信じるものは墓の下で
その美的感覚と穏やかな気性から誤解されがちだが、ナリーノ人は意外にも現実的な側面を強く持っている。名高い豪商もナリーノの出身者が多い。
美しさがもたらす効果を知っているからこそ、都市を壮麗に。敵を欺くために穏やかに…勿論身魂から穏やかな人間も多いが、そうした強かさがナリーノ人の内にはあった。
そんなナリーノ人達は歴史から多くのことを学び、改善してきた。その中でも最たるものが、神殿…というよりは神官達を信用しないということである。
宗教そのものが悪というわけではないことは分かっている。しかし、そこに俗世間に通用する力が加わると、その勢力に属する人々は腐敗が早いことを知っていた。
その結果として「神殿には名誉を、金は商人に、武力は国へ」と言われるような体制が築かれていた。
神殿に権威が無ければ、有り難みが出ない。しかし金を持たせると厄介だ。兵力に至っては論外である…というのがナリーノ人の認識だった。
当然、神殿勢力には面白くない。
ナリーノで生まれ育った聖職者ならば順応したことだろうが、そもそもナリーノ人の認識からしてそのようなものであったためによほどの物好きでなければならない。
必然として、ナリーノの聖職者には外部の出身者が多数を占めることになった。
美しく、強大な国の権力者を夢見て訪れた聖職者達は、数年過ごしたところでナリーノが左遷先であることを知った。
ある種の陰湿さを持ったナリーノ人達は賄賂という概念を当然に備えていたが、それが神殿へともたらされることはまず無かった。
他所では神殿の力を背景にしようと多くの“寄付”が、上の階級からも下賤の者からも寄せられたものだったが、このナリーノではそうはいかない。
王家の権力争いは王宮で。軍の権力争いはその内部で。
腐敗すらも完全に分担されているのが、ナリーノの隆盛の秘訣なのだ。
その屈辱にナリーノの神殿勢力が爆発しなかったのも、これまた力が無いからである。その均衡を崩そうとする愚を、王家が犯そうとするなど誰も思ってはいなかった。
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サエンザに対して如何に劣等感を抱いていようと、現在の王位継承予定者はサカルスである。彼の下にはあらゆる類の情報が流れ込んでくる。
やろうと思えば見も知らぬ庶民の朝食まで知ることができるだろう。
その情報が真実かどうかを判断するのに、サカルスはしばらくの時間をかけた。にわかには信じられなかった。情と理性の両方でだ。
実の父が神殿へと多額の資金を流し込み、物資まで供与している。そこから生み出されるモノは容易に想像がつき、流石のサカルスも黙ってなどいられなかった。
「父上。これらの資料が間違いであると、どうか私に信じさせてくれませんか?」
余り頼りたくない、王家直属の諜報部さえ用いて調べさせた情報は嫌になるほど信憑性が高い。使いたくないのはこの裏方達が四王家共通の手駒であるから。今のところ不義理を働いた歴史など無いが…情報が他家に漏れる心配は拭えない。
それだけのリスクと手間をかけたのは、父がやろうとしていることを信じたくないからだ。サカルスは父を愛していた。
兄に対して恐怖する同志であり、何くれと自分への援助をかかさなかった庇護者でもある。
「全て事実だ。サカルスよ…私が情報をお前の手には渡るようしていたことは、流石に気付いているだろう?」
「何故です!?金に物資まで渡してしまえば、維持していた力関係は崩れる!弱小という枷が取り払われれば、神殿騎士が復活してしまう!」
神殿特有の武力。
それらが各地で暴虐の種となったことを知ったからこそ、早い段階でナリーノ国はそれを潰してきたのだ。
神の意志という絶対的な大義名分を手に入れた戦士達が、どのように荒れ狂うか…想像するのは容易だった。
そして神器の保持者であるサカルスは、否応なくそれに巻き込まれるだろう。
立場上、彼らは勝手にサカルスを神輿に担ぐ。至尊の座が保証されている状態でそんな事態は不要だ。
「だからだ、サカルス。愛するわが子よ!分かるだろう?サエンザに対抗するには既存の勢力ではダメだ。骨抜きにされかねないし、従いもせんだろう!新しく戦力を作る必要がある…幸いにして長らく王位から離れている隙に人知れず溜め込んだ財が我らにはある」
「だからと言って…」
「それになぁサカルスよ。お前は本当にソレで良いのか?あのサエンザの帰還を諸手を挙げて歓迎しているか?」
内心を見抜いたような言葉に、サカルスは思わず言葉を止めた。
「お前の未来はサエンザに阻まれる。あの男は正道の怪物だ。清濁併せ呑むなど許しはしない。見ろ…コレを」
父が震える手に握りしめていた物を、見せてくる。何かの動物の牙のようだったが…酷く大きい。短めの剣ぐらいはあった。
「竜の牙だとよ。かつて出された課題の証だと、渡してきおった。偽物だと信じるのは簡単だ。だが知っているはずだ。私とお前だけは。アイツならやりかねない…いいや確実にそれを成したのだと理解してしまう」
竜…生物としてはこの世界でも最強の一種と目されている。神と対等に争ったとさえされている。それを討てる人間など、常識で語ればいるはずはない。
あらゆるものを切り裂く神器を担った今でも、自分が竜に勝てるとはサカルスにも思えなかった。
「あやつの輝きの前に、国は、王家は、民は、そして我らもまた…必ず屈する日が来てしまう。今しかないのだ。帰還してさして時間の経ってない今しか!」
サトゥールの血走る眼は既にサエンザを息子として認識していない。その気持がサカルスには理解できる。…アレは人ではない、その共通した見解から。
「決定はいずれ覆る。お前のものだった王位は奪われる。光輝の前に悪として我らは排斥される。サカルス…愛する我がただ一人の息子よ。私はお前が不憫でならない」
サエンザさえ兄で無ければ…真っ当に優秀と評されただろう。しかし、あのサエンザを前にしては凡人に成り下がる。
「幸いは今ひとつある。あやつは魔女の弟子になった、などという世迷い言を吹聴して回っている。アレが犯した唯一の過ちだ。我らの民も全く神を信じていないわけではない。そこから人心を離れさせる機会が生まれる。そのために私はあの生臭に肩入れしたのだ」
理屈が形成されていく。
狂気への道筋が、舗装されて迷いなき王道へと姿を変えていく。
怪物を倒した者こそ、英雄と呼ばれるに相応しい。その怪物の名は…
「魔女の弟子、背教者サエンザを共に討とう。我らのこれまでを踏みにじられてなるものか…そうだろう、サカルス王」
サカルスは知らず、《デュランダル》の柄を握りしめていた。
そして、勇気が総身に駆け巡った。
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