第19話 8/8

 みぞれは、手札の57QJをぎゅっと握っていた。場に出ている1086Aと美沙の指先を、交互に見つめる。もし美沙が57QJより小さな素数を出せば、みぞれの勝ちだ。

 美沙はまだ、指を止めていなかった。親指と人差し指を素早く動かしながら、同じ場所を何往復もしている。いま彼女の頭の中では、彼女だけのそろばんが、ぱちぱちと音を立てていた。

 美沙の手札は、A、4、6、6、7、7、10、Kの八枚。これらを並べ替え、素数が作れるかどうか、計算していた。

 これでも割れない。これでも割れない。ダメだこれで割れた、素数ではない。ご破算。

 珠をリセットして、計算を再開する。

「ふ」

 五分が過ぎたとき、美沙が笑った。

「ふっふっふー。そうか、この手があったか。どうして気付かなかったんだろう」

「な、なに?」

 動揺するみぞれに、美沙は笑いながら答えた。

「古井丸さん。そろばんってね、素数かどうかを判定するためのものじゃないんだよ。割り算以外にも、足し算や引き算、かけ算もできる」

「う、うん。知ってる」

「だから、こういう出し方もできる」

 気付かなくてごめんね。美沙は、慈しむようにカードを場に出した。

 美沙が好きなのは、数だけではない。計算も好きなのだ。特に、大きな数のかけ算が。

「4107A=67×6K!」

「ええっ!?」

 ずらりとカードが並んだ。その数、八枚。美沙は残りの手札すべてをテーブルに出していた。二桁と三桁のかけ算を暗算したのだ。

 史がスマホに数を入力する。判定ボタンを押して、宣言した。

「あってます! よってこの試合、美沙の勝ち!」

「ぃやったーー!」

 美沙は両手を挙げて喜んだ。妹の美衣が拍手する。

 試合を見守っていた伊緒菜は、口を開けていた。こんな合成数出しを咄嗟にできるプレイヤーは、滅多にいない。頑張れば計算できるかもしれないが、そもそも合成数出しできることに気付けない。

 札譜を書き終えた津々実も、驚いて声を出していた。みぞれの圧倒的な強さを見ていたから、このままみぞれがストレート勝ちするものだと信じて疑っていなかった。それがまさか、こんな方法で負けてしまうなんて。

「ふっふっふー。私の手札が八枚もあるからって、油断したね! これで、一対一だ!」

 美沙はみぞれに人差し指を突きつけた。一本目は圧勝されてしまったが、今の戦いでわかった。この子も馬鹿みたいに強いわけではない。こちらにも勝機はある!

 史がカードを回収してシャッフルする。

「泣いても笑っても次で最後。先攻は古井丸さんだね」

 十一枚ずつカードを配ると、タイマーを動かした。

「では、シンキングタイムのスタートです」


 すごい人だ、とみぞれは思った。土壇場で、あんな出し方を思いつけるなんて。

 わたしの周りには、すごい人がたくさんいる。津々実も、慧も、伊緒菜も。津々実はスポーツも勉強も何でもできるし、慧は数学が大の得意だ。伊緒菜は、QKに恐ろしく詳しい。

 美沙と美衣もすごい人だ。この二人はQKが強いだけじゃない。頭の回転がすごく早い人達だ。

 それに比べ、わたしは……。

 いや、ダメだ。みぞれは頭を振った。わたしはQKで一番になると決めたんだ。たとえ今は敵わなくとも、この人達のすごさを吸収して、打ち負かすんだ。

 みぞれはようやく手札を確認した。A、2、2、3、5、8、9、9、10、10、J。偶数五枚、奇数六枚。二桁カードは三枚だが、10とJしかないのが少し心もとない。だが弱くない手だ。

 大丈夫、今度は自分が先手だ。四枚出しで攻めれば勝てるはず。

「シンキングタイム終了です。ここから、古井丸さんの持ち時間になります」

 ぼんやりしている間に終わってしまった。みぞれはカードに集中した。

 さっき出した1086Aは、6がないから出せない。8Q10Jを出すにはQがない。8104Aには4が足りない。

 カードを並べ替えながら考える。9が二枚もあるのだから、これを起点になにか考えられないか。9で始まる素数は……9810Jがある!

 みぞれは9、8、10、Jを手札の端に寄せた。残りの七枚で作れる素数を探す。

 並べ替えるうちに気が付いた。これは、またさっきのパターンだ。

 9810J、210A9、523。

 この三つの素数で、十一枚全部を使い切れる!

 みぞれは深呼吸して、心臓を落ち着かせた。一本目のように、三ターンで終わらせられるか?

