第67話 12
小海三が悩んでいる間に、史は自分の手札がさほど強くないことに気付いていた。
現在の手札はA、3、T、J、J。いまは三枚出しの場だが、史の手札に三枚六桁はTJJしかない。これは三枚六桁の中では最弱だ。枚数を増やせるなら3AJJなどが素数だが、やはり大して強くない。4はともかく、9を使ってしまったのは失敗だったか?
「一枚引きます」
思い出したように、小海三はドローした。既に彼女のターンに入って一分が経過している。もしかして、向こうの手札もあまりよくないのか。
「こうするしかないかな」
独り言を呟いてから、小海三はカードを出した。
「3Q5=5^5」
「合ってます、合成数出し成功です」
これは史も知っている合成数出しだった。やはり小海三も合成数使いだ。
史のターンだ。史は予定通りTJJを出そうとして、ふと手を止めた。
さっきも考えた通り、この手札は大して強くない。しかも小海三はいきなりQを出した。絵札を潤沢に持っている可能性がある。悩んでいたのは手札が悪いからではなく、出せる合成数が多いからでは? だとすると、ここでTJJを消費するのはまずい。もしTJJにカウンターされたら、確実に負ける。しかしこれ以外に、いま出せるカードはない。
手が震える。何を出しても裏目に出そうな気がする。
「ドローします」
悩んだ末、史は一枚引くことにした。もしKが引ければKJJが出せる。
引いたカードは9だった。Kではない、だが強い。93JからのTAJと出すことができる。しかし93Jを出すくらいなら、TJJを出すべきだ。だけどTJJでもカウンターされそうに感じる……もしカウンターされるなら、絵札は一枚でも多く残しておきたい。
史は意を決して、口を開いた。
「パスします」
敢えて何も出さない。史の決めた作戦は、すべての絵札を残すことだった。
向こうの手札は七枚、こっちは六枚。小海三が四枚出しでもしてくれればJ9TJで対応できるし、五枚出しでも93TJJで返せるだろう。ドローでいいカードを引かない限り、小海三はこれらに返せない。そして三枚出しされたら、今度こそTJJで返す。
……決断を先延ばしにした形だ。優柔不断だと双子に怒られるだろうか。いや、勝てばいいのだと自分を勇気づける。
小海三は山札から一枚引いた。それからまた、むむむと悩む。史は固唾を呑んで見守っていた。
「あれっ」
と、小海三が手札を凝視した。急に手札を並べ替え始める。まさか勝ち確の道を見つけたのか、と史は不安になった。
「合成数出しします」
そしてその不安は的中した。
「ジョーカーをJとして、
「え……」
小海三が両手を広げる。手にカードは一枚もない。
こんな合成数あっただろうか。史の記憶にはない。判定員がタブレットを操作し、告げた。
「合ってます。合成数出し、成功です。よってこの勝負、一浦選手の勝利となります!」
「やったー! 先輩、さすがですーー!!」
判定員の声に被せて、鈴鹿の黄色い声援が飛んできた。小海三が照れ臭そうに振り返る。
史は呆然としていた。あっさりとした負けだった。しかもこれは二本目。史の敗退が決まった。
「ありがとうございました」
小海三がお辞儀していた。史もハッとしてお辞儀を返す。
立ち上がって双子のもとに戻ろうとしたとき、背後でぱたぱたと走る足音がした。鈴鹿が興奮して小海三に駆け寄ってきたのだ。その勢いで小海三に抱き着くと、
「さすが先輩です! あんな手で勝っちゃうなんて!」
「うん、そうだね。いっぱい合成数を覚えてきた甲斐があったよ」
え、と思って史は振り返った。テーブルの上に、小海三が最後に出したカードがまだ残っている。
ジョーカーを除く七枚は、すべて一桁のカード。その前に出した小海三の手は、3Q5=5^5だ。これもQ以外は一桁のカード。小海三は試合中、二回ドローした。どの二枚を引いたのかわからないが、それらを含めても、小海三のカードは次の十三枚だった。
A、2、2、3、3、5、5、5、7、8、9、Q、ジョーカー。
小海三は、二桁カードをQただ一枚しか持っていなかったのだ。
