第73話 66

 伊緒菜は感情が顔に出ないように注意しながら、手札を広げた。肇ならちょっとした表情の変化から、手札を読みかねない。これまでに見た試合での読みも、そういう節があった。

 しかしそれでも、顔をしかめそうになる手札だった。

 A、A、2、2、6、6、7、9、9、T、K。絵札が二枚しかない。まさか初戦からこんな手札が来てしまうとは。

 肇の様子を窺う。澄ました顔で、手札を並べ替えていた。するとこちらの視線に気付いたようで、目を上げた。

「手が止まってるよ。余程悪い手札と見た」

「先にお姉ちゃんの様子を見ておこうと思って」

 伊緒菜は即座にそう答えた。怪しい素振りは見せない。

「なるほど、賢明な判断だ」

 肇は手札に目線を戻した。伊緒菜も手札に目を戻し、並べ替えていく。たしかに悪い手札だが、考えようによっては……。

「シンキングタイム終了です。これより宝崎選手の持ち時間となります」

 素数判定員の宣言と同時に、伊緒菜は山札から一枚引いた。なんと、Aだった。Aばかり三枚もあるなら、取るべき作戦は一つしかない。伊緒菜は手札から四枚出した。

729」

「1729はラマヌジャン革命です」

「そう来たか」肇は息を吐いた。「伊緒菜にしては珍しい」

「そうでもないよ。最近は、部活でたまにやってた」

 革命が得意な烏羽高校との対戦に備えて、革命対策をしていた。そのノウハウは、自分が革命を起こした場合にももちろん使える。

 伊緒菜はまだ、Aを二枚持っている。肇がAを持っている可能性は低いし、仮に持っていてもこちらのAで対抗できる。

 肇も山札から一枚引いた。それを一瞥すると、すぐに手札を束ねて言った。

「パス」

「パスが宣言されましたので、場を流します」

 素数判定員が伊緒菜の出したA729を回収し、タイマーを切り替える。

 ふぅん、と伊緒菜は肇の顔を見つめた。これは、勝てたかな?


「これは何とも、極端な手札ですね」

 実況ルームで、成田は長い足を組みながら言った。

「お互い絵札は二枚ずつ。宝崎選手は、革命を起こすべきだったんでしょうか?」

「結果的には微妙な戦術になってしまいましたが、相手の手札が分からない以上、最善の行動だったと思います」

 小西は自分の後ろのホワイトボードを見た。二人の手札が書き写してある。

 自分の絵札が少ないとき、革命を起こすのはセオリーだ。自分に絵札が少ないなら、相手に絵札が多いと期待できる。もしその通りなら、相手の出せる手を極端に減らせるのだ。

 しかし今回は、肇にも絵札が二枚しかない。革命のうまみは少なかった。

「ですが」と小西は会場の選手たちに向き直って強調した。「宝崎選手はAを残り二枚持っています。一方で、馬場選手のAは今ドローした一枚のみ。ジョーカーも持っていませんから、宝崎選手の有利には変わりありません」

「なるほど。では宝崎選手がその状況にいつ気付くかがポイントですね」

「そうなると思います」

 小西が頷いたとき、モニターの中で伊緒菜がカードを出した。

『2TAK10113

『210113は素数です』

「おっ」成田は組んでいた足を解いて、身を乗り出した。「手持ちの絵札を使い切りましたよ」

 ホワイトボードに札譜を書いていた小西も、おや、と言って興味を示した。

「これは五つ子素数ですね」

「五つ子素数?」

「通常、QKで『四つ子素数』と言えば、一番下にA、3、7、9のどれを付けても素数になる数を指します。五つ子素数は、この四つに加えてKを付けても素数になる数です」

 小西はホワイトボードに、「2TAX」と書いた。

「このエックスにA、3、7、9、Kのどれを入れても素数になるんです」

「なるほど。となると、そこにJも入れたくなりますが……」

「当然、A、3、7、9、J、Kの六つすべてが入る数は存在しません」

「ですよね」

 成田は理由も聞かずに納得した。みぞれは、なぜだろう、と思った。そういえば、前にそのことを発見した記憶があるが、理由はまだよくわかっていない。しかし成田は気にした風もなく、話を進めてしまった。