 どの順番で出すべきだろう。523を最初に出すのは論外だ。三枚出しの場にしてしまっては、あとが続かない。問題は、四枚出しの二つのうち、どちらが先かだ。

 210A9を出し、美沙のカウンターを受けて、9810Jでカウンターし返す。もしくは、9810Jでいきなり組み伏せて、その後210A9で波状攻撃を仕掛ける。どっちが正解だ?

 一本目の試合では、弱い方から出して勝った。二本目では逆に、弱い方から出して負けた。

 これは運なのか? それとも、何か読む方法があるのだろうか。

「悩んでるみたいだね。こっちはもう、準備できてるよ?」

 美沙は、カードをテーブルに伏せていた。ゲーム終了まで読めているのか。いや、美沙のことだから、はったりを利かせているだけかもしれない。

 美沙はにやにやしながら、みぞれを見ていた。みぞれはカードに視線を落とす。

 仮にはったりでないとしたら、あの余裕はなんだろう。みぞれが四枚出しをしようとしていることは、わかっているはずだ。だから、強い四枚出しの用意ができているということだろう。だとすると……。

 こちらはまず、9810Jを出すべきだ。これを超える素数は、七桁になるはず。美沙が七桁の素数を用意できるとは思えない。だからこれを出せば、美沙は一回パスをする。そしたら、210A9を出す。おそらく美沙は、これを超える素数は出せる。そしたら今度は、みぞれがパスをする。するとどうなるか。美沙の残り手札は七枚、みぞれの残り手札は523の三枚。美沙が小さい三枚出しをしてくれば、みぞれの勝ちだ。

 必勝の作戦ではない。しかし、QKはそもそも運の絡むトランプゲームであり、必勝パターンが使えることの方が少ないだろう。できるのは、与えられた手札で最善を尽くすことだけだ。

 行こう。みぞれは決心して、四枚のカードを出した。

「981011です」

「981011は……」史がスマホを操作した。「素数です」

 みぞれは美沙を見た。さあ、どうする。

 美沙は落ち着いた様子で、山札から一枚引いた。伏せていたカードを手に取って、ドローしたカードをそこに加える。

 いまドローしたということは、さっきの余裕はやはりはったりか。それなら勝てる可能性は高い。

 みぞれがそう思ったときだ。美沙が、突然語りだした。

「たしかに、古井丸さんはたくさん素数を覚えているんだろうね。でも、私だって、全く素数を覚えていないわけじゃない。少しは覚えているんだよ」

「……?」

 みぞれは困惑した表情を浮かべた。美沙はにやにやと笑っている。

「例えば、二枚出し素数はだいたい覚えてる。三枚出し素数も、最強がKKJで次がKQKだってことくらいは覚えてるんだよ。そして……」

 美沙はテーブルに四枚のカードを出した。

「四枚出し最強が、KJQJ13111211だってこともね」

 みぞれは目を丸くした。場に出されたK、J、Q、Jの四枚を見つめる。

「素数です」

 史がスマホを使わずに宣言する。みぞれも、これが素数であることは覚えていた。

 やられた。美沙が記憶で勝負してくる可能性を見落としていた。

 これに勝つには合成数出ししかない。しかし、どんな合成数出しで勝てるのか、みぞれには見当もつかなかった。そもそも、手札に二桁カードは10しかないから、どう足掻いても超えられない。

「パスします」

 だが、まだ作戦の芽は潰されていない。次に美沙が小さい四枚出しをして来れば、210A9を出せる。しかし、三枚出しで来られた場合は……。

「じゃ、次はこれ」

 美沙は、すぐに次の手を出した。カードの枚数は四枚。すべて一桁のカードだ。やった、210A9が出せる! ……と思った矢先、みぞれはまた目を丸くした。

 カードを見て、史が宣言する。

「1729。ラマヌジャン革命です」

「革命……!」

 カードの強弱を逆転させるカード。1729が出されると革命が起こり、小さい素数が強くなる。いま、210A9は、1729よりも弱い素数となった。

 またしてもやられた。まさか、こんな方法で来るなんて。

 そろばんが得意な美沙でも、あまりに大きな数だと素数判定ができない。しかし、革命を起こしてしまえば話は別だ。小さな素数が強くなれば、美沙が計算可能な範囲の素数で、十分戦えるようになってしまう。

「はい、古井丸さんのターンだよ」

 美沙が促してきた。ラマヌジャン革命が出された後も、ターンは回ってくる。もちろん、革命が起こっているので、1729より小さな素数でないとカウンターできない。

 革命にカウンターしやすい素数は、伊緒菜から教わっている。1481、1483、1487、1489の四つ子素数と、「1729」を並べ替えた「1279」だ。他にも、覚えやすい素数はいくつか教わったが……。

