第39話 111=37×3
決勝戦が始まるということは、自分達以外は試合がないということだ。
萌葱高校と柳高校の対戦テーブルの周りには、会場にいるほとんどの選手が集まっていた。司会進行役の小西が、なるべく離れるように、あまり声を出さないようにと、注意を促している。
ノートを持っている選手も多い。札譜を取ろうとしているのだ。注目されるプレッシャーの中、みぞれ達はテーブルを挟んで向かい合っていた。
伊緒菜と史が、素数判定員にオーダー表を渡す。
「では、萌葱高校先鋒の剣持慧選手、柳高校先鋒の遠海美衣選手、席へお着きください」
遠見姉妹の妹、向かって左側にサイドテールを垂らした美衣が、慧の対面に座った。
「練習試合を思い出すね」と美衣が言った。
「そうね。あのときも、私とあなたが戦ったわね」
「うん。そして私がストレート勝ちした」
美衣が歯を見せて笑う。慧は、やっぱりこの子苦手だ、と思いながら眉をひそめた。
練習試合の苦い思い出が蘇る。あのとき、慧はほとんど手も足も出せずに負けた。美衣と美沙は小学一年のときからそろばん塾に通っていたらしく、暗算が途方もなく得意だった。知らない素数でもその場で素数判定し、大きな合成数出しをしてしまった。
だが、今の自分はあのときとは違う。暗算も練習したし、1001チェックや2001チェックも教わった。美衣ほどでないとしても、同じようなことはできるはずだ。
「これより、団体戦決勝戦、萌葱高校と柳高校の試合を始めます。まずはカードドローをしてください」
ドローの結果、先攻は慧となった。判定員がカードを回収し、二人に十一枚ずつ配る。二人がカードの枚数を確認すると、判定員が宣言した。
「では、一分間のシンキングタイムを開始します」
二人は同時にカードを取った。
慧はまた、手札を見て顔をしかめた。配られたのは、A、A、2、3、5、5、6、7、9、J、Kの十一枚。前の試合では二桁カードがたったの一枚だったが、今度もたった二枚だ。一枚増えたことを喜ぶべきだろうか。
その代わり奇数は多い。5を偶数としても、七枚が奇数だ。偶数は2、5、5、6の四枚。しかもこのうち、
慧は昂揚したが、すぐに無理だと判断した。5659なんて小さい素数で、親が取れるはずがない。ほかの手を考えるべきだろう。
「シンキングタイム終了です。ここから、剣持選手の持ち時間になります」
すぐに山札からドローする。運の良いことに、出たのはKだった。二桁カードが、J、K、Kの三枚になった。
「あ」と、後ろから見ていた伊緒菜は小声で呟いた。「勝ち確だ」
「本当ですか?」
津々実が札譜を書きながら聞いた。伊緒菜は試合中の二人に聞こえないように、こそこそと喋った。
「厳密には確定じゃないけど、ほぼ勝ちよ」
津々実のノートを借りて、確定のルートを書いた。
A5A→KKJ→57→9623
「A5Aを出したあと、相手が適当な三枚出しをしてきたら、KKJでほぼ親が取れる。そしたら57からの
「うっわ、すご……。慧、これに気付きますかね?」
「さぁ。9623を覚えているかどうかにかかっているわね」
残念ながら慧は覚えていなかったし、気付きもしなかった。さすがにKKJの存在には気付いていたので、三枚出しをした方が有利だろう、という程度の考えしか浮かばなかった。
「A5A」
「151は素数です」
判定員がタイマーを切り替えた。それと同時に、美衣も山札から一枚引く。2だった。
悪くない引きだ。それどころか、求めていたカードだ。
美衣は手札が配られた時点で、一つの合成数出しを発見していた。それを出した後の始末が問題だったが、この引きでそれも解決できる。
合成数出しのあと、残る手札はA、9、Q、Kだった。
KQAで親が取れるかどうかはわからない。しかし、A、2、9、Q、Kで作れる最大の三枚出し素数がこれなので、他に出せるものはない。
美衣は手札から、七枚のカードを出した。
「
えええ、と会場が驚きに包まれた。これと言って特徴のない合成数出しだ、覚えている選手はいないだろう。美衣が覚えていたにせよ計算したにせよ、彼女が只者ではないことは明らかだ。
本当に合っているのか、と会場の視線が判定員に集まる。判定員はタブレットを操作して宣言した。
「合っています、合成数出し成功です」
会場の感嘆とともにタイマーが切り替わる。慧の手番だ。
慧も、美衣の合成数出しに冷や汗をかいていた。二桁同士の積を暗算できることもすごいが、そもそも暗算しようと思いつくこと自体がすごい。
「よくそんな掛け算、できたわね」
「ふっふっふー」
と美衣は笑った。
長年そろばんをやっていると、日常的に多くの計算に触れる。すると、計算せずとも計算結果がどの程度の大きさになるか、なんとなくわかるようになる。美衣は手札に31と37を見つけた時点で、この積は1100から1200程度の数になるはずだとわかったのだ。手札にJもQもあったので念のため計算したところ、見事合成数出しできることを突き止めた。
美衣は、この試合でもう計算することはないな、と思った。さっきまで動かしていた指を止めて、慧を眺める。慧は一枚ドローして、場と手札を睨んでいた。
一気に手札を減らされて、慧は焦っていた。美衣の残り手札は五枚。五枚で作れる三枚出し合成数は、最大でもK×K=A69の三桁だ。場は既にそれより大きいので、次のターンで負けることはない。だが美衣が合成数出しした以上、こちらも合成数出しで食いつきたい。