「さぁ、宝崎選手の残り手札はA、6、6、9ですが……」

「これは1669が素数ですね。馬場選手がこれより大きい素数を出せば、宝崎選手が一本先取しますが……」

「馬場選手、果たして自分のピンチに気が付くか!?」


 肇は自分の手札も見ずに、じっくりと三十秒、場の2TAKと伊緒菜の顔を見ていた。深く呼吸しながら、何やら考えているようだった。

「Aを使った……」

 ようやく言葉を発した。伊緒菜に話しかけているのか、自分自身に問いかけているのか、微妙な声量だった。

「なぜAを使ったんだ? おまけに2も。今は革命中だ。Aや2はできる限り取っておいた方が良い。しかも伊緒菜の残り手札は四枚。Aを二枚使う1100台の素数を最後に残しておけば、勝ち確だ」

 伊緒菜はどきりとした。肇の言う通りだ。伊緒菜の手元にAが合計三枚あったのだから、肇が持つAは最大一枚。つまりジョーカーが無ければ、肇の出せる最小の四枚出しは1200台以上。1100台の素数を残しておけば、伊緒菜は絶対にカウンターで勝利できる。

「残り四枚は四桁の素数だろうから、一の位はA、3、7、9のどれか。もし9なら、AA29が出せる。7でもAA27が出せる。3ならA2A3が出せる。そしてAはあり得ない」

 伊緒菜はしまった、と思った。肇が「Aはあり得ない」と断言できるのは、手札にAがあるからに違いない。しかもそれをわざわざ口に出したということは、このターンでAを使うということだ。

「ということは、伊緒菜はAと2を使いたくて使ったのではなく、使わざるを得なかったと考えられる。つまり、残り手札四枚のうち、一枚はA、一枚は3、7、9のいずれかで、残り二枚はT、Kと組み合わせて素数にならない数だ」

 肇は伊緒菜の顔を見ながら、小さな笑みを作った。読むのが楽しくて仕方ない、と言わんばかりだ。

「残り二枚はなんだ? T、Kと組み合わせて三の倍数になる数か? 1+0+1+3=5だから、これらと併せて3の倍数になる数は1、4、7、10、13、16。このうち1はあり得ない。4になるのは1と3か、2と2だが、1と3もあり得ない。2と2だと、A223とA229が素数になる……」

 呟きながら山札に手を伸ばし、一枚ドローする。それを確認すると、肇はまた黙った。


「馬場選手、長考しますね」

「先ほど瞬時にパスした選手とは思えませんね」

 成田と小西が顔を見合わせる。

「ところで、先ほど馬場選手が言っていた、T、Kと組み合わせて素数にならない数というのは?」

「馬場選手の言う通り、例えばAと3とか、2と2とかですが……」

 小西は伊緒菜の手札を確認した。残りはA、6、6、9。肇が気にしているのは真ん中の二つ、6と6だ。

 タブレットで素数判定をし、小西は驚きの声を上げた。

「どうやら、6、6、T、Kの組は、どう並べ替えても素数にならないようですね」

「3の倍数でもないのに?」

「はい。これは宝崎選手にとっては、不幸中の幸いですね。馬場選手がここに到達することは、考えにくいです」

「これは面白くなってきました! 果たしてこのことが、宝崎選手に利するのか!?」


 肇は考え続けていた。次に出す手はほぼ決まっているが、ここで伊緒菜にプレッシャーをかけておきたい。それに、残り二枚がさっぱりわからないのも不安だ。

 伊緒菜の手札に3があることはあり得ない。なぜなら、既に使った一枚を含め、肇が四枚持っているからだ。だから、伊緒菜が2と2を持っている場合、残り手札はA229になる。

 では、足して7になる組み合わせでは? これは1と6、2と5、3と4しかないが、このうち可能性があるのは2と5のみ。この場合、伊緒菜はA259を用意している。

 足して10になる組み合わせは、1と9、2と8、3と7、4と6、5と5。このうち、1と9、3と7はあり得ない。2と8ではA289、5と5ではA559を用意している。そして4と6もあり得ない。なぜなら、1460台にも1640台にも素数はないからだ。

