その六十七 雫、歯噛みする

「あの夜、私と颯太が襲われたのも」

「無論我が呼び寄せた妖怪あやかしどもじゃ。我が来た途端に宿の周りに妖怪が増えたのじゃぞ。何故おかしいと思わなんだ」

 小馬鹿にした調子で、浄瑠璃姫の身を借りた妖物は宣った。

「それじゃあ、あの大鴉やその遣いが、夜や明け方この辺りに来ていたのも……」

「夜になる毎、我の妖気が強まっておったからじゃろうな」

 事も無げに姫は応える。


「あの鴉はこの江戸の町を大昔から護ってきたもの。何とか結界を張って我の妖気を押さえ込み、あの者に気づかれぬようにしておったのじゃが」

 そう云って姫は、部屋の四隅に未だ置かれた、紙の雛人形を見遣った。雫は眼を円くする。

「それでも宿に妖怪を湧かせた日の翌朝と、それからこっそり宿の外に出てあの侍を殺した日、あの時は流石に気づかれて鴉が来てしもうた。まあそなたが、どれもこれも勘違いしてくれたおかげで助かったがの」

「結界って……」


「結界とはそもそも己が気を消して外敵に見つからぬようにするものじゃ。何も間違った使い道はしておらぬぞ」

 姫は身を揺らす。また嗤っているようだったが、もうその歪み崩れた貌からは、感情を推し量ることなど出来なかった。

「兎に角そなたらが、あの鴉のことを妖怪の親玉と取り違えておったから、これを利用せぬ手はないと思うての。桜もそれらしいことを云うておったから、そなたらに鴉を退治させてしまえ、と考えた」


 桜は最早蒼白であった。

「――それでは、わたくしに御剣様の伴に参れと仰せになったのも」

「そなたが我の命を狙うておったからに決まっておろうが。気づかれておらぬとでも思うたか。我をたばかろうなど百年早い」

 ふらついてそのまま倒れそうになる桜を、雫は慌てて支えた。そうしてきっと、姫を睨み付ける。


「ははははは、うらうらうらめ。その悪しき想いが我の血となり肉となる――そして兎も角も、雫らが鴉を打ち倒してくれた御陰で、江戸の町の護りは弱まった。我も腰を据えて、妖怪あやかしを呼び寄せることが出来た」

 首をぐるりとねじ曲げて真後ろを振り返り、姫だった物は窓の外の燃えさかる町を見た。

「風邪を引いたとか言ってたのは……」


「なに、次第次第と我の妖気も、抑えが効かぬほどに高まっておったからの。そこな童はただの童にあらず、御前みさきか化身か知らぬがいずれにせよ我の気に勘づくおそれがあった。この部屋の結界の内に入られては敵わぬから、適当なことを云うておいただけじゃ。そなたらが此処に来ぬ間、ずっと妖怪を湧かせ、力を蓄えておった」


 岬は何も云わない。


「我の狙いはそもそもそれ、江戸の町を内側から食い破る事じゃ。鴉と社が張っておった結界の内に妖怪を湧き出づらせ、中から町を打ち壊す。くしてその願いは達せられ、これこの通り、われが江戸を手にするのも時間の問題じゃ」


 姫の独白で、全てが一本に繋がった。

 けれど。


 ――こんな解決、要らなかった。 


 そう思って歯を食い縛った雫は、そっと腰の刀に、手を遣った。

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