第24話『ハミングバード』
エンジニア――隣の牢屋にいる男は、自らを異世界からの来訪者と名乗る。
正気を疑うセリフだ。しかし、デタラメにしては、あまりに的を射抜くものが多かった。そもそも墓守人をかつての階級――中尉と名指しで呼んだ時点で、墓守人の正体を知っている人物だ。
自称小説家を語る隣人。断じて、只者ではない。
ドミネーターか、それ以上の驚異か。
墓守人は、かつてない強敵と対峙しているかのような、尋常でない緊張感を抱く。だがそれを悟られないよう「やれやれ」と溜息を吐きながら、いつもの皮肉を口ずさんだ。
「ドミネーターの次はエンジニアか。それで? 今度はどんな与太話を聞かせてくれる? いいや、俺が当ててやろう。映画の定番的展開――宇宙からの
「地球外生命体……ですか。まぁ別の世界から干渉している我々も、似たようなものですからね、あながち間違いではないですね」
「
「念のため言っておきますが、我々とは、私と
「はぁ? 一緒にすんじゃねぇよ。俺は列記とした、この世界の人間だぞ。
「それは失礼した。あなたの体は違いましたね。 アラン中尉――いえ、
墓守人の全身に戦慄が走る。先の激戦ですら出なかった冷や汗が、つぅ と頬をつたう。
――やはりそうだ。この男は知っている。
ジェミナス02しか知りえない秘密を……。
そんな彼の懸念を差し置き、エンジニアは話をまとめると同時に、自らの発言には信頼性があると語った。
「中尉。先程の童話になぞらえて話した通りです。この世界にいたジェミナス02はあなたを生かすため、自ら犠牲になった。そして今、
「彼女はジェミナス02だが、俺の知るジェミナス02じゃない。別の世界の彼女だ」
「いいや同じなんだよ。ただ違うのは、違う結末を迎えただけの事。その証拠に、彼女は……セイバーシルフは、
「なぜだ? エンジニアなのだから、
「知る? 彼女は『それは彼と私の秘密だから』と言って、最後まで
そもそも私をクローム社やドミネーターと一緒にしないで頂きたい。人の馴れ初めや秘密にしたいプライベートを、興味本位で覗く趣味はないのです。それこそ無粋の極みというもの。違いますか?」
つい数時間前まで、脳みそをこねくり回されていた当事者――墓守人。彼は肩をすくめ、ごもっとも と同意する。
「ここ数時間の会話の中で、最高に見識ある言葉だ」
「ありがとう。ああ念のため、ここで明言しておきたい。私は君のプライベートな記憶には踏み込んではいない。あくまでこの仮想現実は、君との対話――いや、ささやかな談話のために用意したものだ」
墓守人は仮想現実と聞かされ、驚くどころか、顔色一つ変えかなかった。昨日の件もあるが、妙に納得した様子で「やはりそうか」と呟く。そしてベッドから立ち上がると、鉄格子に触れ、その触感を確かめた。
「どうりでジェイクが静かなわけだ。アイツの気配が感じなかったから、なんかおかしいとは思っていたんだ……」
「さすがにジェイクをゲストとして呼ぶわけにはいかない。君の正体を、彼に知られるわけにはいきませんから。そうですよね? ペコ中尉――」
「よしてくれ。その名で呼んで良いのは――」
「――仲間だけ、でしたね。今のは失言でした。訂正し、お詫びします」
素直な謝罪は心に届く。とくに大人の世界では、遠回しな意味を持つ言葉が、悲しいかな美徳とされ、常用語となっている。そんな社会に身を置いていると、裏表のない素朴な言葉とは、どこか縁遠くなるものだ。
エンジニアという男の口調は、正体を現してから実に淡々となものとなった。
淡白なセリフだけ見れば、冷たい人間と思える。しかし言葉の中にある、どこか懐かしさを感じる優しさ――それがセリフとは裏腹な、温和な印象を与えてくれる。そんな暖かな人間性を垣間見つつ、墓守人は彼にこう訪ねる。ある核心を――、
「俺に接触したのは、なにか退っ引きならねぇ事情があるからだろ?」
「それに関してだが……いやはや、実にお恥ずかしい話だ」
「お恥ずかしい?」
「先に童話テイストにお話した通り、本来なら、セイバーシルフがこの世界に来るはずではなかった」
「なら、なぜ彼女はこの世界に?」
「実は彼女を送り出す際、少々のトラブルがあってね。情けないことに、別れの挨拶すらまともにできないまま、彼女を旅立たせてしまった」
「じゃあ、この世界に意図せず来たのは、それが原因?」
「いや、あのトラブルを考慮しても、まったく違う時代に漂着することはないはず。考察放棄な言葉を用いたくないが、こればっかりは……彼女と君との間にある、魂の絆――。互いを想う伴侶の願いが起こした、奇跡という他ありません」
「奇跡……か」
「――それで本題なのですが、君に接触した事情……それは伝言です」
「伝言だと?」
「そう。彼女にどうしても、伝えなければならないことがあった。だから私はこの世界に趣き、君に接触したんだ」
「嘘だろ?! そんな理由で人の頭に
「高度な文明を持った部外者が、安易に異世界へ介入できない。しかもセイバーシルフへの接触は、上からの指示でご法度になっているんだ。特異的案件が発生しない限り、もう手出しできない。だが君は、セイバーシルフや私と一緒で、招かれざる客――イレギュラーだ。だからこそ、例外として接触できるし、こうして伝言を頼むことができる」
「上からの指示……上官か?」
「ご考察におまかせするよ。ただ私は、彼女の案件に介入しすぎた。こうして上からのストップが掛かるのも、無理はない。もう彼女に直接コンタクトをとることはできない――だから、伝えてほしいんだ」