 そして足して13になる組み合わせは……。

 肇が考えている間、伊緒菜はじりじりとした焦りを感じていた。肇がこんなに長考するのは珍しい。少なくとも、今日見ていた限りでは、こんなに長考することはなかった。伊緒菜相手だから、万全を期しているのか。

 逆に言えば、ここまでの肇はたぶん、ちょっと手を抜いていた。伊緒菜を相手にしてようやく、本気を出してきたのだ。全国大会の場だというのに、相変わらずいけ好かない。どうしてこんな人が、人望を集めるのだろう。

 伊緒菜の視線を感じながら、肇は一通りの考察を終えた。伊緒菜が2を持っていたら確実に負けるが、そうでなければ……。

 どのみち、いま出す手は変わらない。肇は自分の危機感を悟られないように、冷静にカードを出した。

「A367」

「1367は素数です」

 伊緒菜が二秒ほど考えてから、「パス」と言った。ドローするかどうか、一瞬迷ったのだろう。肇は安堵の息を吐いた。

「今のに返して来ないってことは、伊緒菜は2を持っていないんだな?」

 伊緒菜は答えない。

「早く次を出したら? もう決まってるんでしょ?」

「そうだな、そうしよう。QK」

「1213は素数です」

 伊緒菜は、今度は迷わずドローした。もし肇がジョーカーを持っていたら、それをAとして小さな四枚出しをするかもしれないと期待していたのだ。だが、さすがにそれはなかった。

 伊緒菜が引いたのはJだった。これで、残り手札はA、6、6、9、Jの五枚。作れる最小の素数はA9だが、残る6、6、Jでは素数が作れない。この五枚は、9Jと66Aに分けるか、6Aと69Jに分けるかの二択しかなさそうだ。

「6

「61は素数です」

「61?」

 肇が身を乗り出した。

「なんでそんなものが出てくるんだ?」

 伊緒菜は答えない。じっと、肇の顔を見ている。

「おかしい。6を含み、T、Kと組み合わせて3の倍数になるペアは、6と4、6と7、6とTだ。このうち6とTはないだろうし、6と4では素数を作れないから、6と7しかない。A、6、7とあと一枚で作れる素数は無数にあるが、いまドローしたことを考えると、残り一枚は7と組み合わせて素数にならない一桁の数だ。つまり、2か8。そして2は持っていないから、8。つまり一手前の時点で、伊緒菜の残りはA、6、7、8だったことになる」

867は素数だね」と伊緒菜。「何も矛盾はないんじゃない?」

「いや変だ。だったら2TAKなんて出さずに、86TKを出した方が良い。そしたら残り手札はA2A7になる」

 そこまでまくし立ててから、肇は「ああ、そうか」と言った。

「3の倍数じゃないんだな? たしか……そうだ、思い出した。6、6、T、Kの組も、素数にならないんだ」

 伊緒菜は眼鏡を押し上げた。

「へぇ……知らなかった」

「今更誤魔化しても無駄だ。つまり伊緒菜の手札は、A、6、6とあと一枚。3でも7でも9でもあり得るが、少なくとも3ではない。なぜならあたしが四枚持っているからだ」

「え」

 肇は、伊緒菜によく似た笑顔を浮かべた。

「なるほど、こういうパターンもあるんだな。ありがとう、勉強になった。そして、ここはあたしの勝ちだ。39=3×K」

 肇の前に四枚のカードが並べられた。合成数出しだ。

「合ってます、合成数出し成功です」

 判定員が告げる。肇は食い気味に言った。

「当然、伊緒菜はこれに返せない。山札から2かジョーカーを引かない限り、絶対に」

 肇の言葉と同時に、伊緒菜は山札から一枚引いた。

 引いたのは、4。どうやっても返せない。

「パス」

 判定員が場を流す。タイマーが切り替わると、肇は残り三枚の手札をすべて場に出した。

「653」

「653は素数です。よってこの試合、馬場選手の勝利です!」

 肇はふふふ、と笑った。

「よし、まずは一本。もう一本で、完全勝利だな」

 伊緒菜はカードをテーブルに置きながら、唇を噛んだ。

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