雨宿り

 夕暮れ。近所のショッピングモールに買い物に出かけ、帰りのバスに乗っている時、ぽつぽつと窓ガラスに水滴がついた。水滴は大きくなり、やがて土砂降りとなった。

 やばいなぁ。傘持ってきてないよ。

 私は濡れた窓越しに外を見た。安全運転で走行しているバスの横を、ヘッドライトを照らしたスポーツカーがシャーと雨音を鳴らしながら駆けていく。

 車のテールランプや信号、街の明かりが、水滴の中に閉じ込められ、色とりどりのビー玉みたい。

 隣では娘が私に寄りかかりながら、かわいい寝息を立てている。

 私一人だったら走って帰るんだけどな。娘も一緒だとそうもいかない。

 車内アナウンスが私たちの降りる停留所の名を告げた。

 雨はやむ気配がないが、降りないわけにもいかないので降車ボタンを押した。

 程なくしてバスは停車した。娘を起こし、買い物袋を3つとバッグを持ち、降車口へ向かった。

 そして私たちは、待合室も屋根もない、案内板だけがある停留所に降ろされた。

 大粒の雨が私たちを一気に濡らす。先ほどまで私たちを雨から守ってくれたバスは光とともに無情にも走り去っていく。

「ママ、雨、すごいね」

「そうね。あそこまで走るよ」

 娘と手を繋ぎ、停留所のそばにある公園の公衆トイレまで走った。


 カラフルな滑り台と砂場、数個のベンチと時計があるだけのそう大きくはない公園の隅に公衆トイレがあった。

 所々汚れやヒビの目立つ白い外壁。三角形の灰色の屋根。男女別ではあるが、外から中が見えてしまうほどの簡素な作りのトイレだ。公衆トイレの周りには樹木が生い茂っており、視界もさほど良くない。

 あまり気が進まない場所ではあるけれど、この辺りで雨宿りできる場所がほかに思い浮かばなかった。

 雨が弱まるまでしばらく公衆トイレ横の軒先で休むことにした。

 3つ持っている買い物袋の内、食料品が入っていない2袋を軒先の白く塗られたコンクリート部分に置いた。

 バッグと残りの1袋は手に持っている。袋に入っているとはいえ、さすがに食料品をトイレの前の地面に置くのは気が引けたのだ。

「びしょびしょだー」

「ねー、濡れちゃったねー」

 私はバッグからハンカチ大のタオルを取り出し、娘の頭や身体を拭いた。ちょっと走っただけなのに、長い髪の先端まで濡れていた。

「ママの髪の毛も拭いてあげる」

 中腰になり、娘に拭いてもらったが、水気を吸ったタオルはさらに頭を濡らすだけだった。

「ん。もう良いよ、ありがと」

 樹木に雨が落ち、ぼつぼつぼつと大きな音を奏でている。


「汚いから触っちゃだめよ」

 娘はひさしから垂れ落ちてくる雨を、両手で作ったコップに溜めていた。

「はーい」

 娘がコップの形を崩すと、それまで溜めていた水の固まりが一気に落ちていき、ばしゃんと音を立てて、地面に消えていった。

 スマホを取り出し、天気予報を確認する。

 午後の天気、降水確率80パーセント。

 夜中から明け方の天気、降水確率70パーセント。

 明日の天気、降水確率60パーセント。

 今日はこのまま降り続きそうだ。


 ここから自宅までは徒歩で15分。途中、傘が買えるコンビニやスーパーがあるのだが、そこまで行くのにも徒歩で7、8分はかかる。

 バス停から公園までの短距離でもあれ程濡れてしまったのだ。ここからコンビニまで娘の速さで走ったら、確実に風邪を引いてしまう。

 娘を待たせて、傘を買いに行こうか。いや、そんな危ないことは絶対に出来ない。しかも、不審者がうろついてそうな公衆トイレの前だなんて。

 こんなことならもう少しバスに乗って、駅前のケーキの美味しいカフェで時間をつぶせば良かった。あの周辺ならすぐに傘も手に入るのに。

 

 物思いにふけっていると、娘が話しかけてきた。

「ママー、アリさんも雨宿りー」

 娘はしゃがみ込んで地面を見ている。そこには1匹のアリが、白いコンクリート部分をゆっくりと移動していた。

「アリさん、どこにいくの?」

「おうちに帰るのよ、雨でみんなとはぐれちゃったのかしらね」

「アリさん、雨で大変そう」

 私たちもはぐれてしまったのだ。あのままバスに乗っていれば、屋根のある場所に行き着いたのに。

「ママー。トイレ行きたい」

 娘は立ち上がり、公衆トイレを指さしながら言ってきた。

「もう少し、我慢できない?」

「できなーい」

「んー……」

 あまり公衆トイレを使わせたくなかった。汚い、臭い、治安が良くないイメージがあり、私自身、苦手な場所だから。

 家に帰るまで我慢して欲しかったのだが、娘が口を固く結び、今にも漏れそうな顔をしている。

「しょうがないわね」

 娘が入る前に、念のためトイレ内を確認した。

 女子トイレは、洗面所が一体となった個室がひとつあるのみだった。洋式便器で、便器脇には手すりもついている。中は割と広く、車いすでも入れるようになっていた。

 下水の臭いはするが、流し忘れのモノがあるわけでもなく、トイレットペーパーのカスやゴミが散らかっているわけでもなかった。

 落書きもなく、清掃が行き届いているトイレだ。

 意外にキレイで驚いた。ざっと見渡したが、隠しカメラのようなものも見当たらなかった。このトイレなら問題ないだろう。

「いいよ、いってらっしゃい」

「はーい」

 娘はトイレに駆けていった。


 ちょうど娘がトイレから戻ってきた時、公園の電灯に明かりが灯った。雨空なのもあるが、いつもより暗くなるのが早い気がする。

 さて。夫が仕事終わりに迎えに来てくれるまで、ここで待つわけにも行かないし、そろそろ決断しよう。


「あれー? どうしたのこんなところで」

 娘を連れて走り出そうと決めた時、私の目の前に知った顔の人物が傘を差して立っていた。

 近所のママ友である。娘と同じ幼稚園に通う男の子も一緒だ。

「ちょっと雨宿りしてるのよ」

「傘、ないの?」

「そうなのよー。今日に限って折りたたみも置いて来ちゃって」

 娘は男の子と話をしている。男の子が青い傘を振り回そうとして、母親に怒られた。

「私、折りたたみ持ってるわよ。使う?」

「え、ほんとー? 助かるー」

 ママ友はカバンから折りたたみ傘を取り出し、渡してくれた。

「ありがとーう。ほんと、助かる」

「いいのよ、困った時はお互い様だし」

 ママ友が持っている買い物袋にショッピングモールのロゴが見えた。私と同じくバスで帰ってきたのだろう。

「ほら、傘に入れてあげて」

 ママ友は男の子の傘に娘を入れてあげるよう言った。


 こうして思わぬ救世主の登場で、公衆トイレの軒下から抜け出すことができ、私も娘も、雨に濡れることなく家に帰れたのだ。

 ママ友には今度、駅前のケーキの美味しいカフェへ誘ってみよう。




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