ドローした7を加えて、手札を並べ替える。語呂合わせで覚えている合成数出しを探し、同時に計算もした。手札には2と3と6があるから、2×○○3=○○6という合成数出しができる可能性がある。1147÷2=573.5なので、これより大きく、一の位が3の素数を二倍すればいい。条件は、手札にあって、かつ三枚出しできる合成数だ。
条件を満たす合成数はなさそうだ。J86は三枚出しだが、手札に8がない。他はどれも、四枚出し以上になってしまう。
持ち時間は既に五分以上減っている。ここは素直に、KKJを出してしまうべきか。
慧は場を睨んだ。美衣が出したJ47が睨み返してくる。
「あれ」
と、慧はあることに気付いた。
「ん、なに?」
対面の美衣が、にやにやしながら見てくる。判定員は、何か間違えたかと心配そうにした。
慧は二人を無視して暗算した。美衣のように、頭の中でそろばんを弾くことはできない。その代わり、慧の頭の中では数式が流れていた。電光掲示板に文字が流れるように、ノンストップで式が変形されていく。
数秒で計算できた。しかも、すべて手札にある。慧は微笑んだ。その変化に、美衣が敏感に気付いて笑う。
「何か見つけたようだね」
「ええ。ちょうどいい数を見つけたわ。合成数出しします」
宣言して、慧は手札を並べた。
「
うおおお、とまたしても会場が沸いた。二乗なら覚えている選手も多いが、合成数に合成数を返したという試合展開に、観客たちは盛り上がっていた。
「合っています、合成数出し成功です」
まずいな、と美衣は思った。向こうも合成数出ししてくるとは。内心の動揺を悟られないように、美衣は笑った。
「ふっふっふー、二桁の二乗くらいは覚えたんだね」
「いいえ」と慧は首を振った。「本当は覚えたいところだけど、暗記は苦手なのよ」
「へ? じゃあ、どうやってそれを出したの? 暗算したの?」
その質問にも、慧は首を振った。
「いいえ、あなたが教えてくれたのよ」
「え?」
慧は、美衣の素因数場にあるカードを指差した。31と37。
「さっきあなたが出したでしょ。31×37=1147って。ところで、37の性質は、私もたまたま覚えてた。37の三倍は、111なのよ」
「あ……レピュニット!」
1を並べた数のことを、レピュニットと呼ぶ。伊緒菜に貰った素数表には、レピュニットの素因数分解をまとめたものもあった。トランプにはAとJがあるので、レピュニットは比較的作りやすい。特に、1を三つ並べた数と七つ並べた数は、どちらも素因数に1を含まないので、さらに出しやすい。
「でも、それがなに?」
「わからない? 37の二乗は、37×31+37×6でしょ? つまり、1147+222=1369と簡単に計算できるのよ」
慧の頭の中では、数式が変形されていた。
37×37=37×(31+6)=37×31+37×6=37×31+37×3×2=1147+111×2
これは暗算ではない。ただの式変形だ。そして式変形であれば、慧は瞬時にできる。
「遠海さんがその合成数を出してくれたから、私もこれが出せた」慧は心臓を高鳴らせながら、はっきりと告げた。「あなたのおかげよ」
これは意趣返しだった。練習試合のときは美衣に翻弄され、得意なつもりだった合成数出しすらできずに終わった。だから今度は、こちらが美衣の得意な戦法で攻める番だ。遠海姉妹独特の、人をおちょくるような戦法で。
美衣は歯噛みして悔しがっていた。美衣にとって、「悪戯されて悔しい」なんて、珍しいことだった。たいていの場合、悪戯はされる前に気付いて妨害できるか、自分たちの悪戯よりレベルが低くてイライラするかの、どちらかだったからだ。
しかし今回は違った。鮮やかな仕返しだった。敵ながら天晴だ。
「ふっふっふー、意外に機転が利くんだね、剣持ちゃん」歯を見せて笑いながら、三枚を場に出した。「でもそんなに小さい数じゃ、カウンターされちゃうよ?
「13121は素数です」
慧はくすりと笑った。
「その言葉、そっくり返すわ」
迷うことなく、手札から三枚を引き抜いた。
「
思わず語呂合わせを叫んでしまう。会場から笑い声が漏れた。しかし気にしなかった。面白いからこそ、覚えられたのだから。
慧の残り手札は一枚、美衣は二枚。ここで美衣が返さなければ、慧の勝ちだ。
美衣は手札を確認した。2と9。何をドローしても、五桁にはならない。カウンター不可能だ。
「パス!」
判定員が素因数場と場を流す。慧は最後の一枚を場に出した。
「5!」
「5は素数、よってこの試合、剣持選手の勝利です!」
「やったね、慧ちゃん!」
みぞれが飛び跳ねるように喜んでいる。
「うん。ちょっと焦ったけど、なんとかなった」
慧ははにかんだ。まだ心臓がばくばく言っている。人をやり込めるなんて、慣れないことはするものではなかった。
「素晴らしかったわ」と伊緒菜も褒める。「向こうは地団太踏んでるわよ」
美衣は駄々っ子のように唸っていた。
「うあー! もー! 悔しい!」
「どうどう」
史が首根っこを掴んで大人しくさせる。美衣はそれでも騒いでいた。
「お姉ちゃん! 絶対勝ってきて!」
中堅の美沙は、歯を見せて笑った。
「もちろん」
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