第90話 57=3×19

 一日目の集客が思いのほかうまくいき、伊緒菜は上機嫌だった。文化祭二日目の朝、伊緒菜は部員たちの前で発表した。

「昨日のお客さんは、ちょうど百人! 成立した姉妹は十三組いたわ」

「いっぱい来ましたね」

「新聞部の宣伝効果もあったのでしょうね。新聞を見て来た、って人も何人かいたから」

 自分の作戦が決まったことで、伊緒菜は得意げだった。

「でもこの結果に満足せず、さらに集客を増やすわよ! 今日は祝日だから、昨日より来校者も多いはず。今日も小さなチャンスを見逃さずに、バンバン行くわよー!」

 えい、えい、おー! と部員達で拳をあげる。

 やがて開始時刻の九時になった瞬間、部室のドアが開いた。

 気の早い客だな、と振り返ると、そこにいたのはQK部顧問の石破教諭だった。

「あら、石破先生。おはようございます」

「ああ、おはよう。昨日は来れなくてすまなかったな」

「いえいえ、別に」

 この企画では、石破教諭が来たところでできる事はあるまい――と、お互いに思っていた。

「……あら? そちらの子は?」

 石破教諭の後ろから、興味深そうに入ってくる子どもがいた。中学生だろうか。石破教諭は彼女を前に立たせると、

「私の孫だ」

 と紹介した。

「まごぉ!?」

 四人が目を丸くする。

「何を驚いているんだ?」

「お孫さん、いらしたんですね」

「私の年齢ならおかしくないだろう」

「それはそうなんですが。初耳だったので」

 改めて少女を見る。言われてみれば、雰囲気が似ている。特に、高校生四人に見つめられても物怖じしない胆力が。

 ニットのセーターにデニムスカートをはいた少女は、堂々と言った。

「初めまして! おばあちゃんの孫の、古積こづみ奈々ななです」

 伊緒菜は外向けの笑顔で応えた。

「良い名前ね。こづみ523ななこづみなな5237も素数よ」

「?」

 奈々は首を傾げた。

「ところであなた、年齢は?」

「中学三年生です!」

 年齢を聞いて、伊緒菜の目が光った。

「もしかして、入部希望かしら!?」

「伊緒菜先輩、気が早いです」津々実が突っ込んだ。「入部の前に、入学が先です」

「第一志望は萌葱です。おばあちゃんいるし」

「仲良いのね」

 伊緒菜は外向けの優しい笑みを浮かべた。奈々も頬を緩めた。

「はい! よく一緒に将棋指したりしてます」

 伊緒菜の鋭い視線が石破教諭に向けられた。

「そこはQKやってくださいよ」

「ルールに詳しくない物はできない」

 顧問なのに、とは言わなかった。

「キューケー?」

 奈々が興味を示したのを、伊緒菜は逃さなかった。

「あなたのおばあちゃんが顧問をやってる部の活動よ」

「え、それって将棋じゃ」

「QKよ。そしてここはQK部」

 伊緒菜は矢継ぎ早に言った。

「そうだ、たしかあなたのおばあちゃんの従妹が、QKの大会の偉い人をやってるわ」

 祖母の従妹なんて、もうほぼ他人じゃないかな、とみぞれは思った。

 しかし奈々には覚えがあるようだった。

「おばあちゃんの従妹……あ、桃子おばちゃん?」

「知ってるの!?」

 みぞれも驚いたが、言い出した伊緒菜本人が一番驚いていた。

「私が桃子に会うからな」石破教諭は落ち着いていた。「たまに、奈々がついてくることもある」

「素晴らしい血筋だわ!」

「傍系だぞ」

 石破教諭まで伊緒菜の言動に口を挟んだ。

「ボーケーってなに?」と奈々が祖母に聞く。

「直接の血筋じゃないって意味だ。奈々は桃子の血を引いてないだろ?」

「ふぅん。で、キューケーは?」

 奈々は好奇心旺盛だった。教師が親族にいるからだろうか、知識を得ることに積極的だった。

「QKはトランプゲームよ」

 伊緒菜がトランプを手に、説明を始めた。

「アルファベットでQKと書くの。将棋ほど歴史は長くないけど、将棋くらい奥の深いゲームよ。よかったら一局、やってみる?」

 伊緒菜は奈々を部室の隅へと誘導していく。流れるようなその動きに、部員たちは若干引いていた。

「なんか、飴を片手に子供を誘う不審者みたいじゃない?」

 津々実の耳打ちに、

「うん」

 とみぞれは同意した。


 サプライズゲストの登場で始まった二日目は、初日より多忙だった。どうやら本当に口コミが広がっているらしい。みぞれも午後にはランナーズハイのようになり、初対面の客にも堂々と話せるようになっていた。がらり、と扉が開くと同時に腰を浮かせ、

