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「多恵の手記を元に執筆した本は、歴史家にノンフィクションだと認めてはもらえず、大変残念ではありましたが、橋本家にとって大切な一冊となりました。本を出す勇気を下さったのは、若い頃に出逢ったあなたのご両親です。お母さんにも宜しくお伝え下さいね」
「……はい。ありがとうございました」
橋本さんはあの手紙の差出人が、あたしの姉美濃で、平手紅があたしだということは知らない。
結婚前に橋本さんの話しを聞いた両親も、その後、美濃やあたしが戦国時代にタイムスリップし、織田信長や織田信忠、明智光秀の命を救い、時代を塗り替えたことは知らない。
父が自分のルーツを調べずにいられなかったのは、どこかで通じるものがあったのだろう。
あたし達は橋本さんに礼を述べ、新大阪駅に向かう。駅でお弁当やお茶を買い、新幹線に乗り込み席に着く。信也は鞄から橋本さんに貰った本を取り出した。
「紗紅、これに織田信長のことが書かれているのか」
「……ごめん。黙ってて。本当は以前図書館で見つけたんだ。信也は陥没事故で錯乱していたし、重篤な状態に陥り言い出せなくて……」
信也はあたしの言葉に頷く。
「これが真実なんだな……」
「……うん。図書館でこれを読んだ時、とても衝撃的だった。フィクションになっているけど、これはノンフィクションだよ。まさか橋本多々男さんが、帰蝶の侍女多恵の子孫だとは思わなかった……」
「そうか。読んでもいいか?」
「うん」
信也は本のページを捲る。
あたしは新幹線の窓から、空を見上げた。夕暮れ空は、とても寂しい。
戦国の世に残した美濃が気になり、あれから眠れない夜が続いた。
美濃が明智光秀と幸せに暮らしていたことを知り、ほんの僅かだが胸のつかえがおりた気がした。
信也がそっとあたしの手を握った。
あたしは信也の手を握り返す。
――本能寺の変で織田信長はあたしと一緒に現世にタイムスリップした。でも信長は2012年に落ち、あたしは2016年に戻った。
あたしと再会するまでの4年間、信長は現代人になるために必死で努力し、その一方であたしを捜し続けた。
だが、あの陥没事故で信也の魂は時空の歪みに引っ張られ、重篤に陥り記憶が混濁し錯乱した。
今、隣に座っているのは……
織田信長ではなく、織田信也だ……。
信也は織田信長の記憶を無くした。
いや、織田信長の魂は過去に戻ったのかもしれない……。
この本に書かれたことを、信也はどうとらえるのだろう。史実とは異なる事実を、すんなりと受け入れることは出来ないかもしれない。
――それでもいい……。
――美濃……
あたしはこの時代で、信也と生きていくよ。
――信也が、もう信長じゃなくても……。
信長の魂がもうこの世から消えてしまったとしても……。
あたしにとって信也は……
大切な人だから。
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