったようだ。それも当然、こうした時のコウカは本気で何も考えていない。力を持った愚者の行動は智者には読めず、誇りなど無い英雄の逃走を許してしまった。
発揮される圧倒的な身体能力差。だが後ろを見たコウカは絶句する。明らかに追いつけないというのに、聖騎士達はどこまでも走って追ってくる。
本当にどこまでも。
そこに〈半端者〉は追跡者の執念を垣間見た。
それこそはコウカの半端さと同様に、道理の通じぬ動きを生み出す、執念と呼ばれるものだった……
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