「いらっしゃいませ!!」

 と声をかける。

 しかし相手は、よく知る顔だった。

「あ、お母さん」

「え、お母さん?」

 ちょうど姉妹の写真を撮り終えた慧が、二人を見比べた。みぞれをそのまま成長させたような女性が、そこにいた。

「驚いたわ。みぞれがそんな大きな声を出すなんて」

「あ、ええっと……」

 みぞれは急に恥ずかしくなって、縮こまった。

「お、お父さんは?」

「女子高に行くのは恥ずかしいって。私もいるのに、何言ってるのかしらね」

 からからと笑う。性格は父親似のようだ、と慧は思った。

 部室を出る姉妹と入れ違うように、みぞれの母が受付の前に立った。丸っとした印象を受ける人だった。

「あなたは慧ちゃん?」

「あ、はい。初めまして」

「まぁまぁ。みぞれの言ってた通り美人な子ね」

「そ、そうですか……」

 容姿を褒められるのは、やはり好きじゃない。慧のその微妙な心理を察したのか、みぞれの母は話題を変えた。

「ところで、私が参加できる企画じゃなさそうね」

「そうだよー」みぞれは子供っぽい喋り方をした。「そう言ったじゃん」

「でも、みぞれの珍しい声が聞けたからよかったわ」

「なにそれー」

 みぞれがむくれてみせると、母はまた明るく笑った。

「津々実ちゃんと、あと伊緒菜先輩さんは?」

「ふたりとも、今は自分のクラスにいるよ」

「そう。じゃ、行ってみようかしら。先輩さんのクラスって……」

「二年五組。お化け屋敷やってるよ」

「あら楽しみ。行ってくるわね~」

 手を振って、部室を出て言った。

 嵐が去ったように、室内は急に静まり返った。

「仲良いんだね」

 ぽつりと慧が言った。

「え、そう? んん、普通だと思うけど」

「そう……」

 と慧は小さく相槌を打った。

「慧ちゃんのお母さんは来ないの?」

「うちは……」ためらってから答えた。「呼んですらない」

「え、そうなの?」

「中学のときも来なかったし……高校生にもなって親を文化祭に呼ぶものだとは思ってなかった」

「そ、そう? でも、つーちゃんも伊緒菜先輩も、お父さんとお母さん、来てたよ?」

「え」

 仲の良い家族だとは感じていたが、そこまでだったとは。いや、それとも本当にそれが普通なのか。

「とにかく、うちは呼んでない。呼ぶのが普通なの?」

 逆に聞かれて、みぞれも急に自信がなくなった。

「そう言われるとわかんないけど……でも、今日、お父さんくらいの年齢の人、割と見かけるよ?」

 今度は慧が言葉に詰まった。占いの客にも、そういう人はちらほらいた。

「でも、橘とか遠野とかは、たぶん、来てないし……」

 苦し紛れにそう反論した。

「……。慧ちゃん」

 どうしたの、という質問は、部室のドアが開く音にかき消された。

 みぞれは慌てて挨拶した。


「って、慧ちゃんが言ってたんだよ」

 みぞれは隣に座る津々実に話した。部室に客が来ていない、わずかな時間での雑談だった。

「お母さんとか呼ぶの、珍しいのかな」

「珍しくはないと思う」津々実はきっぱりと言った。「うちのクラスでも、何人か呼んでる子いたよ。親の方が来たがってる子もいるね。親としては、子供のクラスでの様子とかが気になるんじゃない?」

「そういうものなのかな」

「たぶんね」

 津々実は、自分の家族が他所より仲の良いことを自覚していた。だから、慧の疑問に納得できた。自覚のないみぞれが納得できないことも、飲み込めた。

 おそらく、慧は親と仲が悪いんだろうな、と津々実は察しがついていた。クラスにもそういう子がいるし、慧にもその子と同じ雰囲気がある。

 だが、それをそのままみぞれに話すのは憚れた。慧は嫌がるだろうし。だから、少しオブラートに包んだ。

「慧はたぶん、家族の前と友達の前でキャラが変わるタイプだし、友達といるところを見られたくないんじゃない? で、みんなそうだと思ってたから、親を呼ぶのが意外だったんだよ」

