その三十 雫、秋の匂いに気づく
さらりと告げる桜に唖然として、雫は目を円くする。桜は小首を傾げた。
「どうか――なさいましたか」
「いや、今何て」
「ですから、もうすっかり秋だと」
「あ、き?」
雫は何が何やら判らなくなって、眉間に皺を寄せた。
昨日この世界に降りたってすぐ、今目の前で大手を振って歩いているお目出度い奴から、夏の盛りだと教えられたばかりである。しかし、そう云われてみると空気、雰囲気、何もかもが間違いなく、雫もよく知るこの国の秋のものになっていた。
薄曇りの和らいだ陽射し。時折急に吹き荒ぶ寒風。大きな屋敷の庭木も枯葉を付け、それが路の端に幾葉か落ちている。傍には蝉の乾いた死骸が転がっていて、如何にも侘しい心持ちにさせられた。柿の木に実がついているのもそちこちに見かける。
往来を行く人々の
何がどうなっているのか判らず、雫は再び桜の顔を見た。
しかし桜は、不思議そうにその小振りな顔を傾げるだけだった。
――ああ。
そう云うことか、と漸く雫は合点がいった。
祖父と共に眺めた泡沫絵巻、奇妙なところは、時代がない以外にももう一つあったのだ。
四季が、一つ絵の中、分け隔てなく
絵巻の始まりは確か夏、青々とした草木があり、更にその少し先には、枯れ木が描いてあったように思う。つまりそれが今、そのままの形で雫の周りに起きているようだった。
桜のこの様子も、時代について尋ねたときと同じこと。疑ってはならぬ事だから、疑わないのだ。これに疑念を持ったが最後、絵巻の世界は立ちゆかぬ。そういうものなのだ、と受け止めるより他ない。絵巻の中の人々は、初めからおかしいとは思わないのである。
瞬きながら此方を見つめてくる桜に向かって、ううん、何でもないんだ、と誤魔化しながら、しかしこの調子だと明日には冬になるのだろうかな、寒いのは嫌だな、と考えて、雫は抜けるような空を、ぼんやりと見上げていた。
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