こんな……こんな手札に負けたのか。TJJを先に出していれば勝っていた。そもそも、小海三はどうして初手で3Q5を出した? 明らかに悪手だ。
これは、勝てる試合だった。
「史先輩、大丈夫ですか?」
ふらつきながら双子のもとに帰ると、美衣と美沙が顔を覗き込んできた。飼い主を見上げる子猫のような表情だ。感情が読めない。怒っているのか、呆れているのか……。
「悪い、ちょっと一人にさせてくれ」
史はよろよろとロビーの方へ歩いて行った。美衣と美沙は顔を見合わせると、黙って頷きあい、静かに史のあとを追った。
ロビーは、受付で女性がぼんやりしている以外、人の気配がなかった。史はソファに座って、床を眺めた。
ショックだった。そして自分がショックを受けていることに驚いていた。
双子の期待に応えたいと思っていた。あれだけ応援してくれたのだから、必ず報いなければ、と。
でも、本当はそうではなかった。あたしは、勝ちたかったんだ。双子とは無関係に、自分自身の願いとして、勝利を望んでいた。史はそのことに初めて気が付いた。
この二か月間、双子と一緒に特訓していた。合成数だって何百と覚えた。自分なりに努力したと感じていたし、それは報われると考えていた。
史は小海三のデータを思い出した。一昨年は地区予選敗退。去年は全国大会一回戦敗退。そして今年は地区予選で優勝し、全国大会一回戦を突破した。
一年ごとに戦績が上がっている。きっと今まで、毎日努力を続けていたのだろう。たった二か月頑張っただけの史とは年季が違う。
「史先輩」
床に見慣れたローファーが現れた。美衣と美沙が、正面に立っていた。
「一人にしてくれって……」
史の言葉を遮るように、二人が両隣に座った。ジィっと、子猫のような顔で史を見つめる。
三人は、しばらく沈黙した。かすかに実況の声が聞こえるほかは、無音の時間が流れた。
やがて根負けしたように、史がぼそりと言った。
「……あたしは、舐めてたんだ」
双子は目を合わせ、またすぐ史の顔を見た。
「思えば最初っから、あたしは考えが甘かった。二か月あれば、そろばんができるようになると思ってた。二か月あれば、合成数千個覚えて、余裕で勝ち上がれると思ってた。……でも、そうじゃなかった」
史はスカートを握りしめた。こんな感情は初めてだった。できると思っていたことができないのが、こんなにつらいなんて。地区予選で双子が泣いたときの気持ちを、史はやっと理解した。
「悔しいんですね、史先輩」
美沙が言った。史は肩を震わせた。この感情の名前はそれだと気が付いた。
そうだ、あたしは今まで、悔しいと思ったことが一度もなかったんだ。何かに一生懸命になったことが一度もなかったから……。
双子が肩に頭を載せてきた。温かい重みがそこから伝わる。
「悔しかったら泣いてもいいんですよ」
「それは、泣かなきゃ解消できない感情ですから」
「どうせ私達しかいないんですから、遠慮はいりませんよ」
「……受付のお姉さんは、うとうとしてるし」
史は無意識に顔を上げて、受付を見た。たしかに女性がうつらうつらとしている。思わずふふっと笑った。
「いいのかな、あれ」
笑った途端、目にじんわりと涙が溜まった。再びうつむくと、それはぽたりと手の甲に落ちた。
「もっと前から、頑張ってればよかった。もっと真剣にやってればよかった。そしたら、あたしだって、きっと……」
そこから先は言葉にならなかった。双子が背中をそっと撫でた。
あたしにはもう、来年はない。でもこの二人にはある。あたしが知っていることを全部、この二人に教えよう。この二人に、二度とこんな気持ちを味わせてなるものか。
史は、そう決意した。
二回戦を早々に勝ち上がったみぞれは、津々実と一緒にトーナメント表の前に立っていた。二回戦を終えたのは自分が最初らしい。他の人達は、まだ試合をしている。
「これでベスト8入りだね」
津々実がみぞれの頭を、はたくように撫でる。
「もー、やめてよつーちゃん」
みぞれは笑顔でその手を払った。津々実が元気な笑顔でみぞれを見つめる。