「そういう感じじゃなかったけど……」

 みぞれはまだ首を傾げていた。

 しかしまた部室の扉が開いたことで、それ以上の追及はできなくなった。

「いらっしゃいませ!」

「いらっしゃいませー! あ、あなた、昨日の!」

 入って来たのは二人組だった。津々実は片方の女子生徒に目を合わせて言った。

「あ、倉藤さん!」

 一年生らしきその生徒が、嬉しそうに笑った。ぱたぱたと駆け寄ってくる。

「あの! できたんです! 素数!」

 自分のハート形のバッジをぐいっと引っ張る。こちらは“妹”志望だ。

 もう一人の生徒も、同じ一年生だった。付けているバッジはダイヤ。ちゃんと“姉”志望である。彼女もバッジを見せつけた。

「あってると思うんだけど、どうかしら? 7でも9でも割れないし」

「どれどれ」

 二人のバッジを確認する。妹の数字は7。姉の数字は5。

 並べると、57。

「…………」

 みぞれは固まってしまった。これは素数ではない。

 こういう場合の対応も決めてある。残念ながら素数ではありません、姉妹不成立です、だ。

 幸運なことに、今まで間違う姉妹はいなかった。だからこれを告げるのは初めてである。

 しかし、二人の顔を見たみぞれは、何も言えなかった。

 期待の眼差し。少しの不安。そして、。頬はとっくに緩んでいる。

 二人は姉妹になりたがっている。きっと既に意気投合しているのだ。そんな二人に「残念ながら」なんて言えない。

 どうしよう。ここは、嘘を吐くべきか。

 すると、津々実が、大げさに心苦しそうな表情を作って言った。

「う~~ん! 残念ですが、57は素数ではありません!」

「えっ……」

 二人の顔色が曇る。

「それ、3で割れるんです。3×19」

「え、嘘」

「あっ、本当だ!」

「え~、そんなぁ……」

 二人とも落胆していた。みぞれは慌てる。しかし、津々実は自信のある落ち着いた声で話した。

「あ、でもですね、その数、特別な数なんですよ」

「特別?」

「はい。グロタンディーク素数と言って、素数じゃないのに素数と呼ばれるんです」

「え、なんで?」

「なんか昔、グロタンディークっていう偉い数学者が、素数だと勘違いしたらしいんです。だから、二人が間違えたのも当たり前なんです。数学者ですら間違うレベルなんですから。こんな特別な数で出会うなんて、運命ですよ」

 二人は津々実の話に聞き入っている。津々実は自信満々に言った。

「それに二人とも、その数を素数だと勘違いしたんでしょ? 二人で同じ間違えをするなんて、きっと気が合う証拠ですよ。だからたとえ姉妹になれなくても、もっといい関係になれますよ」

 二人は互いを見つめ合った。そして、“姉”はからかうような笑みを浮かべて、津々実に言った。

「その数学者とも、気が合うってこと?」

「ま、そういうことになりますね」

 ふふふっと二人は笑った。

「気の合う数学者なんて、初めて聞いた」

「倉藤さん、面白いこと言うね」

「そうかな?」

 ひとしきり笑ったあと、二人は部室を去った。受付に、自分たちのバッジを置いて。もう、いらないようだ。

「……ふぅ。なんとかなった」

 津々実は背もたれに倒れこみ、大きくため息を吐いた。

 そんな津々実を、みぞれは尊敬のまなざしで見つめていた。

 自分が何もできなかった問題を、こうもあっさり解いてしまった。

「つーちゃん、もし57じゃなかったら、どうするつもりだったの?」

「何も考えてなかったけど、その場合も何か適当なことを言って祝福したよ。『同じ間違いするなんて、絆が生まれた証拠です』とかなんとか言って」

 みぞれにはできない芸当だった。

「……わたし、ちょっとわかったかもしれない」

「ん? 何が?」

「わたしが、つーちゃんのどこに憧れてるか」

 津々実は急に体を起こした。真面目な顔で、みぞれを見つめる。

「教えてくれる?」

「うん」

 みぞれは頷いた。自分でもうまく説明できなくて、今までずっとはぐらかしていた。けれど、ようやく言えそうだ。

「つーちゃんは、自分の行動が正しいって、信じてるよね?」

「え? ……うん、そうだね」

「わたし、が欲しい。友達でも、みんなからの尊敬でもない。なんでもできる器用さでも、頭の回転の良さでもない。そういうので得られる自信じゃない。『自分の行動は正しい』っていう確信から得られる自信が欲しい」

 自分に自信がないことはわかっていた。QKでも、カードを出すときはいつも震える。でも津々実は、いつも堂々と出していた。

 人の真似ばかりするのも、「尊敬してる人の行動なら正しい」という責任転嫁から来る行為だった。

 みぞれはようやく、自分の行動原理を理解できた。

「つーちゃんはあのとき……中学のとき、わたしを初めて助けてくれたときも、自分が正しいって自信を持ってたよね。そのあと部活を辞めさせられたときも、自分は正しいことをしたって思ってたでしょ?」

「そうだね」

「わたしには、がない。わたしは、自分が正しいなんて、思えない」

 津々実は、あぜんとした。

 昨日の慧の占いを、思い出す。

 解決策は、正義のカードだった。津々実たちはそれを、「正しいことをすればいい」と解釈した。

 でも、そうじゃなかった。

 正義を得ることそのものが、問題の解決だったのだ。

「どうしたら、正しいと思えるの?」

 わからない。物心ついたときからこうだった。

 津々実は生まれて初めて、本気で頭を抱えた。

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