「なにを?」
「『みんな無事だ』」
「……。おい、それだけなのか?」
「ああ。それだけで十分伝わる」
「たったその一言のために、ここまでリスクを冒したのか。俺との接触だって、実のところかなりグレーなんだろ?」
墓守人の指摘は的中していたらしく、エンジニアは瞠目しつつも質問に答えた。
「その直感力は素晴らしいな。なにせ、せっかくの門出だ。本当のなら晴々としたものにしたかったが、セイバーシルフにとって、最悪の旅立ちになってしまった……」
「最悪の旅立ち?」
「我々の内輪もめに巻き込んでしまった」
「時空を超え、人の頭ん中入り込める連中が、内輪もめとはね……」
「私達の組織も、一枚岩ではないということだよ。あの時……セイバーシルフは我々が死んだと思っているだろう。その不安をなんとしても払拭したい。新しい人生の船出――そんな彼女の後ろ髪を引くのは、あってはならないからね」
墓守人は、彼の言葉を信じる。もちろんそれが真実という確証はない。だがしかし、やはり彼にはドミネーターと比べて、明らかに人間味と理性がある。そして声だけでも、自ずと人柄の良さを感じることができたのだ。
そして肝心の用件は、たった一言届けるだけの、ただの伝言だ。リスクはないと言って等しい。
墓守人は手渡された『伝言』という名の手紙を受け取る。
「わかった。その伝言、確かに引き受けた」
エンジニアは彼の決断に安堵しつつも、ある懸念を口にした。
「君であっても、彼女は伝言を信じないかもしれない。君を失って以降、様々な事があったから……」
その言葉に、墓守人も胸を痛める。
相棒を自らの手で葬った咎人――そんな彼らにしか分からない、例えようのない苦痛があるのだ。自己嫌悪と後悔で満たされた、窒息するような地獄の日々。今まで大切だった仲間との思い出…… 心の支えであり、自分自身を形成するすべてであり本質――その思い出が、罪悪感と苦痛の塊と化す。生きているだけで、少しでも幸せをかんじるだけで、うしろめたさと罪悪感が込み上げるのだ。
それは胸の中で、腫瘍のように心を蝕んでいく……。
どれほどの苦痛かは、想像に難くない。過去を振り返るだけで、胸を締め付け、苦痛が全身を伝うのだ。
墓守人は胸の中で疼く苦しみを握りしめつつ、重く、一言だけ呟いだ。
「そうか……」
エンジニアも彼の心情を察し、声のトーンを落として告げる。
「だから、私と彼女の間で使われていた合言葉を使ってほしい。『夜烏は、涙を流さない』――『夜烏は?』と尋ねれば問題ないはずです」
墓守人は心を入れ替える。彼自身、辛気臭いのは嫌いなのだ。だからこそ笑みを浮かべ、いつもの皮肉を口にした。
「おいおい肝心の伝言よりも、合言葉のほうが文字数多いじゃねぇか」
「ええ、なんとも皮肉なものです。たった一言メールを送るのに、長いパスワードを打ち込むようなものですから」
そんな冗談を交わし、二人は牢屋の中で笑った。
エンジニアは笑い終えると、名残惜しそうに話の締めに入る。
「さぁ、そろそろ時間だ」
「行くのか?」
「ええ。この接触が上司にバレれたら、一大事だ」
「やっぱりグレーだったか……」
「難しいものですよ。黒でもなく、白でもない、灰暗で
「おいおい小説家の次は画家か? 節操ないなぁ、エンジニアさんよぉ」
「どうせなら夢溢れる現代の印象派――劇画作家もいいですね」
「今度見せてくれ。絵心あるか審査してやる」
「その時は、どうかお手柔らかに。――ああそれと! まだ私の名を名乗っていませんでしたね。私はエンジニアの、ハミングバード――」
「
「そうですか? これでもかなり謙虚な名であると自負しているのですが……」
墓守人はノリの良い返しに、『憎めない男だ』と笑ってしまう。
そんな彼に、ハミングバードはアドバイスを提示する。それは墓守人にとって絶対に必要不可欠なモノ――彼の体の一部であり、魂の具現化といってもいいある物のことだった。
「あなたも時期、また空へ上がることになる。鳥は、空を飛ぶもの。――あなたも、言うまでもなく鳥だ。鋭利な牙持つ鳥が、そんな籠の中に収まるような器ではない――違いますか?」
「ああ、そうだな。パイロットが籠の中の鳥だなんて、笑えないジョークだ」
「――これは別れ際の選別だ。知っての通り、ここにはクロームセキュリティ社の関連施設だ。あの少年たちのために拵えたアグレッサー機や、企業が試作した獰猛なる翼が眠っている。脱獄の証に、戦利品として拝借するのも、また一つの手だ」
「賠償金がてらに貰っていくか。ハミングバード、有益な情報をありがとう」
「いえいえ、どういたしまして。墓守人、あなたの彼女と同じように、人生の新しい門出を迎えた。 どうか……あなたの旅に祝福を――」
その言葉が、別れの合図となった。
隣の牢屋から、キィ…… と、扉の開く音が聞こえる。そして墓守人がいる牢屋の前を、一匹のカラスが横切った。
飛翔するカラス。
美しき構造色を輝かせながら、その鳥は、出口に向かって飛んでいく。
監視房付近にある唯一の出入り口――鉄格子の扉は空いており、その先は光に満たされていた。
カラスが光の扉をくぐった瞬間――仮想現実に光が差し込む。まるで押し留められていた光が決壊したかのように、眩い光は色合いどころか、輪郭線すらも奪い、すべてを消し去っていく。
墓守人も例外ではない。
彼もまた光に色を吸われ、白に彩られていった……。
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