その三十五 雫、侍の無念を思う

「何という事じゃ――」


 沈痛な面持ちで、浄瑠璃姫は声を漏らした。すっかり見慣れた姫の居室で彼女に向き合う雫たち三人も、最早何も云えない。


 雫は、素直に頭を下げた。

「申し訳ありません姫様、その……私の力が及ばず、ご家来をあのような目に」

つるぎの所為ではない――その者が死んだは巡り合わせ。憎むべきは、許し難き妖怪あやかしどもじゃ。妖怪あやかしどもが、我が、家臣を――」

 言葉に詰まり、姫は黙した。雫は俯く。


 暫しの間、聞こえてくるのは部屋の外の微かな喧騒だけだった。


 程なくして、すっと静かに部屋の襖が開く。巴が、哀しげな表情を浮かべて入ってきた。

「今、外に役人方が来て検分してるよ。まあややこしいところはこっちで何とかしておくから、姫様もお侍さんも心配しなくていい。しっかし――人死にが出るとはね」

「済まぬ」

 驚いたことに、謝ったのは浄瑠璃姫だった。

「斯様なことになるとは思わなんだ。わらわを狙うておるだけならば他の者は襲うまいと多寡を括っておったが――宿の評判を下げることになるやも知れん。世話になっておきながら、悪いことをした」


「ふふふ、いやだよう、そんなこと思うんならはなから泊めたりしないって。うちに泊まっている間は、何があろうとうちが面倒を見ますから、お気になさらず、ね」

 敢えてだろうか、笑いながら平素通りの軽い口調で、巴は応えた。


 颯太がううむと唸りながら、首を捻る。

「それにしても――やはり元凶は、あの鴉か」

 雫は、先程目の当たりにした大きな影を思い起こした。

 あれだけ距離があってもはっきりと羽音が聞こえるほどの、信じがたい大きさの鴉であった。まさしく怪鳥といった態で、あんなものに襲われたら、いかな手練れであっても一溜まりもないであろう。


 雫は、先の侍の胸に深く刻まれた爪傷を脳裏に浮かべる。

 彼の無念な顔に、気が沈む。


「町の外れの方角へ、飛び去っていったな」

 颯太が云うと、それを受けて桜が応えた。

「あの方角には確か、小さな鎮守の森に囲まれた、お社が御座います。何を祀っておいでかは存じ上げませんが――辺りには他に目だった場所は御座いませんから、もしかすると」

「畏れ多くもその森に隠れ潜んでいるやも知れん、というわけだな」


 有りそうな話だ、と颯太は頷いた。しかし雫には、今ひとつぴんと来ない。

「……妖怪あやかしが、神社に潜んでるの?」

「邪鬼はよこしまなるすだまのこと、元を辿れば大いなる力を持ち、人にあだ為す神にも至りましょう」

「神と妖物を隔てるのも、最後には人に害を為すか否かだ。根っこの部分では、さして違いはないぞ」


 桜と颯太に続けざまにそう説かれ、雫はふうん、と呟いた。何やら不思議な気がした。雫が神と妖怪に対して持っている感覚と、かなりずれがある。単純に、聖なるものと禍禍しきもの、というだけではないようであった。

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