変わらない場所、変わる場所

 第一営業部へ異動した今年はとにかく忙しかった。第四営業部と比べても、案件の規模が大きく、種類も格段に増えた。

 今までのやり方が通用しないことも多く、新しいやり方をたくさん学んだ。

 慣れない環境の中、ようやく業務が回るようになった頃、実家から連絡があったのだ。

「母さんが階段から転倒した」

 週末の金曜日だったが、急きょ休みを取り実家に帰ったのだった。

 母親は、それなりに大きな怪我をしていたようだったが、退院の見込みもあるようだったし、なにより元気そうで安心した。

 急いで帰った割に、心配性の父親が普段通り趣味の陶芸教室に通っていたので、より安心できた。

 

 年末には仕事が大詰めとなり、休む暇もなく働いた。つい先日、第四営業部の後輩だった男が、冬のボーナスを貰った後に仕事を辞めていった。

 自分が第一営業部へ異動できた要因として、彼の存在も大きかった。彼の真面目な資料作りが第四営業本部の基礎となり、チーム全体の営業に対する取り組み姿勢を正すことが出来た。それ故に各々が好成績を収められるようになったのだ。

 その功績からチームをまとめていた自分が花形部署へと異動となったのだ。

 彼自身、単独では「一発屋」から抜け出せずに苦しんでいるようだった。だからこそ彼の行いが直接的に個人成績へ繋がってなかったのが残念だった。

 彼は若い頃の自分にそっくりで、もう少し頑張れたら花が開くと思っていた。

 新しい環境で自分を出していって欲しい。


 環境の変化が激しかった今年ももうすぐ終わりだ。昨日が仕事納めで、今日は朝から実家へ向かって新幹線で移動している。

 母親の怪我も良くなり、退院できたそうだ。



 地元に着くと、時間の流れが遅く感じるのはなぜだろうか。

 新幹線を降り、駅前に出ると途端に、肌を刺すような冷たい風が当たる。雪が降っていない分まだ暖かい方なのだろう。

 駅前には5、6階建てのこぢんまりとした商業ビルがロータリーの周りを取り囲んでいる。

 新しいスマートフォンの広告、放送中のテレビドラマの看板、人気アイドルのポスター。流れる情報は東京と変わらないものの、時間だけがゆっくりと感じる。

 この前は急いでタクシーに乗り、腹を壊してしまったが、今日は急ぐわけでもなく、ローカルバスに乗って実家に帰った。


「ただいまー」

「おー。早かったね」

「母さん。まだ完全に治ってないんでしょ。出てこなくても良いよ」

 母親は廊下の手すりにつかまりながら、怪我をした足を少し引きずるように歩いて玄関に来た。

「なあに。大丈夫だよ」

「また強がり言って。そうやって階段から転げ落ちたんじゃないか」

「もう、あまり責めないでおくれ」

 笑顔で迎えに来た母親が急に悲しそうな顔になる。

「……分かったよ。でも身体は大事にするんだよ」

「あいよ」

「あれ? 父さんは?」

 居間には誰もいなかった。

 中央にはこたつ、その上にはみかんとせんべいが皿に盛られている。

 石油ファンヒーターが部屋を暖めており、「3時間延長」のアラートが点滅していたので、ボタンを押し、暖房時間を延長した。

「陶芸教室の仲間と忘年会だって。夜には帰ってくるよ」

 母親はキッチンの方からしゃべりだす。

「あんた、お昼は食べたのかい?」

「いいや、食べてないよ」

「チャーハンで良いかい」

「ああ。ありがとう」

 ヒーターの前に座り、テレビをつけた。一昔前の、両脇にスピーカーがついている液晶テレビからは年末の特番が流れている。

 こたつの上のみかんを手に取り、皮をむきながら部屋を見回した。

 テレビの横には大きな本棚がある。自分が子どもの頃からその本棚はそこにあった。政治的な本や歴史書が雑然と並べられている。父親の趣味だ。

 本棚の横には使われなくなった旧式のマッサージチェアが置かれていた。

 マッサージチェアとして役目はとうの昔に終え、それでも一時期はソファ代わりに使われていたのだが、ここ何年かはその役目も終え、段ボールや洗濯物が置かれており、完全に物置となっていた。

「そうだ。あんたに頼みたいことがあるんだけど」

 キッチンから母親が呼びかけてきたので、みかんを頬張りながら返事をした。

「なんだい」

「寝室の電気、交換して欲しいんだ」

 足が悪い母親はもちろんだが、父親もだいぶ腰が曲がって、椅子に登って交換するには少々危険だと言うことで、息子が帰ってくる時に交換して貰おうと言うことになったようだ。

 寝室には大きなタンスが2さお並んで置かれている。合板の安っぽいベージュ色のタンスであるが、もうずっとここにある。色あせてこの色になったのか、本来からこの色だったのか定かではない。

 そのタンスと壁の隙間に折りたたみに椅子が収納されていた。

 それを部屋中央で開き、上に乗り、照明カバーを取り外し、蛍光灯を交換した。

「電気、交換したよ」

「ありがとう。助かるよ」

 居間に戻るとちょうど母親がチャーハンを持ってきたところだった。

「LEDに替えたら良いのに。何万時間も持つそうだよ」

「母さんも父さんもそんな長く生きてないよ」

「そういうことは言うもんじゃないよ」

 母親はハハッと大きく笑い、「ほれ。食べな」とスプーンを渡してきた。

 輪切りにしたウィンナー、みじん切りのピーマンとタマネギ、それから卵。味付けは鰹節と醤油、そして塩。母親の作るシンプルなチャーハンはいつ食べても変わらない味だ。おふくろの味。実に美味しい。

 

 午後には数年前に取り付けた手すりの強度を確かめた。母親が転んでしまった階段の手すりも強度的には問題なかった。

 洗濯物を干し、掃除をするために今でも2階に上がっているという。足腰が悪い老夫婦にとって一軒家の階段ほど辛いものはないだろう。

 手すりはトイレにも設置した。手すりがあるおかげで、立ち座りが楽になった、と母親が言っていた。手すりが大きく場所を取り、だいぶ狭くなってしまったトイレだが、役に立っているのであれば良いことだ。

 北側にあるトイレはいつもひんやりと空気が冷たい。急激な温度変化のあるトイレや脱衣所では、突然死に繋がるヒートショックを起こしやすいという。

 温水便座が良いと聞き、両親の健康を気にして15年ほど前に取り付けた温水便座が今も現役で活躍している。

 寝室のタンスにしても、居間の液晶テレビにしても、トイレの温水便座にしても、物持ちが良いのかずっと使っている。

 時間の流れが遅いのか、実家にあるものは変わらずそこにあった。

 ただ、両親の老いだけは正しく時間が流れている。


「おう。元気だったか」

 忘年会から帰ってきた父親がトイレに顔を出した。この前会った時よりも老いた気がする。

「うん。元気だよ」

「しょんべん、いいか?」

「あー。いいよ」

 父親はトイレに入ると扉も閉めずに大きな音を立てて、立ち小便をした。

「今夜は呑むぞー」

「父さん飲み過ぎじゃないか」

「年末年始ぐらいいいだろ」


 もうすぐ今年が終わる。来年も健康でいて欲しい。

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