 今の手札は、A、2、2、3、5、9、10。覚えているカウンター素数は、ない。

 何か出てくれないか、とみぞれは山札から一枚引いた。3が出た。2と3が二枚ずつになった。

 美沙の残り手札は四枚。あの四枚は素数だろうか。それとも、二枚ずつに分けて素数になるのだろうか。何か打つ手はないのか。

 例えば、1223は素数だろうか。一見、素数のような気がする。みぞれは計算をした。3では割れないし、11でも割れない。7では……。

 頭の中で筆算する。12の上に1が立ち、12-7=5。2を下ろして、52。7×7=49だから、7が立って、52-49=3。3を下ろして、33。7×4=28だから、33-28=5。つまり、174あまり5。7では割り切れない。

 13では……。

 みぞれは一分ほどかけて暗算した。13でも割り切れない。だが、それ以上になるととても計算できそうにない。

 ここで間違えたら、勝つのは絶望的だ。だけど、ここで出さなくても、結局同じことだ。なら、出した方が良い。

 みぞれは覚悟を決めて、カードを出した。

「A223……って、素数ですか?」

「へえ、勘で出すこともあるんだね。史先輩、どうですか?」

 史はスマホを使わずに、平坦な声で宣言した。

「1223は、素数です」

「やったっ!」

 一矢報いた。まだチャンスはある。

 美沙はつまらなさそうに手札を確認した後、

「パスします」

 と言った。

 史が場を流し、みぞれのターンになった。

 みぞれの手札は、3、5、9、10の四枚。この四枚を全部出せればいいのだが、これはどう並べ替えても3の倍数になってしまう。出せるのは、多くても三枚だ。

 三枚出し素数なら、例えば1039が出せる。359でも良い。あとは何があるかな……。

 だが、三枚出しをしたとして、カウンターされたら目も当てられなくなる。美沙の残りも四枚だから、カウンター後の手札は一枚。みぞれがパスしたら、美沙はその一枚を出して上がってしまう可能性がある。

 一枚引いて、手札を五枚にしておこうか。それなら、三枚出しにカウンターされても、もう一度ドローすれば、さらにカウンターできるかもしれない。もちろん、素数を引けるとは限らないわけだが。

 あるいは、二枚出しだ。みぞれの手札なら、109と53が作れる。こちらが109を出したあと、美沙が53より大きな素数を出せば、みぞれの勝ちだ。一枚引いて処理に困る手札が増えるより、この方が良いか?

「……109です」

 自信なさげに、みぞれはカードを出した。史が、「素数です」とすぐに宣言する。

 ふっふっふー、と美沙が笑った。

「勝った」

「え?」

「古井丸さん。きみはたしかに強い。一本目はあっという間に私を負かしたし、二本目もギリギリまで追い込んだ。それはきっと、素数を大量に覚えているからだと思う。でも、QKはそれだけじゃ勝てないんだよ」

「え? え?」

 美沙は手札から二枚のカードを取り出すと、テーブルに出した。

「57。グロタンカット」

「あっ!」

 三度、やられた。その可能性は全く考えていなかった。

 史が場を流す。美沙の残り手札は二枚。彼女は、それをそのまま場に出した。

「で、最後はジョーカーをAとして使って、A3」

 みぞれはまた驚いた。ラマヌジャン革命、グロタンカットに続いて、ジョーカーまで出てきた。特殊カードのオンパレードだ。ある意味、とても美沙らしい戦い方だ。

「13は素数」史が宣言した。「よってこの勝負、二本先取で美沙の勝ち!」

「ぃやったーー! 萌葱高校、破ったり!」

 美沙は飛び上がって喜んだ。美衣が駆け寄ってきて、美沙とハイタッチする。

 やっぱり美沙もすごいな、とみぞれは思った。いまの試合、美沙は一度も計算していなかった。KJQJもラマヌジャン革命も、覚えていたからその必要がなかったのだ。

 美沙の強さは、計算だけに拠っているわけではなかった。計算しなくても十分強いのに、そこに計算力が加わっているのだ。

 全国には、こんな人達がごろごろいるのだろうか。そんなところで、自分は一番になれるだろうか。計算が得意なわけでもないし、頭の回転が早いわけでもない自分が。

 どうすれば勝てるのだろう。なぜ美沙達は勝てて、わたし達は負けたのだろう。

 みぞれは、ぐるぐると考え始めた。

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