「すごいじゃん、みぞれ。全国で、上から数えて8人以内にみぞれがいるんだよ」
「う、うん」
夢中で戦っていたから気付かなかったけれど、たしかにすごいことだ。全国に何百人といるであろうQKプレイヤーの中で、両手で数えられる範囲に自分がいる。緊張と興奮が胸中に渦巻いた。
「ここまで来たら、優勝まであと一歩だ!」
津々実がまたみぞれの頭をわしゃわしゃと撫でる。それを払いのけると、少しだけ緊張が晴れた。心地よい興奮だけが胸に残る。
振り返って体育ホール全体を眺める。七つのテーブルで選手たちが戦っている。それらのテーブルの周りに、それぞれ数人から十数人ずつ、高校生たちがいる。同じ部活のメンバーだったり、他の学校の選手が動向を調べていたりするのだろう。
一番目立つのはやはりあの赤い髪の少女、茨黄高校の佐藤龍火だ。対戦相手は納戸高校の
「ここまで来ると、みんな実力は互角なんだね」同じテーブルを見ながら津々実が感想を漏らした。「だから、相手をひるませた方が勝つ、みたいなこともあるのかな」
「どうかな……。そうだとしたら、あの佐藤さんは強そうだよね」
二人は見つめ合ってから苦笑した。
そのとき、どこかのテーブルがワッと湧いた。試合が終了したようだ。
「大月さんだ」
席を立った少女を見て津々実が言った。烏羽高校の大月瑠奈がテーブルを離れると、黒いポロシャツを着た女子高生たちに囲まれた。
すぐに、別のテーブルでも歓声が上がった。みぞれは、聞き覚えのある声が混ざっているな、と思った。一回戦で戦った府川鞠の声だった。
戦っていたのは、小麦色に日焼けした背の低い少女だった。トーナメント表を見ると、
「っしゃおらぁっ!!」
急に近くで大声が聞こえて、みぞれは体を縮こませた。龍火がガッツポーズをしている。対面の美音は、悔しそうに歯を食いしばってスカートを掴んでいた。勝敗が決まったのだ。
そのとき、すぐ隣に人の気配を感じて、みぞれは振り返った。無表情の少女が、じいっとトーナメント表を見上げている。
「あ、たしか、肇さんの後輩の……」
少女はそこで初めてみぞれに気付いたように、彼女を見下ろした。
「きみ、たしか萌葱高校の……」
「う、うん。古井丸みぞれ。加賀見さん、だよね?」
「うん。加賀見稲荷」
稲荷も試合が終わり、次の対戦相手を確認しにきたところだった。稲荷は、
「あの赤毛の人かぁ……」
と少し嫌そうに言った。
また、わぁ、と歓声が聞こえた。伊緒菜のいるテーブルだ。彼女はにやりと笑ってから、「ありがとうございました」と頭を下げた。聞かなくても勝ったのだとわかる。もっとも、伊緒菜が負けるなんて、まずあり得ないことだ。
「先輩の次の相手は誰だろう?」
津々実がトーナメント表を見上げる。みぞれは指差して、赤線を確認した。
「えっと……あ」
候補の二人のうち、片方は知らない選手だ。だがもう一人は、顔を知っている。南翠高校の東雲楓佳。あの数学部の部長だ。
その二人はステージで戦っていた。そちらを見ると、なんと慧が観戦していた。真剣な表情で、楓佳の横顔を見つめている。
楓佳が最後の手札を出し切った。判定員がタブレットを操作する。
「991313は素数です。よってこの勝負、東雲選手の勝利です!」
薄緑色のパーカーを着た少女たちが歓声を上げた。慧もぱぁっと顔を輝かせる。楓佳の二回戦突破が決まったのだ。
「先輩の相手はあの人か」
津々実が案外冷静に言う。慧は楓佳と伊緒菜のどちらを応援するのだろう、とみぞれは思った。
最後に残ったテーブルで、拍手が起こった。背の高い少女が席を立ち、周囲の観戦者たちに爽やかな笑顔を向ける。しかし周りにいるのは、どちらかといえば敵のはずである。それでも彼女は、誰からも好かれそうな笑顔をやめない。実際、勝負の世界では敵でも、人としては慕っている者も多いのだろう。馬場肇は、そんな風に人から好かれる人物だ。
これで、ベスト8が揃った。みぞれは改めてトーナメント表を見た。
次は、準々決勝。これに勝てば、ベスト4。
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